第39話 天敵

「マングース君達、やっちゃって!」


 どこからか声がした。


 聞き慣れた声。

 そう、佐保理の声だ。


 マングースって何だろう。



 全身を覆う圧迫感が次第に無くなるのを感じ、薄目を開けると、そこには、あの蛇の群と果敢に戦う小動物の姿があった。



 猫にしては耳が小さく、ネズミにしては体が大きく尻尾がふさふさしている。

 虎が図鑑で見たことがある動物では、いたちが近いだろうか。

 それが、目を動かして分かる範囲だけでも十匹以上周りにいる。



 獣は飛びかかる蛇をひらりと躱すと、片手でその胴にチョップし、首元にかみつく、そしてぶん投げる。



 虎が見渡すあちらこちらでこのようなシーンが繰り広げられていた。


 一見、優勢に戦いを進めてはいるものの、蛇の数の多さにワンサイドゲームにはならず、戦線は膠着状態に見える。



 こんなところに野生のマングースがあんなにいるわけはないから、おそらく佐保理が『辺津鏡』で作り出したに違いない。



 しかし、なぜだろう、腕、太もも、背中と体中に激しい痛みがある。

 頭もガンガンして、吐き気がする。

 先ほどから視界も意識もぼやっとしてはっきりしないのだ。


 もう、目を開けていられない……。




 ……




「待ってください……どうか戦いをやめて、ください」



 暗闇の中、聞いたことが無い声がする。



「あなた、誰ですか?」



 これは、佐保理だ。他の声がしないということは、今ここにいるキョウケン部員は彼女ひとりなのだろうか。



「この子達の勘違いです。私が説得しますから」



 少しの間をおいた後、佐保理は心を決めたらしかった。



「わけがわからないですけど、わかりました」




 ……



「ダーリン!」



 手足の感覚が既に無いのでわからないが、微妙にまだ働く三半規管によると持ち上げられているのを感じる。



「腕、脚、背中、無数に噛み痕がありますね。これは既に毒が回っていると考えます。失礼」



「えっ、ちょっと、何するんですか」



「むこうをむいていてください。彼の毒を中和します」



「わかんないけど、わかりました」



 首筋に一瞬熱い刺激があり、次の瞬間に体の中を暖かいものが流れていった。


 最初は点だったが徐々にそれが広がっていく。


 何だろうこれは。

 虎は、全身が心地良さに包まれていくのを感じた。



 ……



 次に目を開けたとき、至近距離に、佐保理の顔があった。

 柔らかいものが自分の頭に乗っているのを感じる。


 む、感じる?


 まだ少し、痺れのようなものが残っているものの、手足の感覚が戻っている。

 ゆっくりとではあるが、グーパーできた。

 頭も、ぼんやりとしてはいるものの、もう痛みは感じない。



「ダーリン、よかった~。死んじゃったのかと思った」


 虎は佐保理に膝枕されていた。


「ごめんなさいね。ここはほとんど人が来ないから安心してしまっていたの」


 ようやく首が回せるようになったので、件の声の主の方へ顔を向ける。


 そこには、彼に向かい心配げな視線を向けている女の子がいた。


 年格好が佐保理とさほど変わらないように見えるから、きっと高校生くらいだろう。


 彼女は、瑞々しいストレートな髪を胸の上あたりまで左右に流している。その間にあるほっそりした顔は、細過ぎず控えめな角度の眉毛も相まってとても優しそうだ。


 人見知りする佐保理が素直に彼女の言に従っていたのが何となくわかる気がする。


 白いワンピースの上に薄いグレーの長めのカーディガンを羽織っている。少し汚れてしまっているのは、先ほどの騒ぎのせいだろうか。虎は申し訳ない気持ちになった。


「この人が助けてくれたの、ダーリン」


「もともとは私のせい……本当にごめんなさい」


 彼女は自分を助けてくれたのではないのだろうか?

