第167話 穴山佐保理は覚醒する4

 気がつくと、ボクは青い空の下にいた。

 けれど、べつに大草原だとか、海だとか自然がいっぱいな場所ではなかった。


 空に近い場所。

 そんなに高い建物ではないけれど、その一番上にボクはいた。


 見渡すと、空との境目はどこも山々。

 ここは山の中。

 でも、どの山も緑が映えて美しい。


 どうしてここにいるのだろう。

 わからない。


 だけど、そんなことはどうでもいいかと思えてきた。

 ポカポカ陽気が気持ち良い。

 この場所は、何だか素敵な場所だ。


 伸びをする。深呼吸をする。開放感。

 あれ、手に持ってるの何だろう……剣?


 自分は何かと戦わなければならない?

 こんなに綺麗な世界なのに。


 剣をもって悩んでいるといきなり剣の持ち手が引っ張られた。

 驚いて手を離す。


 いつのまにか目の前に、お姉さんがいた。

 ショートヘアで、黄色のパーカーを着たお姉さん。


 ……それボクの剣だよ?


「か、かえせよー」


「だめだってば、小さい子がこんなの持ってちゃ。めっ!」


 そう言うと、お姉さんは剣を持ってボクから逃げていく。

 ボクは彼女を追いかける。

 まるで鬼ごっこ。


 ……しばらく続けていたら、お互い疲れてしまった。


 どちらからともなく、パタリと床に倒れる。

 顔をみあわせて笑う。


 剣なんていらないや。

 なぜかそんなことを思ってしまったくらいにお姉さんの笑顔は素敵だった。何だろう、この気持ち。わからない。

 

 少したってから座って向き合った。

 お姉さんはボクを優しく撫でて言った。


「なあなあ、うちこない?」


「……うん、いいよ」


 どう答えるか一瞬悩んだけれど、これがボクの答えだった。


 それから、お姉さんのおうちに連れて行かれた。


「いいか、お前がここにいるのは秘密だから、私の部屋から外には出ちゃダメだぞ」


 家に入って最初に言い聞かされたのがこれだった。

 ボクは忠実にこの言いつけを守った。


 ……何かが足りない気がする。



 そうは思ったけれど、お姉さんはボクに優しくて、一緒にゲームしてくれたり、歌や音楽を聞かせてくれたり、アニメを見たり、一緒にお風呂に入ったり、一緒のお布団で寝たりしてくれた。


 まだ、夜は寒いことが多いから、一緒のお布団で寝るのは気持ちよかった。

 あの屋上みたいでポカポカした。

 お姉さんの黄色は太陽なのかもしれないとボクは考える。


 部屋が汚すぎて、寝る前に片した後、布団を別の部屋から持ってくるとか、寝相が悪いとか……ちょっと大変だけど。


 布団を敷かないまま寝ちゃった時はとっても困った。

 もちろん、ボクが部屋を片して布団を敷いて、お姉さんをよっこらせとしたんだけど。



 何日か経った後、さすがにお姉さんも気がついたらしい。


「なあなあ、お前の名前って何だっけ?」


 名前……そうだ。

 ボクは自分の脳裏に浮かんだ名前をお姉さんに教える。


「ヤマトタケル」


「長いな、タケルでいいか」


 お姉さんの丁度良い基準は何文字なのだろう。

 いいかといわれても、困ってしまったが、とりあえず首肯しておいた。

 それからこの名前で呼ばれることになったけど、慣れないうちはなかなか自分のことだと思えなくて、何度も呼ばれるはめになった。



「ちなみにアタシの名前はいぬいだ、い、いぬいねえって呼ぶんだぞ」


 自分から見たらお姉さんなんだけど、微妙に照れた表情が、可愛いって思えた。まるで人なつっこいワンコみたいだ。

 だからちょっとお姉さんにイジワルしたくなったんだと思う。


「……わかったポチ姉」


「そうじゃないだろ~」


 それからドタバタ楽しかった。

 お姉さんとの心と体の触れあいは本当に気持ちが良い。

 触れあえるって本当に素敵だ。


 だからイジワルをつづけていたんだけど、服を買ってくれたり、お菓子を多めにくれたり、無意味に撫でたりと、お姉さんが本気で言わせたいことがわかってきたので、ボクは降伏することになった。

 幸福だから仕方ないよ、ごめんねいぬいねえ



 でもこの生活が終わりを迎える時が来たんだ。



 玄関のチャイムがなって珍しく呼ばれたかと思ったら、他に二人、いぬいねえと同じ学校の服を来たお兄さんとお姉さんがいた。


 そして、ボクはお姉さんと目が合ったときに、全て思い出した。


 ボクはヤマトタケル。

 最後の守護者。最強の守護者。

 彼女、特異点を守るために、存在する者。


 どうして忘れていたんだろう。

 わからない。


 だから言い出すことはできなかった。


「ごめんな、タケル。今日は会長遅いと思うから、リビングでテレビでも見ててな」


 乾姉のこの言葉に甘えてしまった。

 三人が乾姉の部屋で遊ぶ間、ボクはひとりリビングで過ごす。


 しかし、予想もつかないことが、この時ボクの体に起きたのだ。


 どこからか力が流れ込んでくる。

 何だろう、この湧き上がる負の感情は。

 切ないような想い?

