第110話 清姫は語る Ⅱ 山の主
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今回のお話は冬美の独白ですが、一部、食事中にお読みになると、不快となる可能性がある箇所がございます。例によって曖昧表現なので想像力逞しい方でなければ問題ないかと思われますが、ご注意願います。
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ご存知だと思いますが、私は剣道一筋でした。
父が元国体選手で、それもあって、物心ついたときから竹刀が私の友でしたから。
小学校に入学する前から、近くの道場に通い、ずっとです。
でも、別に辛くは無かったんですよ。
私にとって、剣道の修練は、いわゆる歯磨きのようなもので、毎日するのが自然なんです。
だから、むしろ風邪などひいて寝込んだ日は、違う意味でも調子が出ないんですよ。
これは今も昔も変わりません。
中学校に入ってからは、剣道部。
高校に進んでも、剣道一筋、これは変わらない。
そう思っていました。
あれは、確か高校に入学して少しした頃。
あるとき、帰り道で、何かが飛んできたのです。
薄い水色の薄い布?
風の悪戯か、私の体に巻き付きました。
どこから来たのだろう?
返さなければ。
しかし、見当も付きません。
仕方が無いので家に持ち帰りました。
色を気に入ってしまった、こともあるかもしれません。
首に巻くのは目立ってしまうので、手首に巻いたりして、もう自分のものにしてしまいました。
おそらく、この時既に私は『
その日からです。
毎日夢を見るようになったのは。
最初は小さな蛇が一匹。
赤い目をしていました。
私のことを遠くから見ています。
次の日、またその次も蛇は夢の中に現れました。
次第に数を増して行き、気がつけば私は周りを蛇の群に囲まれていたのです。
抵抗しなければ! との思いはありましたが、夢の中では体が動きません。
動けないのです。
そして……最後には私は夢の中で、蛇に巻き付かれ、締めつけられ、蛇の海を漂う中で、私自身も蛇になっていました……。
もちろん夢です。
まだ、この時は。
目覚めると、いつもの私です。
人間の手と足であることを確認するだけでこんなに安心するなんて。
そして私は、鏡を見て自分の変化を悟るのです。
顔をあらったときに、頬の辺りに何かひっかかりを感じました。
『鱗……』
よく見ないとアザのようにも見えなくありませんが、確かに夢に見た蛇の鱗に似ていました。
どうしよう……と悩みはしましたが、蛇の夢を見ていたら、蛇の鱗が生えてきただなんて、誰にも言えません。
とりあえず絆創膏を貼って誤魔化しました。
他に対処は思いつきませんでしたから。
これを見た両親も、クラスメートも訝しがるというよりは心配してくれたものです。
本当の事を言えない私は、とても悲しかった。
もっとも、これで終わっていたら、悲しいだけで済んだのですが、そうはいかなかった。
その日の部活は実戦形式の稽古だったのです。
それなりに、自分の力に自信はあるつもりではありますが、やはり父の名を汚してはいけないと、プレッシャーのようなものは感じるのです。
不遜な物言いではありますが、獅子はどんな戦いでも全力を尽くすといいます。私は、この日も全力で勝負に臨みました。
その勢いで何度か立ち会った後、面を脱いで一息ついた私の顔を見て、友人が顔色を変えて言うのです。
『あざ? ひろがってない? 大丈夫?』
すぐにお手洗いに行き、鏡で確認しました。
『!』
それなりに大きな絆創膏だったのですが、はみ出る程に鱗が生えてきていました。
それから、顔だけでなくよく見ると、手の甲や他のところも。
私は鱗が既に目立つようになっていた顔をタオルでしっかり抑えると、三年生の部長に体調の悪化を訴え、部活を早退することの了承を取りました。
そして更衣室で、急いで着替えたのですが……。
もうこの時点で、かなり全身が変わってしまっていたようなのです。
ふいに入ってきた子が私を見て叫びました。
