第2話 予言者は容赦なく

「見てしまったのだな」


 その声に、秋山とらは、我に返った。


 目の前には、黒髪の女子生徒がいた。

 セーラー服のリボンの色からして、三年生の先輩のようだ。


 綺麗な艶のある黒髪は肩ほどまであり、優雅さをたたえている。

 その持ち主である彼女は、片足を前に投げ出し、床に腰を落ち着けたまま、上半身を起き上がらせ、少し苛立ちを込めた表情で、彼の方を見ていた。


 なぜ、彼女とこのような姿勢で相対しているのか?


 そうだ、先ほど出会い頭にぶつかってしまったからだ。

 登校直後、無心に教室に急ぐ最中のことであり、彼はかわせなかった。

 担任に知られたら、高校二年生にもなって、と説教モノに違いない。



「見てしまったのだろう」


 再び確認するように、じっと虎の目を見ながら覗き込むようにして彼女は言った。


 その黒髪とは対照的に色白な彼女の顔の中で、主張の強い切れ長の目で強く強く訴えてきている。

 彼女の視線は全てを見透かしているようであり、抵抗するだけ無駄のように虎には思われた。 


 しかし、これだけは言わねばならない。


「み、見てなんていませんから」


「何を言っている? お前のその態度、どう考えても見てしまったとしか考えられない」


「何と言われたって、俺は見ていません!」


「何故お前はそこまで否定するのだ。しかも、横を向いたままで……むむ」


 ここまでのやりとりと、虎の意味ありげな視線で、彼女はようやく気がついた。

 先ほど転倒した拍子に、自分のスカートがまくれ上がり、今も太ももの辺りまであらわになっていることに。


 カァーッと、彼女の顔が赤くなる。

 そして即座に立ち上がり、スカートの埃を払いつつ、前後に問題が無いことを数回確認した上で、ピンと一直線にした右手の人差し指を虎に向けながら叫んだ。


「そっちではない! 馬鹿者」


「馬鹿者呼ばわりは、酷くないですか、先輩」


 床に尻餅をついていた状態だった虎も立ち上がり、ズボンの埃を払いながらそれに応じた。


 ふと見ると、件の先輩の身長は、自分よりも少し高いようだった。

 そのせいか、なんとなく気後れしてしまう。

 先輩への苦情は、そんな彼の精一杯の抵抗でもあったのだ。


「見苦しいものを見せたのは私だな。それは謝ろう。そして、見てしまったものを否定したくなるのはわかる。自らの死ともあれば、なおさらだ」


「え? い、今何て言いました?」


「見たのだろう、自らの死の像を」


 あれは、現実的リアルな、とても現実的リアルなイメージだった。


 先輩に声をかけられた時に、ここは天国、それとも地獄かと考えたほどに、そして、それから実際に死んだのではないことに気がつくまでの時間をかなり要したほどに、現実だった。


 自分がいるのが、下駄箱のある校舎の入り口に面した、廊下であることがわかって、どれほど安堵したことか。


 しかし、その、この上無く残酷な映像を、目の前の先輩は知っているようなのだ。単に知っているのではなく、言葉の節々から、同じものを彼女も見たのでは無いか、とも思える。


「その顔は、やはりそうなのだな。見てしまったのであれば、仕方ないか」


 答えるべきかどうか悩む虎の様子など、全く振り返りもしない様子で、先輩は既に話を進めていた。


 その瞳に浮かぶは、憐憫の情なのだろうか。暖かいような、少し寂しいような、複雑なものを虎は感じつつも、なぜか悪い気はしなかった。しかし、――


「言っておこう……お前は近々死ぬ」


 淡々とその唇からためらい無く紡がれた、死刑宣告。

 これには虎も抗わざるを得ない。


「な、何を言ってるんですか? じ、冗談言わないでくださいよ」


「冗談を言うなだと? 私は冗談を言うのが嫌いだ。だいたいこの冗談で喜ぶ人間は誰もいないだろう。私だってこんなことを言いたくはない」


 彼女の言うことはもっともである。

 もっとも過ぎて虎は反論する気力を一時失ってしまったほどだ。

 だが、だからと言って、自分が死ぬという内容について、首肯することは彼には出来なかった。


「どうして俺が死ぬんですか? それが納得できないんです」


「それは……決まっていることだからだ」


 彼女は初めて虎から視線をズラすと、当て所も無い方向を見やって深いため息をついた。


「信じられないか。そうだろうな。人は自分に都合の悪い事実については、そうなるのが普通だ。しかし、私は別にお前に不快な思いをさせたくてこんなことを言っているんじゃない。お前が残りの人生を悔いなく過ごせるようにしてやりたいと思っている、ただそれだけなんだ」


 どう考えても、先輩の何かがズレているとしか思えない虎だったが、彼女の本気としか思えない言動に押されて、真っ向からそれを否定することはできなかった。


「決まってるって……証拠はあるんですか?」


「証拠か、証拠は先ほど見たとおりなんだが、それを繰り返しても納得はできなさそうだな。では、こうしようか」


 先輩の瞳に少し意地悪そうな光が宿る。


「今日の夕食は、お前の大好きなカレーではないようだ。食べたかったろうにな、残念だ」


「はい?」


「そして、もっと残念なことに、見たかった夕方のアニメを見ることはできないだろう」


「ええっ!?」


「カード運はいいようだな。最上位レアが手に入るぞ。今日はいい夢が見られる」


「……」


「以上だ。もうひとつ付け加えるなら、お前は明日私のいるキョウケンの部室に放課後やってくる。折角だからお茶の準備くらいはしておいてやろう。では、また明日会おう」


「ちょ、ちょっと、先輩……」


 弱々しい声で呼び止める虎のことなど意に介さない風で、彼女はくるりと背を向けると、背中ごしに手を振り、その場を去っていった。

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