第38話 根の国

「聞いていますか? オオナムジ」


「はい?」


 気が付くと、薄い水色の羽衣をまとった少女が、目の前で困った顔をしている。


 彼女の、後ろ手に縛っている黄金色の髪は長く、首を傾げる仕草でも、サラリと美しく流れる。


 オオナムジ?

 自分の名、きっとそうだ。


 咎めるような口調ではあるが、彼女の声は落ち着きを与えるもので、やわらかい響きが心地よい。


 周りは薄暗く、土のにおいがする。

 今いる通路の脇には灯りがついていて、目を凝らすと、ところどころに苔の生えているむき出しの土の壁になっているのがわかる。


 逆も同様。ここは洞窟のようだ。

 まだまだずっと奥のほうに灯りは続き、一行は奥へ奥へと向かう途中らしい。



「スセリ姉さま、オオナムジ殿もお疲れのご様子。少し休ませてあげてはいかが?」



 脇から別の声がした。


 そちらには、薄い黄色の羽衣をまとった少女が、心配そうな目でこちらを見ていた。


 彼女の髪はうなじのあたりで短く切られており、スセリと呼ばれた彼女のような優美さは無いものの、灯りに照らされて綺麗に白銀に輝いている。


 その声は、はっきりした輪郭のある元気な声。



「タギリ、オオナムジはこれから、お父様とおばあ様に面会するのですよ。お二人のご意向によっては、彼の命はありません」


「そうはおっしゃいますが、姉さま。付け焼刃ではどうしようも無いのも事実。ここはオオナムジ殿を信じるのが一番ではないでしょうか?」


 腕を組む、スセリ。そして一言漏らす。


「それも、そうね……」


 どこかで何度も同じような目にあった気がするが思い出せない。

 いや、そんなことはどうでもいい。


 オオナムジは、この、自分を抜きに進んでいく会話に対しどうしても言いたくなった。


「それで、俺、これからどうなるんだ?」


「先ほど申し上げたこと、納得がゆかぬのですか? まあ、いいでしょう。あなたは、これから、根の国を治める神、スサノオ、イザナミの両名に会っていただきます」


「ど、どうして?」


「そこも必要ですか……もう……。私たちと神婚するためです」


「神婚!?」


「どうしよう、タギリ、私自信無くなってきたかも」


「姉さま、元気だしていきましょう。オオナムジ殿の、さっき聞いたことをもう忘れてしまう、この能天気さが勝利に繋がると信じて!」


 散々な言われよう。

 しかし、オオナムジは、悪い気はしなかった。


 どうやらこの二人は、自分の苦境に頭を悩ませてくれている。



「ええっと、神婚とはすなわち我々神同士の結婚のことを指します」


「結婚!?」


 オオナムジの驚きように、一瞬顔をしかめたスセリだったが、気にせず続けることにしたようだ。


「神婚を重ねることで、神はその力を増します。あなたは、地上の中つ国で、兄神達に三度殺されかけ、ヤガミヒメの導きにより、かの軍勢から逃れて、この根の国に来たと聞きました。彼らがこの国に攻めてくるのも時間の問題でしょう。私たちと神婚し、力を増した上で対抗する他ありません」


「どうして、そこまでしてくれるんだ?」


「それは……あなたのことを好きになってしまったからです」


「でーす」



――――――――――――



「ふむ、お前が、オオナムジか。そのひょろひょろした体で我が娘を二人とも勾引かどわかかすとはな。この不細工めが」


 オオナムジは固まっていた。


 目の前には玉座が二つ。

 オオナムジから向かって右手にいるのが今口を開いている男神おがみスサノオ。


 その身にまとう白い衣とは対照的に、長い髪長い髭、いずれも乱れに乱れて荒々しく、衣の隙間からは褐色で筋骨隆々たる肉体が覗く。


 その外見だけでも恐ろしいものであったが、その髪の間からこちらを射すくめるように発せられている鋭い眼光、魂にとどろくようなその声も、オオナムジの精神を脅かしていた。