 届かない想い?


 胸の苦しさに思わずリビングの絨毯に突っ伏したボクが、起き上がったときには、それは既に体の中を通り過ぎていた。

 その理由はすぐにわかった。


 目の前に立つ人影。

 もしやノリスケ姉さん?

 身構えるボクは、その人物の顔を見て全てを理解する。


「君は……ボク……」


 姿形は、鏡で見た自分そのものだった。

 ただ、纏う衣服が全て黒く、冷たい印象が自分ではない何者かであることを伝えている。


「使命を忘れし者に用は無い。お前はここで、ずっとそうしていればいい」


 そう言うと震えるボクの前から消えた。

 陽炎であったかのように。

 現実ではなかったかのように。


 ボクから別れていった?

 ボクでないボク。

 使命と言っていたから、守護者としての行いを外れることはないと思うけれど、気になる。


 玄関で彼女を見送るとき、悩んだけど、言えなかった。

 彼女が少し元気がなさそうなことも気になりはしたのだけれど。

 ボクは使命を忘れていた者だから……




 でもやっぱりそのままではいられなかった。

 見ていられなかった。

 黒いボクが、苦しみもがいているのを。




 彼、いや彼女……もう、私か。

 あの私は『八握剣やつかのつるぎ』の彼を見る度、彼と剣を重ねる度に心の中で泣いている。

 その都度、私の中に、あの私の心が流れてくる。

 ためらい、あきらめ、ごまかし……


 だからわかった。

 私はこの時自分について全てを理解した。

 

 こっちの私は、私が屋上に置き忘れた、置いていった純粋な心の表象。

 人が、人とふれあうにあたり、邪魔になることがあるもの。

 十種神宝『辺津鏡へつかがみ』による創造力は、無意識なうちに私から私を分離させたのだろう。

 そのままでは、上手く人と触れあえなかったから。

 だから子供の姿を取った。

 そして、偶然ではあるものの、折良く現れた彼女、何故か思い出せないが多分過去に何かがありどこか懐かしい、乾姉に甘えてしまったのだ。


 もはや迷っている場合ではない。



「待て! 主は、特異点はこんなことは望んでいない」


「今の今まで使命を忘れていたものが、良く言う」


「忘れていたんじゃない。ボクは彼女の心に従っていただけだ」


 守護者として最後の台詞を吐いた私は、剣を抜き、もう一人の私に向きあう。


 私達が私であることが、バレても構わない。

 それでも、私達は一つにならなければならない。


「そうだ、あなたとボクは……私は、元は一つ、それが分かたれたモノ」


 彼女に、自分に負けるわけにはいかなかった。

 私が負けたら、あの私は必ず自らを殺してしまう。


 人の愛を知らないままに。

 自分が愛されるべき存在であることを忘れたままに。

 

 私は私に伝えたい。


 空がこんなに青いこと

 山の緑が癒やしてくれること

 そして私がダーリンにも、いぬちゃんにも、キョウケンや生徒会、菊理くくりちゃん含めた皆に愛されていること


 勝負を決めたのは、この想いの強さだったんだと思う。

 そう思いたい。


「ふん、主は、今回はお前の方を選んだのか。どうせ変わらぬのにな。往生際の悪いことよ」


 彼女の、私の悲しい心に、私は涙した。

 辛かったのだ。だからまた分離しようとしている。

 自分が全部背負っていこうとしている。


 そうじゃないよ。


 彼女の姿が消え、光の雫となりつつある、その一瞬に私は、私にしかわからないようにこう言った。


「そうよ、変わらない。だから大丈夫、あなたは私なんだから、あなたも私もどっちも私に必要。戻ったら一緒にがんばろ。ひとりにして、ごめんね!」


 消える瞬間のあの私の顔は……多分。

 もし、また逢えたら聞いてみるとしよう。



 ……



 長い長い回り道だったけれど、後は私が戻るだけ。

 自分が大丈夫かは分からない、自分を信じるしかない。

 でも……我ながら心配し過ぎかな。


 八握剣で私を貫く、ダーリン、乾ちゃん、そして心配そうな他の面々、皆がとても、こんなに愛おしく思えるから。

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