第98話 お嬢様の真実6 ポチ

『透明人間さん、私考えたの』


 そばかすの子はそう言って、小さなスケッチブックとペンをアタシに渡した。

 厳密に言うと、彼女とアタシとの間に置いたって感じ。


 悩んだ。

 だってこれを書いたらもう後戻りできなくなるし。


 でもね、やっぱり、この子とお話したいっていう欲望が勝ってしまった。

 べつにおしゃべりな方では無いし、愛に飢えてるって方でも無いけど、ずっと誰とも話さないのって、何か大事なものが足りない感じで自分が埋め尽くされるんだよ。


 急に透明になってみないと、わからないと思うけど。



『これでお話できるよ……できるんだよね?』


 また自分で言って、自分でツッコミいれてる。

 この子本当に自分に自信が無いんだな。

 こんなに勘がいいのに。



『よーし、じゃあ、えーっと、あなたのお名前は?』


 書く、と心を決めていたアタシは、この時再度悩んだ。


 本当の名前を書いたら……書きたいけど、ダメだ。

 裏切るのは心苦しいけど、下手に知ってしまったらこの子を何かに巻き込むことになるかもしれない。


 そして気がついた。


 もうほとんど書いてしまっていることに!

 アタシはあわてて手をとめる。



『いぬ?』


 そうスケッチブックには、アタシの汚い字で


 い ぬ


 と書いてあった……。



『うーん、可愛くないから、じゃあポチにチェンジで。可愛いでしょ、ポチ』


 まさか、名前、それも偽名というか書きかけにダメだしされて、勝手にアダ名をつけられるとは思ってなかったよ。


 しかも、ポチ……、うん、もういいや、アタシ、ポチね。

 アタシは脱力する中、渾身の力を振り絞って書いた。



 あ り が と う



『わーい、嬉しいな』


 きっと男の子なら抱きしめたくなるんじゃないかってほど、可愛い顔で喜んでたんだよ、彼女は。


 もうツッコめない、これはツッコメない。


 空気読めない王選手権があったら優勝が狙えそうなアタシでも、無理なもんは無理だ。

 しかし、この子、適応力高いな、もう完全にアタシという存在に馴染んでる。

 想像力たくましいというか、ね。



『透明人間さんはいぬの精霊さんだったんだ。よかったー、なんだか忠犬ぽい! ポチ、だもんね』


 満足している。

 納得している。


 ……いいよ、もう、それで。アタシ、犬の、精霊!



『私の名前は、穴山あなやま佐保理さおり、よろしくね』


 じゃあこっちは……そうだ、さおりんと呼ばせてもらうから!

 ……何だか、可愛いけど。ずるいな。


 それから色んな話をした。

 好きな食べ物、好きな動物、好きな色。

 好きな服に、好きなアニメ。


 あっという間に時間は過ぎ、彼女は今日も名残惜しそうに教室に戻っていくんだ。


 見届けると、アタシも自分の巣に戻ることにした。


 社会科準備室。


 名前から古い本の匂いがしそうな空間なのに、そんなことはなく、むしろ良い匂いがする。


 もちろん紅茶由来なのではとは思うんだけど、あの小さい子がせっせと出がらし茶葉と不織布みたいなので作っていた、お手製の消臭剤が嫌な臭いを吸ってくれているのかもしれない。


 だから快適空間だ。

 とても学校とは思えず、物語とか出てくる洋館の書斎のような、落ち着きがある。


 ここにはほとんど人が来ないのもいい。

 屋上もそうではあるんだけど、天気がどうしても気になるんだよね。やっぱり生活するのには屋根が必要。


 それに、あの二人が、毎日適度な刺激を与えてくれる。


 女の子同士のイチャイチャ、あれはどっちかっていうと小さい子のセクハラなのかな? 挨拶みたいな位置づけになっていて、喰らった先輩の悲鳴を聞かないとアタシは今日が来た気がしないまでになっていた。


