第59話 少女A
「え? 俺の名前知ってるの?」
「そうね、同じ高校の生徒の名前は全員覚えているから」
この口ぶり、彼女は同じ高校なのか。
声はどこかで聞いたことがあるような気がしなくも無いが、どこでだったか思い出せないから勘違いかもしれない。
しかし、あっさりと恐ろしいことを言う。
うちの高校の生徒数は約七百人。
それを全員覚えている生徒が果たして何人いるだろうか。
転校生であるとはいえ、虎は、同じクラスの生徒と、キョウケンメンバーの他には、蒲生との一件でお世話になった具くらいしかわからない。
普通は、このくらいではないだろうか。
身の回りの人間を覚えるのが関の山というもの。
「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら」
考え事をしている間に、彼女は虎に歩みよってきていた。
「いや、こっちこそ、知り合いと勘違いして、ごめん」
「……」
彼女はじっとこちらを見ている。
「あ、あの、何か?」
「一応、私の方が上級生だから、『ごめん』は無いかなって」
「せ、先輩ですか!? す、すみません。も、申し訳ありません」
くすりと笑われた。
翻弄されている。
ここは、モフモフで誤魔化すべきだろう。
「あ、ハムスターでも、モルモットでも、お好きなのをどうぞ」
卑屈にも勧める。
だが、ここで虎は気がついたのだ。
彼女は餌を持ってきていない。
第一この格好は、動物とふれあう前提の格好ではない。
彼女は、いったい……?
「ありがとう。でも、動物とふれあいに来たわけじゃないの」
「えっ!?」
「あなたが一人になるのを待っていたのよ」
意味ありげな微笑。
虎の彼女の第一印象は『可憐』『深窓の令嬢』。
そんな彼女に、こんな言葉を言われてしまっては、男として、何かを期待せずにはいられない。
ごくりと唾を飲み込む虎だった。
この先輩は、遊園地か、この高天原で、自分を見かけて追いかけてきてくれたのだ。
ん、まてよ……。
よくよく考えてみる。
大変失礼ではあるが、この人気の無いテーマパークに、ゴールデンウィークとはいえ、遊びにくるだろうか?
普通は、来ない気がする。
百歩譲って、彼女が偶然遊びに来ていて、さらに意中の自分と偶然に出会ったという仮定をしてみても、彼女の格好が厳しすぎる。
この衣装では流石にバスに乗れないだろう。
東京の原宿ではないのだ、ここは平和な田舎なのである。
奥様達どころか旦那達も、ヒソヒソどころかガヤガヤしてしまう。
突如として崩れる平和、全くいたたまれない。
友達、家族と車で来たとか?
この格好は止められるのではないだろうか。
少なくとも、遊園地やテーマパークを楽しむための格好ではない。
となると、彼女は、言葉通り、最初から自分、秋山虎が目的で、この場所に来ていると推測される。
この想像は、悪い気はしない、しないのだが、どこか恐ろしい。
それは、今日の自分の行動を彼女が知っていたことになるからだ。
絶対に有り得ないのだ。
まず、今日出かけるということは、キョウケンの仲間しか知らないはずだ。
加えて、波瑠は目的地を明らかにせず、必要な予算のみをメンバーに伝えていた。おそらくサプライズのために。
行く先が、ワンダフルランド、高天原というのは全員今日ここに来てから知ったのである。
つまり、事前に知っていたのは波瑠のみ。
そうか、波瑠の知り合いで、彼女から聞いていたということが可能性として残される。
波瑠が、この手の内容を誰かに話すとは、考えづらいが。
虎は、こちらを窺う彼女を、今は警戒しながら言葉を紡いだ。
「どういうことですか?」
言いつつ虎は気づいた。
彼女から、ただならぬ気配が漂っている。
何かはわからないが、そう、山で大猪に襲われたとき、屋上で九尾狐が現れたとき、蒲生が蛇神、もとい龍身となったとき、あの時感じた何かが彼女にもある、そんな気がする。
あれ……体が動かないぞ。
金縛り状態で焦る虎に向かって、彼女は口を開く。
「どうしてかって、それはね、あなたを確かめたいから。では、失礼するわ」
彼女が近づいてくる。
その目の奥の輝きの色が、何か変わった気がした。
途端に、えもいわれぬ気持ち悪さが、虎を襲った。
風邪をひいて高熱を出している時のような、頭の痛さ、吐き気、三半規管の不調。
もう耐えられない――
……
「秋山、しっかりしろ、秋山っ!」
揺さぶられて、目を開くと、そこには目の周りを赤くした波瑠の顔があった。
いつもに増して近い!
「せ、先輩、ち、近いですよ!」
「……あ、きやま~」
そのまま正面から抱きついてくる。
背中が床なだけに、避けようが無い。
虎は、胸に当たる柔らかい感触どころか、全身に重なる女性の体という、およそ未経験の状況に、どうして良いものかわからず、自主的に金縛りにあっていた。
今日の波瑠も、あいかわらず柑橘系だったが、これでは自分の体もその香りで満たされてしまいそうだ。
動けない中、勇者は力を振り絞り、あらん限り叫ぶ。
「せ、先輩、離れて、離れてください。俺、大丈夫、大丈夫ですから」
必死に無事を訴えた結果、安心したのか、なんとか離れてもらえた。
ようやく呼吸を整えられた。
もちろん、ちょっと勿体ない気もしなくはないが、あれ以上続けられると変な気持ちになってしまいそうで、怖かったのだ。
半端な自分だ。
今はこれでいい。
「お前な~、戻ってきたら倒れているから、何事かと思うじゃないか」
「すみません。気持ち悪くなっちゃって、俺」
「何だと、それは大丈夫じゃないだろう。今日はもう帰るか?」
しまった、また心配そうな顔になっている。
今は何ともないことのアピールが必要そうだ。
「違います。違います。さっき、不思議なお嬢様っぽい感じの女子の先輩に見つめられたら、何が何だかわからないうちに、気持ち悪くなったんです。今はもう回復してますから」
「不思議なお嬢様っぽい女子の先輩? 私の別人格とかではないよな?」
変化球を決めてきた。
「どうしてそういう発想になるんですか、波瑠先輩。そうだ、ここにいませんでした、彼女? もしくは、来るときすれ違うとか」
「いや、戻ってきたときには、床に倒れているお前しかいなかったぞ。ここまで来る間にも誰も会わなかったな。ひょっとして、高天原、キョウケンしかいないんじゃないかと思ったくらいだ」
「……」
「というかだな、秋山さっきの発言はひどくないか? 私だって夢見る女子高生なんだぞ。お前は目上の人間に追従的なことぐらいは言えないのか? コミュニケーションだぞ、コミュニケーション。それは、私は、年上の先輩だし、私自身が扱いづらい人間だというのも知っているが、だが、だからこそ……」
波瑠の話はまだまだ続いていたが、虎は、あのゴスロリ先輩が気になってそれどころではなかった。
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