第76話 肝試し 肆

「もうこんな時間か!」


 市花の語りが、波瑠先輩との出会いのシーンまで来たところで、校舎の時計を見ると、かなりの時間が経過していた。


 二人はゴミ捨てを早々に終えると、教室に戻り、鞄を持って急ぎ社会科準備室へ向かう。


 いつもであれば、掃除の間も、直と佐保理が待っていてくれるのだが、今日は学校の近所の神社にお参りに行っている。

 念入りに祈ってくるから、先に行くようにと言われているのだ。



「けれど、調べてはみたのですが、過去にウチの高校で飛び降り自殺があったことは、無かったのですよ」


 市花は、思い出したように言った。


 学校に不都合な事実は、秘されることが多いとは思うが、自殺ともなると事件であるから、隠すことは難しいだろうし、絶対の調査能力を持つ彼女がそう言うのであれば、無いのだろう。



「だから、今回の事件、怨霊説、地縛霊説は、ちょっと根拠が薄いですね。もっとも、霊自体が科学的に実証されていませんから、我々の預かりしらぬ事情で学校にいるのかもしれません」


「な、なるほど……」


「忘れてはいけないのが、七不思議が最近成立したという点です。だから、原因が何であるせよ、これは、十種の力であるという可能性が高い、そう北条先輩はおっしゃっておられました」



 今回の、夜の調査は、市花と相談の上決めたのだと、波瑠が言っていたのを虎は思い出す。

 二人はいつもこんな感じに、論理的に物事を考え、分析しているのか、自分では全く及ばない。



「そうそう、秋山くんには期待していると言ってましたよ、先輩」


「えっ!?」


「八握剣は、邪を祓う剣。相手が魑魅魍魎であろうと、それを操る者であっても対抗しうると」


「そういうことか……」


 結局、自分よりは剣。

 少し寂しい気分になる。



「それから、今まで、穴山さん、蒲生さんと戦い、彼女達を救った秋山くんであれば、きっと今回も救えるだろうと」


「市花……楽しんでるだろ?」


 市花は、悪戯そうに笑った。




 そうこうしている間に、社会科準備室に到着。

 いつもどおり扉をあけると、そこはいつもどおりではなかった。


 長机の脇に、見慣れない人物がひとり。

 机に片肘をついて、もう一方の手で本を広げ、読んでいる。


 後ろ手に纏めて流されている綺麗な長い髪、ほっそりした体軀は、一瞬女性と見まごうほどであったが、本を片手にしたままこちらを向いたその顔で、虎は、彼こそが彼の人物であると悟った。


 丸い眼鏡に、所々にそり残しの髭。



「木下先生、こんにちわです!」


 市花が彼に駆け寄って行く。


「やあ、浅井、元気そうだね」


「その本、最近出たものですね。ついに邪馬台国の位置がわかったのですか!?」



 どうやら、市花は、彼自身ではなく、手元の本に吸い寄せられたのだと知り、虎はなぜか安心する。



「いやいや、そんなに簡単にわかりはしないよ。イメージとしては、奈良の遺跡で出た新たな出土品をもとに、当時の中国との関係性を論じ、また、大和朝廷への繋がりを示唆することで、空白の四世紀を埋めようと努力している感じさ」


「なるほど、なるほど」


 市花はニコニコしながら、彼の語る歴史の話を聞いている。


「浅井は知っていたと思うが、邪馬台国が九州か畿内のどちらにあったかの位置論争は、江戸時代の新井白石辺りから三百年の歴史がある。それぞれが学派になっていて、学説が補強されるような遺跡が発見されたり、新たな出土品がある度に、各陣営からこうして本がでる」


 市花も言っていたが、邪馬台国の所在地についての、九州VS奈良の戦いは、果てしが無いようだ。


「だからなかなか決着はつかないが、大事なのは、この一見終わりそうに無い争いの中でも、次々に古代史、考古学上有意義な発見がなされているということだ。歴史を愛する者として、好奇心は尽きない。どんどん続いてほしいものだよ」


