第28話 広がる世界

「ここは……」


 気がつくと、どこかで見たような白い天井だった。


 ここは、保健室のベッドか。

 あの後一体どうなったのだろう。


 ふと見ると、そのベッドの脇にひとり女子生徒が椅子に座っている。

 佐保理が起きたのに気がついたらしく、手にしていた文庫本をパタリと閉じた。


 三つ編みをサイドに流した彼女の横顔には覚えがある。

 式神事件の直後に出会ったあの子だ。


「目が覚めたようね。けれど、まだ、心が回復していないか」


「……」


「今回ちょっと騒ぎが大きくなりすぎたから、申し訳ないけれど、あなたの望む望まないに関わらず、戻すことにしたわ。恨まないでね。それだけ言いに来たの」


「……」


「ああ、そうそう、あなた自身は戻すことはできないみたいだから、覚えておいてね」


 ここでまた、佐保理は意識を失ったらしい。

 あの彼女の力によるものなのかどうなのかは不明。


 不思議と彼女が話しかけている間、何もこちらから言うことはできなかった。もしかしたら夢、だったのかもしれない。




 そして、次に目覚めたとき、天井は同じだったが、周りに喧噪があった。


 というか、むしろ喧噪により目覚めてしまったのではないだろうか。

 とりあえず、上半身を起こして周囲を確認する。



「あ、穴山さんが起きましたよ。これで前科モノにならずに済みますね、私たち」



 短髪おかっぱの子は、相変わらず口が悪いみたいだ。

 もっとも、そういうキャラなんだと思えば、周囲を和ませようとしているのを逆に感じる。



「ちょっと、いっちゃん、それじゃ穴山さんに変な意味にとられちゃうでしょ。でも、良かったー、あの時ぴくりともしなかったから心配だったのよね。あ、これ本当に心配だからね」



 ポニーテールの子が気を遣ってくれているのが、わかる。

 同性であっても、この見つめる目の優しさには惚れてしまいそうだ。



波瑠はる先輩の作戦だってのはなんとなくわかってたけど、俺、超当事者だから、正直あの時は青くなったんだぜ。守るって言っといて、どっちかっていうと攻撃してたわけだしな。罪悪感半端無かった」



 秋山虎は、ずっと自分のことを、そしてこの約束を果たすことを、考えてくれていた。


 何だかこちらこそ、とても罪悪感を感じる。



「……」



 黒髪の先輩は、こちらをじっと見て押し黙っている。

 そして確認するかのように言った。

 