『ば、ばけもの!』
そして、その場で倒れてしまったのです……。
手を見ると、何ということでしょう。
人の手とは思えない、鱗の塊のような……。
顔を触ってもシャリシャリした感触です。
どうしよう……。
私は恐慌に陥ります。
でもこれだけはわかります。
今の私は、ばけもの。
ここにいてはいけない。
何か無いかと他の子のロッカーをあさり、帽子とフード付きのパーカー、それに大きめのマスクを手に入れました。
お行儀が良くないどころか、犯罪であるとは認識していましたが、背に腹は代えられません。
私はジャージの上にパーカーを羽織り、帽子を被ると、そのまま走りました。
とにかく、学校の外へ。
すれ違う生徒全員の、奇妙なものを見る視線を感じます。
私は走りました。
でも、家に向かう途中で気がついたのです。
この姿で家に帰っても……と。
悩んだ私は、とにかく人のいない方へ、山の方へ向かうことにしました。なるべく人とすれ違わないように、ただそれだけを考えて。
日が暮れたときはほっとしたものです。
これで、見つかりにくくなる。
夜の闇がこれほど嬉しいことはなかった。
自分でも感じるのです。
全身の皮膚がカサカサする。
どんどん自分でない自分に作りかえられてゆく。
しかし、明けない夜は無いのです。
私はとにかく、夜のうちにと、暗闇の中、山の中、木々の中、道無き道を奥へ奥へと、向かいます。
……どれほど走ったか、わからないのですが、気がつくと目の前の木々の間に開けた空間が見えました。
『ここは……神社?』
月明かりに照らされて見えたのは、いかにも人が来そうにない、取り残され忘れ去られたような雰囲気のある古びた神社。
ここで私は、ようやく一息つけたのです。
そして、疲れ切った私は本殿の中で眠りについたのだと思います。
翌日、目覚めた私は、自分の体の異変に気がつきます。
ええ、そうです。
寝返りをうとうとして波打つ体でわかったのです。
完全に蛇の体となっていました。
傍らには、私の着ていた服の残骸が引き裂かれたかのように散らばっています……。
夢であってほしかった。
悪夢ならば早く醒めて欲しい。
しかし、現実だったのです。
何度も寝て起きてを繰り返しましたが、状況は変わりませんでした。
納得するしかなくなった私は、頭で本殿の扉を明け、外に出ました。
恐る恐る周囲を見回し、しゅるりしゅるりと、木々の間をぬって偵察しましたが、周りに人影はありません。
安心した私は探索の輪を広げました。
どうしようもない事情があったからに他なりません。
お腹がすいたのです……。
蛇となっても、なったからこそでしょうか、本能には逆らえなかった。
神社から少しいったところに湖がありました。
ここで私は、おなかのすいていたのも忘れて、ざぶんと飛び込みます。
蛇の体となっても、やはり気になって、水を浴びたかったのです。
ひとしきり、体を洗い、堪能すると、さらに周りを見て回りました。もう少しいったところに、キャンプ場はありますが、オフシーズンだったこともあり人気がありません。
しかし、人気がないところには食べ物も無いのです。
そもそもこの体では、人のいるところにはいけません。
……
やはりこの話題はここまでにしておきます
ここで私が何をどう食べていたかは、言えません。
ただ、人は食べていないので、それだけは疑わないでください。
山には動物が意外にいますから……ね。
あの子たちが、持ってきてくれたものを食べていました、とだけ。
そう、私の周りには、いつのまにか他の蛇達が集まってきていたのです。
まるで私は山の主。
そして、蛇達は私に、捧げ物をしてくれた、のです。
……
それから、どれほど、月日がたったのかはわかりません。
絶望してとにかく人に見つからないようにと、それだけ祈って隠れる毎日でしたから。
でも、永遠に続くと思っていた、この生活にも終わりはやってきたのです。思いもよらない形で。
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