第63話 どうしようもない僕に天使が降りてきた(虎の場合)

「秋山、すまない……私の力では、もうどうすることもできないんだ」


 波瑠先輩はそう言って、うつむいた。



「年貢の納め時ですよ、秋山くん。残念ですが、お別れです」


 市花は、笑顔ではあるがどこか寂しそうな様子で、視線を斜め上に向けた。



「とら、ごめんね。今までありがと……」


 直はそれ以上言葉にできなくなったのか、後ろを向き、嗚咽する。



「ダーリンは、永遠に不滅だよ! ……私の中では……」


 佐保理は意味ありげなことを言って、涙を振り払うと、精一杯の笑顔で手を振った。



 どういうことだ。何が起こってるんだ!?


 虎は完全に混乱する。



「ちょ、ちょっと待ってくれよ。波瑠先輩、どうすることもできないって何がですか? 市花お別れって何だよ? 直、さよならはよしてくれ! 佐保理、変なフラグを立てるのだけはやめてくれ~」



 この言葉に、全員が動きを止めた、ように虎には感じられた。

 一瞬後には、四人が集まってヒソヒソ会話している。

 やがて、何か決まったのか、全員の姿がピタリと重なると、一番先頭の波瑠が口を開いた。



「お前は本当に人の話を聞かないな。だからこうなるんだ」


「ええっ?」


「キョウケンは、女子だけの組織となることに決まった。だからお前はもう、さよならだ。昨日言っただろう」



 昨日?

 全然記憶に無い。

 だが、だからと言って、大人しくしている場合ではない。



「そ、そんな。お、俺役に立ちますよ。そ、そうだ、八握剣だって俺がいなきゃ……」


「そなたがおらぬでも、妾がおれば問題ない」



 波瑠の脇から、ひょこりと直が顔を出す。

 いや、この口調、つや様か!?



「……じゃ、じゃあせめて蒲生が学校に来るまででもいいので、置いてもらえませんでしょうか。このとおりです!」



 土下座。

 全ての希望を絶たれても、なおも抵抗する虎。

 しかし、波瑠が言い聞かせるかのように言うのだ。



「悲しいことだが秋山。もうその必要はないんだ」


「えっ?」



 パッと四人が左右に分かれると、真ん中にいたのは、あの長い黒髪の彼女、蒲生だった。



「秋山君、私はもう大丈夫です。安心してください。ありがとう、さようなら」



 手を振ると、彼女の姿は遠ざかっていく。

 もちろん、他の四人も一緒に。



 ……その背中に向かって、耐えきれず、虎は叫ぶ。



「ちょ、ちょっと待ってくれよ。何でキョウケンは女子だけになるんだ。どうして男はダメなんだよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」



 次の瞬間、ピタリと五人全員が止まり、虎の方を振り向いた。

 そして全員声を揃えて――

 


「「「「「男はヘンタイだから」」」」」



……


  ……

……

          ……

   ……


……

 ……

……



 ピー、ピー、ピー、ピー……


 ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……


 ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピ……



「あーもう、うるせーよ!!!」



 ガチャ。

 乱暴に、時計を止める。

 そのせいか、電池が外れて床に落ちた。


 これはいけないと、虎は拾って、時計に電池をはめこむ。


 これでよし。


 あれ、何か変だな。何だろう。


 そうか、いつもなら、起こしに来る直が、今日に限って来ていない。

 ……もしかして、体でも壊したのだろうか。


 以前、風邪を引いた状態で起こしに来たので、怒ってしまい、喧嘩みたいになって気まずくなった記憶はあるから、そうなのかもしれない。

 

 とにかく起きよう。


 洗面所に行き、顔を洗ってさっぱりする。

 部屋に戻って制服に着替える。


 それから、いつもどおり階下に降りて、リビング兼ダイニングへ。

 虎を見て母親えつこが声をかける。



「おはよう」


「母さん、おはよ。そういえば、今日直が来てないんだけど、何か聞いてる?」


「直ちゃん? ううん、何も聞いてないわよ。風邪でもひいたのかしら?」



 同じことを考えている。

 やはり親子だ。


 まあ、考えても仕方ないか。

 別に嫌われたわけではないだろうし。


 ……嫌われるようなことは、最近していないはずだ。

 遊園地では、先輩と佐保理にくっつき気味だったので機嫌が悪かった気がしなくもないが、それで引きずる直ではない。


 大事なのは、本人にちゃんと確認することだよな、うん。


 母親えつこが並べてくれた朝ご飯を平らげると、さっさと歯磨きを済ませ、虎は「行ってきます」と外にでた。


 直に起こして貰えなかった分、少し寝坊してしまった。

 いつものように話しかけられて消費する分の時間を考えても、どっこいどっこい。急がなければならない。


 あれ?


