第158話 武田松莉の思い出1

 ジョー兄と私が初めて会ったのは、多分あの時。

 私が幼稚園の時。

 母が今の父と再婚を決めた時。


 物心というものがついていたのか怪しく、私のか細い記憶ではあるけれど、体の弱かった前の父は病気で亡くなっていたらしい。


 それから母娘の二人になって、母は多分辛かったんだと思う。


 母のいない家で私は絵本を読んだり、積み木や人形で遊んでいた記憶はあるから、私はそれほどでもなかったのだろうか。


 まあ、そんなことはどうでもいい。



 確かファミリーレストランで、四人で食事をした。

 ハンバーグをほうばる私の口の周りがデミグラスソースだらけなのを、ジョー兄が優しく拭いてくれたのを覚えている。


 そして、しばらくの後、私たちは家族になった。


 後から知ったのだが、このしばらくかかったのは、関係をどうするかで、親戚同士が揉めたらしい。

 母の実家の武田の家は名家であり、前の父も婿養子だったとか。

 結局は、今の父の実家が折れ、父が婿養子に入ることで決着した。

 父の前の苗字は「仁科にしな」だったか。

 こちらのほうが、あまりなさそうな苗字で格調高そうにみえるけれど、まあそんなこともどうでもいい。



 ジョー兄と私は兄妹になった。

 丁度、小学校に私はあがり、引っ越したての綺麗な家から、二人仲良く通ったものだ。

 家を出た前の道から、横断歩道、途中の公園、川を渡るところ、他の生徒と合流するところ、ジョー兄と私の物語の背景として全部覚えている。


 ジョー兄はいつも私のことを気に掛けてくれた。

 犬がいれば、例え飼い主が紐をつけていても、私の前に立ってくれた。

 歩く速さも私にあわせてくれた。

 横断歩道では必ず手を引いてくれた。


 ……好きにならない理由はない。


 同じ年頃の男子に比べると、段違いのジェントルマン。


 一緒に歩いていると当然冷やかされる。

 普通の小学生男子だったら、照れて離れたり、妹を邪険に扱ったりするところだ。

 けれど、ジョー兄は自分の態度を変えなかった。

 私のことを大事に、してくれた。


 本当は、他の男子と一緒に遊びたかったのだとは思う。

 だからきっと、逆にこっちに連れてきたのだ。

 チュー兄を。


 チュー兄はこの頃からその外見の良さと、成績の良さから、女の子の間では人気だった。


 私も彼の魅力は認める。

 だって、ジョー兄が認めた友達なのだから。

 しかし、私には、ジョー兄が一番だった。

 あくまで彼はジョー兄と仲の良い男子に過ぎない。


 ジョー兄の手前、私は嬉しそうに振る舞ったが、実際は全然嬉しくなかった。


 それはそうだ、私にとっては邪魔者なのだから。

 だけど、ジョー兄が嬉しそうにするのだから仕方ない。

 私も嬉しそうにするしかない。

 たとえ、ジョー兄と二人きりの時間が減っても……。


 さらにそれから少しして、私を最大の悲劇が襲う。


 小学校の時、一番辛かったこと、ジョー兄の卒業。


 私が四年生の時、ジョー兄は六年生。

 こればかりは仕方ないとわかっていたけど、ジョー兄のいない学校に一人で二年も通うのは憂鬱としか言えなかった。

 私は私の年がジョー兄と離れているのを恨んだ。


 だけど、幸運にも方向が同じだったので途中までは一緒。

 ……これはこれで、毎朝分かれるとき悲しかった。

 しかも、しばらくして、ジョー兄が部活に入ってしまい、朝練とかで、結局朝の一緒は無くなってしまった。


 もちろん、私の我儘でジョー兄のしたいことをさせないなんてできない。


 彼にとっては私はただの妹なのだから……

 中学生と小学生の間には目に見えぬ壁があり、自宅でも、触れあえる時間は減っていた。ジョー兄の邪魔にはなりたくなかったから。


 ……


 そして待ちに待った中学一年。

 ようやくジョー兄と一緒に通えるようになって有頂天だった私。

 待たされた分、喜びもひとしおだった。


 今でも思う。

 この一年は私にとってこれまでの人生で最高の一年だった。


 ジョー兄は三年生の途中から部活を引退したので、さらに一緒に過ごす時間が増えた。

 本人は受験勉強のためだ、俺は学力が圧倒的に足りないと言っていたけれど、そんな理由は私にはどうでもよかった。


 自宅でもジョー兄と一緒の部屋で、合法的に毎日一緒に勉強できる。

 自分も受験で大変なのに、私がわからないことを聞くと、ちゃんと教えてくれた。本人は、説明すると記憶の定着がいいんだ気にするなって言ってたけど、それくらいしか説明を聞いていた記憶がない。


