第84話 逮捕 2

「……離れません」



 決意の籠もった表情。

 そこにはいつもの茶化すような茶目っ気は一切無かった。


 だから虎はこんな状態であるに関わらず、何も言うことができなかった。


 市花の……本気を感じて。



「ど、どうしてよ……死ぬのよ。死んじゃうのよ。熱かったり、痛かったり、苦しい……嫌じゃ無いのかよッ?」


「その嫌なことを、あなたはずっと、何度も何度も、しているのですよね」


「な、何言って……!?」


「そんなあなたの気持ちが、知りたいのです。そして、私は簡単に人の気持ちが分かるものでないことは知っています。ですから、今日はあなたと運命を共にしますよ。おやりなさい。それがあなたの望むことであるのならば」


「あ、頭……オカシイんじゃないの?」


「よく言われます、とこの前も教えましたよ」



 市花は……


  こんなときであるのに……


 微笑んでいた。



「……なら、その頭のおかしさ、ためしてやるよッ!」



 次の瞬間、バリン、と大きな音がした。

 堅いモノがくだかれたような音。



 爆発では……ない?


 彼女の剣幕に思わず頭を覆ってしまった虎が、違和感に顔をあげると、二人の姿が消えている。


 どこだ?

 えっ……?


 空気の流れを感じた虎は、窓ガラスの大部分が割れて無くなっていることに気がついた。



「外かよっ」



 マッチに気をとられすぎていた。

 虎は別の窓をあけて、よじ登り、上を見上げる。


 化学実験室は、特別棟の三階。

 そう、この上は……屋上。


 二人は虎の頭上にいた。

 化学実験室から漏れ出る明かりのおかげで、二人の様子は虎の位置からでも窺うことができた。



「どうだ、こっちのほうがじかに肌に来る怖さだろう、先~輩ッ」


「そうですね。ですが、思っていたほどではありませんでした。重力加速度と質量を元に、地上まで落下した時にかかる力を計算するまでもなく、先週確認したあなたの惨状から、落下した結果が大体わかっているからだと思われます」



 生命の危機にあるというのに、市花の声は穏やかだった。



「どこまでも冷静かよ。ケッ、強がりやがって」


「いつもここから、飛び降りているのですね。そして、裂傷による出血と骨折、内臓損傷……相当の覚悟がなければ、できない。そこまでして、あなたは、なぜ、自分を殺したいのですか?」


「馬鹿じゃないのか? アンタ。世の中嫌なことだらけだからに決まってるだろ、そんなの」


「嘘、ですね……」



 市花はきっぱりと言った。

 真っ直ぐな瞳で、彼女の方を見据えながら。



「ど、どうしてそう思うんだよ?」


「あなたのクラスメートにいろいろ聞いてみたのですが、誰もあなたのことを悪く言わないのですよ。どころか、『掃除とか委員会、面倒ごとでも率先してやってくれる』『勉強でもスポーツでもついつい頼ってしまう』と感謝の言葉があふれていました。世の中嫌なことだらけの人間になるのには無理があります」


「そんなの、価値観によるだろうがッ! 決めつけんな!」


「そうですか、物の見方が違ってしまっているのですね、あなたは。となると、人から向けられる好意が却って自分の心を苦しめる……幸せになることがいけないと思っているのですか?」


「だから言ってるだろ、勝手にアタシの心を決めつけんな、って」


「ふむ、感情的になっているということは真実に近づいていますね。それはやはり、あなたが過去、入院中に行方不明になったことと何か関係があるのでしょうか?」


「何ッ!」


「あるのですね……」


「お前ッ、どこまで知ってるんだよ!」


「先輩に、お前呼ばわりですか、まあプライベートをのぞいているのはこちらですので、これについては、やむを得ませんかね」



 肩をすくめる市花。

 上杉菊理は相変わらず物凄い表情で彼女を睨んでいる。



「行方不明になった後、あなたを蝕んでいた不治の病は、嘘のように急速に完治し、退院したとか。これは明らかに十種神宝とくさのかんだから生玉いくたま』の呪い」


「何度も言ってるだろ、呪いなんて、知らねーよッ!」


「体の異変くらい気がついていたのでは? しかし、だとすると、生玉いくたまを手に入れた際の出来事が、あなたの行動原理の根幹を形作っている……何なのです?」


「もしそうだとしたって、お前に言うわけないだろッ!」


「強情ですね、あなたは。今日は雲一つ無い、こんなに雰囲気の良い夜空なのに。本当『月が綺麗ですね』……」


 市花が、星空を見上げると、呟いた。


 何の悪意も無く、彼女としては、ただただ、良い空気をつくろうとしたのだろう。


 しかし、隣にいる者は、この言葉を聞いたとたんに震え出す。



「や、八重やえ……? お前まさか……、でも八重は……」



 声の調子が急に変わっている。何を動揺しているのだろうか?


 市花はこの彼女の異変に首を傾げながらも、続ける。



「どうしました? 八重? 返すのならばこうですよ。『死んでもいいわ』」



 この言葉を市花が発した途端、上杉は頭を抱えてうずくまった。

 そして呪文のようにぼそぼそと何かを言い始める。



「や、八重……


   や っ ぱ り 


 八 重 


  な の ? 


 ご め ん 、

   私 だ け 生 き て 、 

      ご め ん。


 許 し て よ 、

  八 重。


今 日 も…… 

 飛  び  降  り  る  か  ら  さッ!


  ほ ら 、

 こ ん な 風 にッ!」



 目の前で、上杉がいきなり立ち上がり、勢いよく空中に身を投げ出した。

 当然、手錠でつながる市花もひっぱられて、空中に舞う。




「市花ああああああああああああああああああああ」

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