「そうです! そして、そこに私の説が割り込む余地もあると思うのですよ!」


「浅井の、『邪馬台国=高天原』説は面白い。面白いんだが、それでは遺跡が出土しないから、実証ができないだろう」


「いいえ、だからこそ、決定的な証拠がなかなか出てこないと思うのですよ。中つ国の九州を『三種の神器』のイワレビコが、奈良ことヤマトを『十種神宝』のニギハヤヒが制圧し、最後に両者が激突して、融和の末に誕生したのが、大和朝廷、その過程で失われた邪馬台国こと高天原。それは、卑弥呼ことアマテラスの国。きっと、その証拠を私はつかんで見せます!」



 彼女は輝いていた。


 もちろん虎には、彼女の言っていることは十分に理解できているとは言いがたい。


 ただ、好きなもの、やりたいこと、それがある人間が、それを語る姿というのはこんなにも眩しいのだと、そう感じたのだ。



「夢が大きくて、日本史教師としては嬉しいな……おっと、そういえば」


 この時、話が一段落して、虎が放置状態であるのに、彼は気がついたらしい。



「……そっちは、例の転校生君か。お初にお目にかかる。北条から聞いているとは思うが、私が木下きのしたしゅう、日本史教師にして、キョウケンの顧問をしている。一応、という感じで、申し訳ないがな」


「二年の秋山虎です。俺、日本史とか正直全然わからなくて、すみません。よろしくお願いします」


「あーあー、そんなことは気にしなくていい。『わからない』だから、いいんじゃないか」


「えっ!? いいんですか?」


 てっきり慰められるか、頑張れと言われるかと思っていた。

 まさか、いい、と言われてしまうとは。


「その状態は、しがらみもなく、これから学べることがたくさんあるってことだ。これは、何についてでも、本当のところはどんな人だって一生変わらないと思うんだが、年をとると、そうもいかないことが多い。だから、今の気持ちを大事にして、素直に全てに触れてみて欲しい。何も気にせずに」



 波瑠先輩が『楽しみにしていろ』と言っていたのが、わかった気がした。


 言葉で上手く言い表せない。

 きっとこれも『わからない』ということなのだろう。


 ただ、その『わからない』ことが、ついさっきまでと違って感じられる。


 この先生は……この先生に日本史を習ってみたい。

 虎は今習っている先生に申し訳なさを感じつつも、そう思わずにはいられなかった。



「何も気にしないのはダメですよ、先生。今日もワイシャツ、アイロンかけていませんね」


「バレたか。形状記憶だからイケると思ったんだけどな」


「秋山くん、木下先生は確かにイイ先生です。ですが、見習うべきところと、そうでないところは要注意ですからね!」


 市花は、顧問教師とはいえ容赦がない。

 長髪を指でくるくるさせて困っている木下先生。

 虎は、先ほどまでの尊敬の念に加え、何ともいえない親近感まで感じてしまったのだった。


「そういえば、波瑠……北条先輩はいないんですか? 先生と一緒にいるのかと思ってたんですが」


「ああ、あまりに遅いから、君達を呼びにいくと言って、さっき出て行ったな」


 これは波瑠にこっぴどく怒られそうだと予感する虎だった。



――――――――――――



 変化が無いまま、夜がふけて行く。

 今度は向こうがこない。

 二人とも放課後に待たせてしまったから文句は言えないが、夜だけに心配になる。


 そんなことを考えていた時だった――



「秋山くん、影が……」



 ターゲットを虎から屋上に変更した双眼鏡を手に、市花が声をあげた。

 それは肉眼でも確認できた。

 確かに女子生徒のように見える。

 はっきりとわかるわけではないが、体の動き、体格からの推測。


 鼓動が早くなる。

 同時に両腕を握る、左右の手と手の力が強くなる。

 これは動けない……。


 あきらめて、とりあえず、市花の実況に全て任せることにした。



「あ……揺れています……


 あ あ  あ……


  あ っ !」



 ドサッ

 明らかに何かそれなりの重さのある物体が、地面に激突した音がした。

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