 駅に急ぐ、虎の目の前に、同じように急ぐ、揺れるポニーテール。



「直じゃないか、おーい直」



 呼びかけても返事が無い。

 あきらかにおかしい。

 いや、でも向こうも焦ってるみたいだし、聞こえないのかもしれない。


 虎は、彼女の後を追って走る。


 幸い、駅につく前に追いつくことができた。

 彼女の前方にまわり、自分の存在をアピールする。



「おはよう、直。どうしたんだよ今日は?」 



 じろりと睨まれる。

 そして言われたのだ。

 まるで不審者を見るような目をして一言。



「誰?」



 彼女のこのアクションを想定していなかった虎は一瞬縮こまる。

 なんだろう、やはり機嫌をどこかで損ねていたんだろうか。


 勇気を出して返してみる。

 ここはストレートが正解だろう。



「ひどいな、直。気に入らないことがあるなら言ってくれよ」



 すると、想定外の回答が彼女の口から放たれた。



「どこの誰かは知りませんけど、同じ高校だからって、馴れ馴れしく呼び捨てしないでください」



 これにはもう虎も応戦するしかなかった。



「ちょっと待った、その言い方はひどくないか」 


「あの……ひょっとしてあなたストーカー? 警察呼びますよ! 呼ばれたくなかったら、離れて!」



 凄まじい怒気の籠もった剣幕に、タジタジとなった虎を押しのけると、彼女はそのまま駅の方へ去っていった。


 後ろに涙を浮かべた少年を残して……。



 虎は完全に心を折られて、学校に行く気を失いかけたが、このまま終わりたくない、と、どうにか電車に乗ることには成功した。


 遠目に直を見ながら、同じ車両に乗る。

 どうしてこうなったんだろう、と、ここ最近のことを思い出すが、何も思い出せない。


 混乱の渦のまま、学校の最寄り駅になってしまい、いろいろ引きずりながら、彼はそれでも一歩一歩涙ぐましい努力で学校に向かって進んだ。



 足がとてつもなく重い。


 学校に行きたくない。


 でも行かねばならない、このままでは負け犬。



 このように、無理をおして頑張ったものの、学校に到着した頃には、朝礼の時間が迫っていた。


 もはや、直がいる教室に入ることを躊躇っている場合では無いと、急いで教室に入る。


 直と顔を遭わせないようにと、自席に急ぐ中、ふと、席に座っている市花と目が合った。



「あ、市花、おはよ」



 小声で挨拶。しかし――



「あなた誰ですか? ここのクラスの生徒ではありませんね。ワケありでしたら、ワケを聞かせていただきたいのですが」



 彼女が、何を言っているのかわからない。

 しかし、周りを見回すと、他のクラスメートの視線にも何か痛いものが混じっているように感じる。


 困って止まってしまった虎にさらに追い打ちがかかる。



「いっちゃん、離れて、こいつ、絶対ヘンタイ!」



 直だった。

 市花を庇うように席の前に立っている。



「な、直、そこをどいてくれよ。俺の席にいけないじゃないか」



 自席を指さししてアピールする。

 これなら、変な演技も終わるだろう。

 終わって欲しい。


 だが、そうはいかなかった。



「その席は、誰の席でもないわよ、空いてる席。あなた、何言ってるの?」


「し、しっつれーしました……これビックリですんで、やだなあ、そんなに怒らないでくださいよ」



 虎は全力でごまかしの言葉を適当に言いながら、うすら笑いを浮かべると、後退し、そのまま器用に後ろ向きに歩いて教室から出た。



 何だ、何が起きてるんだろう。

 全くわからない。


 そうか、これは夢だ、夢に違いない。


 月並みだけど、頬をつねってみた。

 やっぱり痛い。



 ……どうしたらいいのだろう。

 教室にはもう、どう考えても入れない。

 あの直の剣幕では、警察を呼ばれる事態になるのは間違いない。



 このままでは、誰か先生に見つかって、もっと面倒なことになりそうだ。

 おそらく、先生も自分のことを覚えてないのでは、と思われる。



 だが、行くアテなんてあるのだろうか。

 もう、この学校に、自分の居場所なんて無いのだ……。



 そんなことを考えている虎の目の前に、見知った顔が現れた。

 涙を流している。

 走ってこっちに向かってくる。


 ……抱きつかれた。


「ダーリ~ン。私、みんなに忘れられちゃったよ~」

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