 スセリとタギリの話だとこの神が二人の父親とのことだ。


 道理で圧迫感が半端ではない。

 二人の女神がここにいたら、少しは庇ってくれたりするのだろうが、先ほど彼に締め出されてしまった。


 しかし、この男神から見たら他の神はすべて自分と同じ扱いなのではないだろうか? こちらが剣を持って向かい、あちらが素手であっても勝てる気が一切しない。


 おそらく、二人の気持ちは、既にスサノオには話してあるのだろう。

 こちらが、申し開きでもすれば、逆に、娘を侮辱したと切られかねない。

 きっと、あの腰に佩いている長い剣で一刀両断されてしまうに違いない。

 かといって素直に「娘さん達を僕にください」というのも、危険に思える。


 つまり、口を開けば切られる。

 既に詰んでいる詰将棋、そのものであった。

 無口でいるのは必然で当然なのだ。



「何とか言わぬか、こいつめが」


「スサノオよ、己が末裔に対して唾するは、己に帰るものぞ」


「母上……?」



 スサノオが、声の来た方向を向いて疑問をなげかける。


 オオナムジから向かって左手の玉座の人物から発せられた声は、凛としたそれでいて鈴の音が鳴ったような美しい調べであり、諭すようなこの言葉でさえも、心地よさを感じさせる。


 あの二人は、おばあ様と言っていたが、外見は、美しくうら若き乙女そのもので、二人とさほど年が離れているように見えない。


 長く美しい黒髪を前は肩のあたりで左右に髪留めして流している。


 その間に見える表情は、微笑みを浮かべていた。


 これが、イザナミ。

 スサノオの母にして、根の国の女王。

 そして、中つ国の多くの神の母なる存在である。



「この者、オオナムジは、そなたの七代後の子孫、さすればわらわとも繋がっておる。そなたは母をも巻き込むつもりかえ?」


 表情はやわらかいままに、辛辣な内容をスサノオに投げかける。

 彼は憮然としつつ、溜息をつく。


「母上には勝てませぬな。しかし、己が子孫ゆえ、今少し覇気が欲しいものです。こやつが次代の王では、中つ国が乱れるも道理」


「それも道理よの。ではこうしてはどうであろう。試練を与えるのだ」


「ふむ、どのような?」


「スセリとタギリとの神婚を望むのであれば、試練は二回。蛇と蜂ではどうかの?」


「……よろしいでしょう。おい、オオナムジよ、聞こえておるか? 我の子孫であれば、見事試練を乗り越えその証を見せよ」



――――――――――――



 試練を受けたことについて話すと、二人は浮かない顔をしていた。


 今は、試練の前に今生の別れをしておくようにという、スサノオの優しさでこうして二人と会話をしている。まったく穏やかではない。


「おばあ様もあまり快くは思ってらっしゃらないのでしょうか?」


「おばあ様もお父様もともに、高天原も中つ国も追われた神ですよ、姉さま。オオナムジは中つ国の神。思うところはおありでしょう」


 二人の会話に気になることを思い出す。


「俺は、イザナミさんに、スサノオの七代後の子孫って言われたんだけど、そうなると、スセリとタギリって……俺とどういう関係になるんだ?」


 この一言に、二人は意外そうな顔をした。


「我ら不老不死たる神において、血のつながりとは、同じ系統の神であることくらいの意味ですが、何か気になるのですか? オオナムジは」


「ひょっとしたら、つながりがあるから、オオナムジのことが気になるとかはあるのかな? 姉さま」


「何だか変なこと聞いちまったみたいだな、忘れてくれ」


 自分でも何だか変なことを言った気がする。一体どうして気になったのだろうか?


 悩むオオナムジの姿に、スセリは彼を現実の問題と向き合わせなければならないと思ったらしかった。


「それよりも、試練の方を何とかしなければ、蛇と蜂とのことですね?」


「ああ、そう聞いた」


「それなら、文字通り、蛇だらけの部屋、蜂だらけの部屋にあなたは閉じ込められます」


「……」



 想像するだに万事休す。



「短い間だったけど、忘れないよ、オオナムジ」


「ちょっと待った!」


「悪い冗談はおやめなさい、タギリ。こうなったら私たちでなんとかしなければなりません。蛇は私が何とかします、蜂はあなたがお願い」


「はーい、姉さま。では私の活躍は姉さまの後になりそうですね」

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