 なぜ謝っているのかよくわからない。


 助けて……虎は、ハッと気づいて上体を起こし、周囲を見渡す。


「へ、蛇は?」


「大丈夫。もう近くにはいないみたいなんです」


 確かに、林の中、この周囲の地面は、土に草に石といった感じで平和そのもの。あれほどウジャウジャ塊のようにあふれ、足の踏み場もないようであった蛇はどこにもいないようだった。


「あんなに見たの初めてだったよ、俺。目に焼き付いたっていうか、もう、今日帰ってからも夢で見そうだ」


「ここは、あの子達にとっては、安息の場所なんです。蛇は人に見つかれば駆除されてしまいます。だから、逃げて逃げて、大変な思いをしてここまで来たんです」


 まるで蛇のことを人のように、もとい、我が子のように語る。

 彼女には申し訳ないことに、さきほど酷い目にあった直後の今の虎はなかなか蛇に同情できない心境だった。


「そっか、人に受け入れてもらえないから……私と、一緒なのかな。可愛そうなんだね、蛇って」


 佐保理は、自分の姿を重ねて、思うところがあるようだった。


「優しいのですね、貴女は」


「あ、ありがとうございます。その、自分に思えて、何となく、なだけですけど。本当は蛇怖いし。さっきも無我夢中でマングースを、あ……」


 佐保理が手を口にあてている。


 流石の彼女も、見知らぬ他人に、自分の能力を見せまくりだったと客観的に考えたのだろう。


 しかし、どう考えても、もう遅い。


「そういえば、マングースもあんなにいたのにどこかにいってしまいましたね」


 ニコリと笑う彼女。


 どうやらここは天然選手権の会場だったらしい。

 肩の荷が降りた気がした一瞬だった。


「ですねー、マングースがたくさんいたから、調子にのって『やっちゃって』なんて、ちょっと私も酷いこと言ってました。ごめんなさい」


 俯いている。

 申し訳ないのは本当らしい、らしいが。



 いやいやいやいや、佐保理よ、それは無理があるぞ。

 「戦いをやめてください」に当事者っぽく返事していたのは俺にすら聞こえていたんだぞ。

 どうして自分からそっちにわざわざ飛び込むんだ。



 このように、とてもツッコミたい衝動にかられたものの、相手もよく分からない思考の持ち主に思えて、迂闊に動けない虎だった。


 天然対天然の戦いは余人の介入を許さないのだ。


「例え、相手が蛇であっても、そこに自分を見て憐憫の情を感じられる。自分を愛することができる人間こそ、人を愛せるとは言いますが、貴女はとても素敵な方ですね」


「あ、ありがとうございます」


 綺麗な瞳で見つめられた上、肯定的な言葉で支えられ、佐保理の心がふわふわしているのが見えるようだ。


 しかし、無理もないことかもしれない。

 人見知りな彼女には、このような会話、おそらくキョウケン以外ではほぼ初めてなのだろうから。


 かの人物は、そんな佐保理を思う虎の心を知ってか知らずか、会話が一段落すると、彼の方を向いた。


「そして、私は貴方に謝らなくてはならないのです。あの子達が貴方を襲ったのは、私を守るためだったのですから」


「蛇が、君を、守ってた?」


 頭の中で繰り返す。

 目の前の女の子は、自分から蛇に守られていたという。

 蛇に守られていた?


 わからない。

 その状況もわからないし、わざわざ自分に伝える意味もわからない。


「本当のところは言えません。許してください。お伝えできる範囲としては、私はあの時無防備な状態で、その、誰にも見せられないような、そんな状況だったんです」


 虎は、何となしに彼女の裸体を思い浮かべそうになり、何度もかぶりを振って打ち消した。


「私は一部始終を見ていたのですが、貴方は、あの子達に剣は向けたけれど、けしてその剣で斬ろうとはしなかった。貴方も優しいのですね」


「……」


 確かに、あの時、何故か母猪との戦いが思い出されて、手を止めていたのだ。理由はわからない。


 しかし、そうか、自分も彼女に見られていたのか。


「では、申し訳ありませんが、私はこの辺りで失礼いたします。その顔色であれば、あと一時間もしないうちに、普通に動けるようになると思います」


 彼女はそう言うと、手を振って、林の向こうに消えていった。


「不思議な人だったね。ダーリン」


 とりあえず立ち上がって、手足が自由に動き、体に痛みが無いのを確認した虎は、草むらの影に何かあるのを見つけた。


「こ、これは……」


 初めは分からなかった。あまりに大きいものだったから。


 薄い膜のようなもの、ビニール袋と思ったが、それならばこんなに、ぬるぬるして皺がよっていることはない。


「ダーリン、これもしかして抜け殻……」

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