第97話 お嬢様の真実5 少女二人

 アタシは慌てて隠れる。

 考えてみると隠れても仕方ないんだけど、人間っていうのは身にしみこんだ何かがあるんだ、まったく。


 入ってきたのは、小柄な女子生徒だった。

 小柄といってもそんじょそこらの小柄では無く、最初見たときは小学生かと思ったほど。


 リボンの色から同じ学年だと分かったときは衝撃を受けた。

 いや、冷静に考えてみると、一年生より下は無いんだけど……。


 ともかく、この子は、アニメの可愛い枠キャラか!

 そう思えたんだ。



『……?』


 その子は、本棚の紅茶コーナーを見て首を傾げていた。


『いつもと位置が違う? 私と北条先輩のめくるめく幸せの空間に、何者かが……侵入した?』


 スマートフォンを取り出すと、何枚か写真を撮る。

 その後考え込んではいたんだけど、やがて、茶葉の缶の位置を変えてこう言った。


『これで良し。まあ、変に心配させてしまってもいけませんし』


 そして、ポットを持って部屋を出て行ったんだ。


 しかし、鋭い子だ。

 体は子供、中身は大人だったりする系なのだろうか。

 いやこれ現実だった。


 でも、怪しまれはしたけれど、考えてみると証拠とかありえない。

 アタシはほっと一息ついた。



 その時また扉が開いた!



 さっきの子がもう、戻ってきた!?

 やっぱり身構えちゃうんだよね。


 でも違ってた。


 入り口から入ってきたのは、長い黒髪の女の子。

 ちょっと高めの身長に切れ長の目。


 格好良い美人さんキャラってとこかな?

 アニメだと性格によって男女どちらの需要も満たせそうな感じ。

 リボンの色から、彼女は二年生だと分かった。

  

 彼女は、さっきまでポットがあった辺りを見て、微笑む。


『浅井はもう来てるのか。では私は茶葉の準備をするとするかな……今日は頭がすっきりしそうなアールグレイでいこう』


 鼻歌を歌いながら、棚から茶葉の缶をひとつ手に取って、ティースプーンで掬い、ティーサーバの中に入れる。


 そうこうしているうちに先ほどの小さい子が戻ってきた。


『浅井、お湯の調達、ご苦労だったな』


『北条先輩のためなら、たとえ火の中水の底、ですよ』


『「水の中」でないのが風流だな。平家物語は、平維盛の妻への愛の言葉か……ではこちらも返しておくか「火にも水にもわれなけなくに」、何だか照れるな……これは』


『万葉集の恋の歌ですね……もう我慢できません、先輩~』


『こ、こらポットをまず机に置くんだ、あさいいいいい』


『では、ポットを置きまして、っと。先輩~』


『こ、こらこら、だから、置けばいいってもんじゃないだろう~』


 抱き合っている……。


 正確には、もう我慢できないとばかりに、小さい子が黒髪の先輩の胸に飛び込んでいった。

 長机に先輩を押し倒し、その胸に頭をすりつけている。


 先輩の方は赤くなり、困った顔をしながらも、小さな彼女を無下にすることはできないみたいで、『しかたがないなっ』といいながら頭を撫でてる。


 ……どうしよう、とんでもないところ来ちゃったよ。

 思ってしまったけれど、動けなかったんだ。

 ほら、こういう時って女子だって目が離せないんだって。


 しかし、アタシにとって幸運なことにか残念なことにか、二人はそういう関係ではなかったらしい。


『これで今日の北条先輩分は摂取できました』


 少したつと、小さな子は、すくっと起き上がった。

 とても満足げな顔。


 対して先輩は気まずそうに、両手で胸のあたりを覆ってた。


『こういう時、何だかいつも思うんだが、穢されたというか、何か大事なモノを失ったというか……その……いや、いいんだ、お前が喜んでくれているのなら、私の体なんて』


『……! 先輩~』


『ふおっ、あ、あさい~?』



 また、始まった……。

 信じられないことに、このやりとりがこの後何回か続いたんだよ。



『今日はもうお腹いっぱいですので、準備運動はこの辺りにしておきましょう』


 しばらく、二人でキャアキャアした後、小さい子が色つやの良くなった顔で、それはもうたらふくだという感じでこう言った。



『準備のし過ぎだ……ハアハア』


 こっちは疲れ切ってる様子で息を整えてた。

 お肌が荒れてそうなのは、気のせいだと思ってあげたい。



『先輩、とりあえず紅茶をいただきましょう。お疲れのご様子ですので、今日は私がお注ぎしますね』


『誰のせいで、疲れたと思ってるんだ……』


 小さい子は、ポットからティーサーバにお湯を注ぎ、少したってから、カップに紅茶を注いだ。

 とても綺麗な色で、柑橘系の混じった良い匂いがふんわりとその場に広がった。


『ありがとう、浅井』


 カップを受け取った黒髪の先輩は、これで一息ついたようだ。


『昨日のクッキーの残りがありますね。個包装ではありますが、今日全部いただいてしまいましょう』


『おいおい、私たち、二人なんだぞ、食べきれるのか』


『北条先輩、乙女には別腹というものがあるでしょう、別腹』


『……浅井はどんなに食べても太らないタイプだったな』


 なるほど、この小さい子、上にも伸びないけど横にも増えないのか……ちょっと羨ましい、ってアタシは思った。


『お褒めいただき光栄です』


『いや、褒めてるわけじゃ……そういえば、このクッキー今まで大事にとってたように思ってたんだが、何か心境の変化があったのか?』


『急な大地震があった場合等有事の際を考慮し、とっておいたほうが良いと思っていたのですが、今日の授業中に先生にうかがったお話から、いらなそうだと思いまして』


『どういうことだ?』


『そういった有事の際には、学校から生徒が帰れなかったりすることもありますから、実は全校生徒が三日間は余裕で過ごせる量の非常食が倉庫にあるそうなんです』


 非常食!


 アタシはこの場に居合わせた幸運に感謝した。

 どこにしまってあろうと、鍵がかかっていようとアタシには関係ない。


 非常食って、あんまり美味しくないっていうけど、背に腹は代えられない。

 それに、おそらく学校で食べることを想定したものだ、そのまま食べられるものかもしれないし、最低でも家庭科室でお湯とか用意すれば、食べられるようになってるはずだ。


 厳密には、スーパーの食品を盗るのと一緒で、ドロボウには違いないけれど、自分にとっては有事の際なんだから許されるという屁理屈な理屈もあるし、こっちの方が、罪悪感は少ない。



 こうしてアタシは、社会科準備室の二人、特に小さい子のお陰で、食料を手に入れた。


 これで学校での衣食住は完璧。


 そして社会科準備室、なぜかこの部屋をアタシは気にいってしまった。

 紅茶をこっそりいただこうっていうのはもちろんあるんだけど、何だろう、最初の印象ってやつかな、あの二人の楽しそうな雰囲気が、良いなって思ったんだ。


 だから、ここに住むことにした。


 おウチのこと、お母さんと今のお父さんのこと、気になりはしたけど、標本になるのは嫌だし、それに、アタシがいないほうが二人は幸せになれる。


 神様もきっとそれが良いと思ったから、アタシを透明にしたに違いない。


 そう思ってた。

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