 二人は、どうやらこの部屋で部活をしているようだった。

 会話から拾ったところでは、キョウケン、郷土史研究会といって、地域の歴史を研究する部活、というのが建前の。


 建前、というのは、二人のこの部屋での時間は、ほぼ紅茶を飲みながらの雑談に費やされるから、そう言いたくなった。

 部活って、もうちょっと何かを頑張るものだとばかり、部活に入ったことの無いアタシは考えてたんだ。


 でも、雑談といっても、二人のはレベルが違っていて、古典や歴史の話にはじまり、進化論みたいな生命の起源に迫ってると思えば、宇宙の神秘に至るまで、といった感じの、何て言うんだろうな、そう、アカデミックな感じ。


 アタシはそういう難しい話あんまり考えない方だったんだけど、ほら、こんな透明人間な状況で刺激少ないからさ、二人の会話についていきたくなって、自分でもいろいろ勉強したんだよ。


 学校の勉強以外で、こんなに勉強したのは初めてかもしれない。

 夜の図書室に籠もったりもしたし。


 そんな二人も、最近は、文化祭での発表に向けて、これまで集めた資料の整理をして、発表のテーマを考えているみたいだった。

 城跡や、神社、記念碑なんかの写真を並べては、ああでもない、こうでもないと、議論している。


 それが一段落した頃だったか……。



『そういえば、聞いたか、浅井、例の噂』


『例の噂と言いますと、戦国武将の上杉謙信実は男だった、とかですか?』


『いや……嫌いじゃないが、それはかなり前からある説だろう。学校の噂だ、学校の』


『といいますと……体育の高橋先生と音楽のたちばな先生がデキてる、という方ですか?』


『何!? あの二人デキてるのか? 確かに高橋先生は、誠実そうな頼れる男性という感じではあるが、その、こんなことを言ってはいけないかもしれないが、割と気が強いタイプの橘先生には物足りなく感じられるのでは、という気がするのだが』


『橘先生の乙女心がわかっていませんね、北条先輩は。そういう強気な乙女ほど、時にもろくなってしまう時もあるのですよ。北条先輩だってそうではありませんか』


『な、何? 今度は私か!?』


『華麗で、男女どちらをもふり向かせる、高貴で近寄りがたさすらある、隙が無い、そんな一見完璧乙女でありながら、一皮むけば……私は毎日堪能させていただいております!』


 飛びかかる小さい子。



『お、おい、今日はもうかなりやっただろう……あああ、力が抜ける、抜けるからそこを、そんなに優しく触らないでくれえええええ』


 ……しばらく、ちょっとこれは男子に見せたらまずいんじゃないかな? というシーンがアタシの目の前で繰り広げられた。


 べつに、一線を超えることは、一切していないんだけど、何だろう、この見てはいけないかもな感じは。


 どう見ても、小さい子がお姉さんとスキンシップしている図なのに……ああそうか、お姉さんの方が声も反応も色っぽすぎるからだ!



『……というわけです』


『わ、わかったよ……ハアハア』


 黒髪の先輩は今日も陥落。涙目。

 何度めかはわからない。

 セーラー服を整える仕草が、何かが終わった後という感じを醸し出さずにはいられない。



『いや、でもな、浅井。違うんだ』


『ああ、噂のことですね。私の学年で行方不明の女の子がいるっていう』



 アタシは息が止まりそうになった。



『何だ、知ってたのか』


『同じクラスに知り合いがいますので。その子は急に休んで、それが続いて。前日まで、普通にしていたから、おかしいと思っていたら、ホームルームで先生が、クラスの全員に尋ねたそうです。彼女について、何か知ってる者はいないかと』


 学年棟の方には、最初の日以来行っていなかった。

 仲の良い子だっていることはいるんだ。

 でも、だからこそ行けなかった。


 アタシのいない教室で、アタシについて話されていることを聞いてしまったから……お母さんのこと、悪く言われてた。

 みんながみんなじゃなかったけど、でも、ね。

 怖かったんだ。

 ひょっとしたら、って思って。


『いったい彼女に何があったんだろうな。酷い目にあわされていないといいが……』


『案外、近くにいるのでは、と私は思うのですが……』


『何か言ったか? 浅井?』


『いいえ、何も』

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