第6話 いつもの朝

「いーっってえええええ!」


 虎は絶叫した。

 頭が酷く痛む。


 頭をさすりながら、目をあけた彼の前には、木刀を手に持ち呆然とするなおの姿があった。


「ご、ごめん。痛かった? 軽く突っついただけなんだけど」


つや、酷いよ。頭が割れるかと思ったぞ。だから俺は待てって言ったのに……」


「つや? 痛そうなのに、まだ寝ぼけてるの? とら」


「あれ?」


 よくよく見ると、いやよく見なくても、彼女が着ているのはまごうことなき、学校指定のセーラー服。


 左右を確認すると、ここは、自宅の自分の部屋。

 時計は六時半をまわったところだ。


 そして、冷静になると、頭もそんなに痛くない。


 さっきのは、全て、夢だったということか。



 虎は、そこまで考えると、自分の夢の中に、学校の二人の女子が登場していたという事実にとても困ってしまった。


 確かにどちらも何がしか魅力的な女子ではあるのだとは思う。

 しかし、罪悪感が半端ない。

 何かしたわけでも無いのに、とても悪いことをした気になる。

 その一方の当人が目の前にいる状況ではとくにそう感じないではいられない。


 そのため、どうしても直の顔を真っ直ぐ見ることができなかった。

 ベッドの上で頭を抱えて下を向く。


 直の側はというと、この虎の様子に、自分がかなり痛い思いをさせてしまったのだと勘違いしてしまったらしく、こちらはこちらで困った様子だった。


「そんなに痛かった? ごめんね、とら。これ、えつこさんが使っていいって持たされちゃったの、それでね……」


 犯人は母親えつこだったか。


 昨日の夕食といい、お陰でこっちは散々だ。

 細かいことを気にしなさすぎるのはやっぱりダメだ、NGだ。

 虎は母親にいろいろなものを押しつけて精神的に回復しつつ、ふと思い出す。


「まさか、これが『いい夢』なのか」


「どうしたの? とら? やっぱり何だか変だよ。打ち所悪かったのかな、ごめん。本当にごめん」


「そうじゃなくて……ああっ、やばい、もうこんな時間か」


 時計を見ると、そろそろ学校に行く支度を始めるべき時間となっていた。



 岐阜に引っ越しして来て、虎が驚いたことの一つだったが、地方の電車は、東京と違って、本数が少ない。


 朝の電車を一本乗り過ごすだけで最初の授業に間に合わないくらいだ。

 何せ一時間に一本も走っていないのだから。

 今まで夏休み等でこちらに遊びに来ていた際は全く気にしていなかったが、住んでみてわかること、というのはあるものである。


 もっとも、クラスの友人に不満を漏らしたところ、「お前の住んでるところは特にそうだよな。頑張れ、応援してるぞ」と言っていたので、この電車事情は地域によって異なるのかもしれない。


 だが、問題は自分が通学で乗る電車なのだ!

 応援されても仕方ない……いや、嬉しくはあるか。


 東京から引っ越ししてきたばかりの自分に色眼鏡を使わず、こうして気安く接してくれる者が多いのは、有難い。


 これはきっと、隣の家に住んでいる、世話好きな幼馴染おさななじみのお蔭だろう。



 虎は、直を部屋の外に出させると、急いでパジャマから制服に着替えた。

 串で髪を整え、部屋の脇に設えられた鏡の前でポーズを取る。こんなときでも、いや、こんなときだからこそ、身だしなみは忘れてはいけない。


 よし、いいだろう。


 部屋を出て、洗面所で洗顔などを超特急に済ませてから、廊下で待っていた直と合流し、階段を降りる。


 母親から「ちょっと、虎、朝食は?」と促されるが「ごめん、時間がない」と振り切り、電光石火で靴を履いて外に出た。


 後ろで「待ちなさいよ、とら~」と直が叫んでいる。

 ようやく、いつもの調子を取り戻せた気がした虎だった。



――――――――――――



「もー走りすぎだよ、とら」


 口をとがらせる直。

 何とか電車の時間に間に合い、駅の前でようやく二人は一息ついた。


「悪い悪い」


 母親えつこからだと、渡されたパンを受け取り、袋を開けて噛り付く。

 鼻孔にカレーの匂いが漂う。

 これはカレー好きな息子への配慮の一品なのだろう。

 虎は、母親への感謝も味わいながら、あっという間にそれを食べつくした。


「お腹すいてたんじゃない。ちゃんと食べないとだめだよ、とら」


 これも母親えつこからの支給だと、直から、パックの牛乳が差し出される。

 ストローをつっこみ、一気に吸う。

 瞬く間に、パックから空になった音がした。


「よっし、これで準備万端。いこうぜ、直」



 自宅最寄り駅であるこの岩山駅の木造の駅舎は、コンクリートが当たり前の環境に育った虎にとってはいまだに新鮮みが薄れない。


 出入り口側、ホーム側共に、左右に手で開閉する半分木でできた引き戸になっているのにも驚きだったし、朝も夕方も駅員がいないというのにも驚いた。


 転校してきてからも、やはり最初は抵抗があったが、流石にそこはもう慣れたもので、今日も直と二人、駅舎の中に張られた地域の催しのポスター等をちらりと見ながら余裕で通り抜ける。


 この駅舎もそうだが、それにも増して虎を驚嘆させたのは、駅から見て線路の向こう側にある上りホームへの渡り方だ。


 なんと、線路の上に降りて歩いて渡る。


 子供の頃に初めて見たときは、怖くて、大丈夫なのかと心配になったが、高校生になった今、冷静に考えると、列車が近づくとサイレンが鳴るし、そもそも一時間に一本も無い電車だ。危険は皆無と言って良いだろう。


 まあ、とは言え、本当に慣れたもんだよな、と少し誇らしいような気持ちで、今日も渡る。


 上りホームについては、朝なのでそれなりに人はいるが、東京の電車に慣れてしまっている虎にすると、あくまでそれなりといったところで、人混みで窮屈なことはない。

 駅の周りの緑が、朝の光に照らし出されて萌えている。

 今日も一日頑張れそうだと背筋を伸ばす。


 虎は、ふと直の方を見やり、彼女の穏やかな性格は、この心にゆとりを持てる環境によるのだろうか、と考えた。


「何かついてる? 私の顔」


 首を傾げる直に「何でも無い」と無理に誤魔化すと、折良くサイレンがなり始めた。


 一両編成の車両がゆったりと近づいてくる、そして止まる。


 この機会に便乗して、直を急かして乗ると、電車はまた来たときのようにゆっくりと動き始めた。


「そういえば虎、どうだったの?」


「どうだったって、何が?」


「昨日の朝言ってたじゃない、北条先輩に予言されたって」


 忘れているわけではなかった。


 それはあの夢を思い起こさせるものだったため、虎はその話題に触れるのをここまで避けていたのだ。


 しかし、このように真っ直ぐに見つめてくる直に対し、それは卑怯ではないかと彼は思った。そして、そうだ、話せば逆にこの思いから解放される、かもしれない、と自分の背中を押す。


 電車は加速する。


「本当だった」


「え?」


「確認できてるのは、全部、本当になった」


 そして語る。


 昨日、自宅に帰った自分を待っていたのは、2つの絶望だったと。

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