 私の目はずっと、ジョー兄しか見えてなかったから。

 だから、バレないように、ジョー兄と一緒でないときは逆に全力で勉強していた。



 そして悲劇は繰り返される。



 ジョー兄の高校合格。

 本当に嬉しそうな顔だった。

 傍らの私はどんな顔をしていただろう……上手く誤魔化せていただろうか。


 ジョー兄は高校入学後、郷土史研究会という文化系の部活に入った。

 元々歴史が好きで、私に勉強を教えるときもよく歴史の話に脱線していたくらいだ、だから、この部活を選んだのはなんとなく理解できた。


 問題は、その部活にどうやら女子がいるようなのだ。

 中学の時の部活は男子バレー部だったから、女子はいなかった。

 だから安心していたのに。


 どんな子がいるのか、それとなくジョー兄に聞いてみると、あっけなく教えてくれた。



 一人は生駒いこま徳子のりこ

 ノリと呼んでいるらしい。


 可愛いお嬢様タイプで、小動物っぽくてワンコっぽい。

 よく吠えるけど、放っておけない感じだと言う。

 放っておくと機嫌が悪くなって後で面倒なことになるからな、と付け加えていたが、これは何らかの配慮であるようにしか私には思えなかった。放っておけないということは、彼女のことが気になるということではないか。



 もう一人は北条波瑠はる

 ハルと呼んでいるらしい。


 美人でモデル体型、性格はしっかりしているけど、どこか儚い感じだと言う。

 儚いということの説明は上手く言えないけれど、どことなく、彼女が彼女であることに落ち着いていないような印象なのだと言われた。

 さっぱりわからないが、ミステリアスな美女というのは私の警戒心を煽るのに十分だった。ジョー兄はこっちも気になっているのだ。


 私は、ジョー兄が部活だと言って土日出かけるのについていきたかった。

 ついていきたいとせがんだ。

 しかし、妹思いの兄は、公私の別をはっきりさせる兄でもあった。


『部活には部外者はつれていけないんだ、ごめんな』


 こう言われてはどうしようもない。


 毎度私は、気を揉みつつ兄の帰宅を待ち、何があったのか聞いて何もなかったことに胸をなで下ろした。


 ずっと一緒にいる兄だ。

 何かがあったら態度でわかる。


 考えてみるとチュー兄も一緒だというのだから、何か起こせるジョー兄でも無いけれど、気になる二人が一緒ならば、そのうち格好のタイミングも出来てしまうかもしれない。


 こんな私の態度を、多分寂しがり屋ゆえだと考えたのだろう、ジョー兄は。


 突然、遊園地に行かないか、と言われた。


 薄々はわかっていたものの、続く言葉で二人きりで行くのではないのが確定した時には悲しい思いだったが、あの二人が来るというのだ、行かないという選択肢は無い。


 行き先は、ワンダフルランド。

 北条波瑠が提案したのだという。

 私は彼女への警戒心が高まるのを感じた。


 こちらの意図を気取られてはいけない。第一印象が大事だ。

 当日、待ち合わせの駅についた私は、中学生らしさを目一杯出して挨拶した。


「こんにちは、よ、よろしくお願いします」


 私が、挨拶のみで名前をいわないので、ジョー兄が自己紹介を促した。予定どおりだ。


 今気がついた、という風を装い、改めて名前と学年を言う。

 恥ずかしがる感じで。


 大成功だった。

 生駒徳子も、北条波瑠も私に向かって破顔。

 お陰で、じっくり観察する余裕ができた。

 年上の女子二人を何と呼ぶか悩む、中二女子の振りをしながら。


 私の心の中は覗けまいが、仕上げとして念のためチュー兄とそれらしくじゃれておいた。

 兄の『松莉は男女関係無く誰にもわたさん』という言葉に、喜びと、多少の罪悪感を感じながらも。

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