第62話 兄妹~似ていないかい~(波瑠の場合)

 ジリリリリリ、目覚ましの音が鳴り響く。


 布団から手を伸ばし、上段から――チョップ。


 時計は転がり、動きを止めた。


 盤面は、午前六時……。


 モヤモヤモヤ……



 そうだ、今日から学校じゃなかったか!?



 ガバッと布団を開けて盤面を見る。


 盤面は、午前七時!


 パジャマ姿で急ぎ、洗面所に向かう。

 その途中、政とすれ違う。


 彼は、既に、スーツにネクタイ、整った髪型で、いつでも出勤できる、という姿をしていた。


 無言のまま視線で朝の挨拶をかわす。



『何で起こしてくれないんだ、政』


『ドアは三回ほど叩いたし、呼びかけもしたが、反応が無かった』



『踏み込むとかしないのか、一応兄だろう』


『いつまでも枕と布団を離さない、見苦しい妹の姿を見たくない、という兄の気持ちをお前は知るべきだな』



『時には強引なほうが、好印象なんだぞ』


『それは相手を選ぶんだ』



『可愛い妹を何だと思っているんだ』


『今の自分の顔を鏡で見てから言うべきだな。まずは顔を洗え』



『……ご飯は、もう準備してくれてるのか?』


『当たり前だろう、ご飯係が眠り姫ではな』



『…………いつもありがとう。明日こそ起きる起きるから!』


『期待している』



 エスパーではない。

 全てこれまで何度も繰り返したやりとり、だからだ。


 政は、不要なことは話さない、口数の少ないタイプ。

 波瑠はそんな兄を尊敬し、尊重していた。


 大事なのは意思疎通。

 それが出来るのならば、言葉は不要だ。



 顔を洗って、居間にゆくと、テーブルの上に、ご飯とお味噌汁、漬物、ベーコンエッグが用意されていた。


 波瑠は、座布団の上に正座すると、両手をあわせる。


「いただきます」


 自分が起きてくる時間を見計らってくれたのだろう。

 茶碗の温かさが、まだよそって間もないことを示している。


 卵に箸を入れると黄身が流れ出る。

 絶妙な半熟具合、まさに職人のなせる技だが、これをあの兄はこともなげに調理する。

 ご飯と一緒にかけ込む、うん、美味しい。


 ベーコンと一緒に瞬く間にたいらげてしまった。


 波瑠は空っぽになった食器を重ねて、流しに持って行く。

 タライに水を張っていると、台所脇の扉が開いて、政の顔がのぞいた。



『どうだ、良い感じだっただろう』


『絶品だ。あれ以上はない。少なくとも私にはできないな』



『口元にご飯粒がついているぞ』


『ああ、すまない、ありがとう』



『やっぱり自動食器洗浄機買わないか?』


『おばあちゃんが、体使えって言ってたから、私はこれでいいんだ』



『では、兄はもう行ってくる』


『妹もそろそろ出るけどな。お先にどうぞ』



 無言でこのやりとりを済ませて、政の車が車庫から出る音を聞いた後、食器を洗い終わり、一息つくと、もう七時半近くになっていた。


 着替え等の準備をそそくさと済ませ、戸締まりを厳重に確認し、波瑠は家を出る。



 もちろん、いつもの手袋は既に装着済みだ。

 最初は違和感があったが、慣れてみると靴下と変わらない。


 周囲も同じで、慣れてくれる。

 初めての相手でも、肌が弱いと言えば大抵納得してもらえるので問題無い。


 もっとも、あの後輩は、まだ気にしているようではあるが――



 波瑠の家は、いかにもな田園地帯の中にある割と古い家だ。


 家の周りには、田んぼ、畑、畑、田んぼといった感じで隣の家までの間は基本農地。


 田んぼは、まだ田植えの準備段階であり、水が張られているが稲の姿は無い。


 畑は、トウモロコシやニンジンの苗の緑が並んでいるのが、どことなく可愛い。


 五月は、どこを見てもこれからといった感じで、未来を思わせる。


 未来、か……。


 彼女は、あの後輩を頭に思い浮かべた。


 やっぱり責任はとるべきなんだろうな、おばあちゃん。

 男前な台詞を呟きながら、波瑠が想像する祖母の顔は微笑んでいた。


 そんなことを考えながら歩いていると、大きな道にでる。


 この道は県道。


 一応、高原の方に向かうバスも通るくらいの、大動脈とまでは言えないが、中動脈くらいの道である。


 もっとも、中動脈なんてあるのかは、知らないが。


 この県道は、カーブが多いらしい、免許をとったら注意するようにと、誰か大人が言っていた。


 うねうね曲がる、蛇のように。


 蛇……か。


 蒲生は、このゴールデンウィーク明けには、学校に来てくれるだろうか。あの後輩は、毎日確認しに彼女のクラスに行っていたらしい。


 今日も行くんだろうな、あいつは。

 思わず、ハーッとため息がでる。


 いっそのこと、沖津鏡を使えば……。

 浮かんだ考えを頭を振って打ち消す。


 やはり力とは呪いであると思わされる。

 人は安易な道を選びたがるのだ。

 確定した未来ほど、人の悩みを無くさせるものはない。

 だが、同時に希望を失わせることを忘れてはいけない。


 よし、我慢した。


 しかし、心配なのは、徳子のりこのやつだ。


 啖呵を切ってしまったのは、ちょっとまずかったかもしれない。


 生徒会という組織そのものの力もあるだろうが、穴山の話からすると、あいつは確実に四人目。


 具体的な効果まではわからないが、おそらく記憶操作ができるレベルの、状況を『戻す』ことができる能力の持ち主だ。


 つや様に聞きだせた情報からだと、所有しているのは例の玉か、比礼ではないかという仮説はたてられるが、所有者によって効果が変わると言われてしまっているので悩ましい。

 もっとも何かわかったところで、どうにもできないのが十種だから、考えても仕方ないのだが。


 ここまで頭を巡らした時、自分が校門前に辿りついているのに気がついた。考えすぎだな、と頭を搔きつつ下駄箱へ向かう。


 おや、あれは、遠山ではないか?


「遠山、おはよう」


 見かけたキョウケンの後輩に挨拶する波瑠。

 しかし、その後輩の方は、こっちを見て首を傾げると、そそくさと去っていった。


 むむ、無視か?

 いや、厳密には、反応はしているから、違うか。

 不思議な反応だな。

 まあ、何かの間違いだろう、後で聞いてみよう。


 あいつと一緒じゃないのは、喧嘩でもしたのか? 皆の姉的存在としては気になりすぎるな。


 波瑠は、上履きに履き替えると、教室へ向かった。


 三年生の教室は、三階にある。


 年齢が上になったのだから楽をさせてもらいたい、と言ったら、友人は、まだ高齢者になるのは早いよ、と返してきた。


 おっと、向こうからこっちに来るのは、その友人ではないか。



「おはよう、具」


 ……


 ふとこちらを見はしたが、首を傾げるとそのまま行ってしまった。

 遠山の時と同じ反応。

 流石に、これは気になる。


 追いかけて、問いただしたいところではあるが、今は朝だ。

 迷惑になるかもしれない。


 波瑠は、あきらめて、教室に向かった。

 そして、そこでさらに驚くべき事態に遭遇する。



「何!? 私の席が無いだと!」

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