「お前、あの時のこと、覚えているか? 覚えているならその上で今どう思っているのかを教えて欲しい」


 あの時。


 佐保理の脳裏に浮かぶのは――



――――――



「遠山、浅井、多分攻撃されないとは思うが、お前達はさがっていろ、秋山はとにかく切りまくれ」


「先輩はどうするんです?」


「私のことを心配するより自分のことを心配しろ。とにかく耐えろ」


 秋山虎、彼は賢い。

 今も校舎を背後に、一度に相手にする敵の数を絞って戦闘している。

 しかし、数が多くて次第に防戦一方になりつつあった。


 もう、そんなに長くは持たないだろう。



「ええい、見ておれんな」



 叫ぶとあの女子先輩は、突然人影の群に入りこんだ。


 当然、ソウジ達は刀で斬りかかる。


 しかし、次の瞬間驚くべき事に、襲いかかっていたソウジは全てあらぬ方向へ投げ飛ばされていたのだ。



「波瑠先輩!?」


「これはウチの祖母直伝の合気あいきだ。秋山、なるべくそっちに放り投げるから適当に処理しろ」


 余裕の表情でうそぶく彼女。


 刀を持ったソウジを無刀で事も無げに捌く。

 その実力がなせる自信なのだろう。


 戦士が二人になっただけではあるが、単位時間に消えるソウジの数は明らかに増えている。



 しかし――



「先輩、敵の数が全然減らないんですが」


「泣き言を言うな秋山。当たり前だろう、『辺津鏡へつかがみ』で後から後から穴山が作り出してるんだから」


「えー、それじゃあ終わらないじゃないですか」


「そうだな、穴山の気合いが続けば、そうなるな」


 彼は唇を噛み、とにかく斬って斬って斬りまくる。


 どうしてあんなに頑張れるのだろう。

 誰のために、頑張っているのだろう。


 無数のソウジを操りながら、彼女はふと疑問に思った。



 自分は何のためにこんなことをしているんだろう。



 確かに目の前の彼は、ソウジを消滅させた。


 しかし、もう自分は、ソウジは自分が作り出したものだと、こうしてわかってしまっている。


 先ほどのあの口ぶりから、ひょっとして彼、秋山虎はそれを教えてくれようとしたのではないのか。



 でも自分はもう、こうするしかない。


 本当にこうするしかないのか。


 わからない。



 終わらない葛藤……


 そして、無限とも思われる戦闘が繰り返された後、その時は訪れた。




 ふっと軽くなる意識。





 どんどん遠ざかる現実。





 周りのソウジが次々消えてゆく。




 そうか、自分は力を使い果たしたんだ。




「でも、良かったのかな、これで。ソウジ、みんな、ごめんね、それから――



――――――



「ありがとう、って思ったんです」


「そうか、ならお前はもう大丈夫だな」


 あっさりとした一言。

 しかし、彼女は続けてとんでもないことを、言ってきた。


「よし、これでお前もキョウケンの部員だ。今日は無理だろうが、明日からは放課後、社会科準備室に来るように。入部届の用紙はこちらで用意しておく」


「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり、そんなこと言われても」


「嫌なのか?」


 やっぱり、この先輩の目だけは苦手だ。

 何かがぐいぐいと押し寄せてくるのを感じるが、それに抵抗することは、きっと普通の人間にはできない。



「嫌じゃありません……」



 この私の一言で、他の三人の表情がとても明るいものになった。

 彼らとはその後、他愛の無い話をしたのを覚えている。


 この日は、保健の先生の勧めもあり、早退して帰った。

 ソウジと武蔵がいない久しぶりの帰り道だったけれど、不思議と寂しくなかった。




 そして翌日。



 昨日までのあの人気が嘘のように、廊下で誰も話しかけてこない。


 教室に入っても同様、あのギャル子とすれ違ったので、おはようと声をかけてみたら、以前と同様に「お前なんかいたのか?」と言わんばかりのジロリと冷たい目で見られた。


 そう、保健室の彼女が言っていたとおり、自分以外の全てが戻っているというわけだ。



 いきなり人気者になって、いきなりまたボッチになって、アップダウンの激しさに溺れてしまいそうになりながらも、彼女は耐えた。


『以前に戻っただけ、以前に戻っただけ、私はボッチなる孤高の存在』


 心の中で何度も何度も繰り返しながら。




 そんな彼女の努力をあざ笑うかのように、さらなる悲劇が訪れた。


 お昼休みになったので、例によってお弁当を持ち、いつもの屋上へ向かう。


 屋上へ続く扉、昨日破壊されたあの扉は、もう直っていた。

 以前よりも頑丈で分厚そうになっているのも驚きではあったが、さらに驚かせたのは、してあった張り紙だ。



『無断で生徒が屋上に出ることを禁ず 生徒会』



 絶望というのは、このことを言うのだろう。

 自分はどこで食事をとれば良いのか?


 やるかたなく階段をとぼとぼ降りる。




 ……今日はいいこと無いな。



 いいこと 無い ?

 前に 戻った だけじゃない。



 どうせ 戻る なら、あの屋上も

 戻って くれればいいのに。



 ソウジ と 武蔵 と一緒のときは


  楽 し か っ た


 な……

 


 あ れ れ ?



 ……



 そっか、私が



  戻  っ  て  な  い










 ひ と り ぼ っ ち っ て 、

 


 こ  ん  な  に  寂  し  い  ん  だ













 ……




 ……?



 ……!


 ふと見上げる彼女の目の前に、立ち塞がる影三つ。



「おやおや、本当に先輩の予言どおりですね」


「一緒にキョウケンで食べようよ、穴山さん」


「お、佐保理か、これから皆で食事するとこなんだけど、どうだ」



 ……!


 彼らは覚えていてくれていた。


 それだけで、良かった。



「もちろん、お願い! 連れてって、ダーリン♪」


 秋山虎に駆け寄って抱きつく。


「え、ちょ、ちょっとどういうこと? とら、穴山さんとそういう関係なの? いつの間に!?」


「そういえば佐保理って下の名前で呼んでますね。秋山くんも隅に置けない、というか油断大敵だったりしますね」


「いや、その、誤解だ。ほら、波瑠先輩に、直に、市花。俺はみんなを下の名前で呼んでるじゃん」


「えー、ダーリンは、私に『付き合ってくれ』って言ったじゃない」


「そ、それは……先輩が、『あいつの幻想を打ち砕くために絶対言え』っていうから仕方なく」


「そんな! 私に言ったあの言葉は嘘だってこと? ……もてあそばれたの、私?」


「あー、待って待って、そうじゃなくて」


「とら、そうじゃなくて何なのよー」


「あーもう、どうしろっていうんだよ、俺にいいいいい」



 幸せって特別なことじゃなくて、何でもないところにあるのかもしれない。

 でも自分はそれをまだわからないから、彼らからいろいろ学んでいこう。


 そう思いながら、彼女はこの上ない幸せをかみしめていた。






 ひとりじゃないって こんなに幸せなんだ



 ……



 ありがとう

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