第138話 惑い

「秋山君、秋山君ッ!」


 呼び声が聞こえる。

 次第にはっきりする意識。


 ……


 瞼をこじ開ける。


「生駒……先輩?」


 目の前に見えたのは、生駒先輩の心配げな顔。

 ああ、この人も自分に対してこんな顔してくれるんだな、となぜかそんなことを考えてしまった。


「ここは……あ、いたた」


 起き上がって見回すと、どうやら保健室らしい。

 激しく後頭部が痛むので、頭に手をやる。


「木下先生が運んでくださったのよ。何があったの? 遅いから探しに行ったら、裏庭の地面がめちゃめちゃになってて、あなたが校舎の脇に倒れていたのだけれど」


菊理くくりにやられました」


「上杉さんに? どうして? どういうこと?」


松莉まつりが、黒い、勾玉みたいな十種で召喚したゾンビの中に、その、八重がいて……」


「ゾンビ? 八重って、上杉さんと心中したっていう行方不明の子ね」


 生駒先輩はあの菊理の告白の場にはいなかったから、これはきっと冬美が話しているのだろう。


「菊理のことアダ名で呼んでましたし、菊理自体も八重だって言ってましたから、信じられないですが、そうなんだと思います」


「そうか、それで松莉の側についてしまったわけか。それは厄介ね」


 そう、松莉の十種のゾンビ自体は、さっきの戦いのように『八握剣やつかのつるぎ』で簡単に消滅させることができるが、菊理が味方についているとなると話は別だ。


 菊理の十種は所有者を神の兵士の肉体に作り変える『生玉いくたま』。

 超人的な体力、運動能力に加え、屋上から飛び降りた後に普通に歩くことができるという驚異的な回復力を彼女はあわせもつ。


 佐保理が暴走した時に、うっすらと考えてはいたが、彼女に一体一の戦闘で勝てる者などこの世にいない。


 十種の使い手で考えても、対等に戦えそうなのは、乾の暗殺系十種『蜂比礼はちのひれ』、冬美の対集団戦闘系十種『蛇比礼へびのひれ』、そして佐保理の何でもあり系十種『辺津鏡へつかがみ』くらいだ。


 だが、即死に至るダメージを与えられても、菊理は回復する。

 一撃で行動不能にすることができると思えないから、彼女を止めることは不可能だ。


 だから、事態を収拾するには彼女を、説き伏せなくてはならないのだが――


「彼女はその子、八重のために自殺を繰り返していたのよね。そうなると、説得は難しいか」


 生駒先輩はしばらく悩ましい顔をしていたが、やがてふっきれたように言うのだった。


「よくよく考えると、敵に回ったからといって上杉さんを倒す必要はないわ。元凶は松莉の能力なのだから。冬美の回復を待って、あの子に上杉さんを足止めしてもらって、その隙に、ジョーと、八重をあなたの八握剣で斬ればお仕舞いよ」


 彼女的にひっかかることはあるのだろう。ジョーさんの名前を言うときに一瞬顔が暗くなっていた。


 そしてこの作戦、一見完璧そうなのだが、穴がある。


「生駒先輩、そのことなんですが、松莉が気になることを言ってたんです」


「どんなことを?」


「ジョーさんに向かって『このお兄ちゃんも失敗だったみたい』、『後でおうちでどうとでもできる』って。あの地面から現れたゾンビといい、もしかしたら松莉の十種は、何度でも死人をゾンビにできるんじゃないでしょうか?」


 推測を言い終えて、生駒先輩の顔を窺った、その時――


「そのとおり、『死返玉まかるかへしのたま』は、根の国に落ちた死人を意のままに現世に召喚する十種」


「えっ!?」


 保健室の窓が開いていた。

 そして、窓のふちに白い猫がいた。


「つやっ!」


「つや様!」


 思わず叫んでいた。二人で、同時に。


 猫はしゅたっと床に降りるとそのままベッドに向かって近づいてくる。


「久しぶりよの」


「会いたかったよ、つや様」


 乾の話を聞いたとき、不信で胸がいっぱいになった。

 生駒先輩の話で何となくは納得できたけれど、やはり本人と直接話したかったのだ。


「私もよ、つや。穴山さんの暴走の懸念については聞いてたから、あなたがいなくなっても対応はできたけれど、松莉の件はお手上げだわ」


「そなたがあの時、わらわに仔細を教えぬからであるぞ」


 これはきっと、市花が行方不明になった後、一緒に生徒会室に行った時のことを言っているのだと思われる。


「松莉とジョーのことだったから、少しは察して」


 あの時は佐保理の件だったはずだけれど、どういうことなのだろう。


「あの、生駒先輩、どういうことかわからないんで説明してもらってもいいですか?」


「あなたの方は本当に察しが悪いのね。まあいいわ、教えてあげる。七不思議の最後のひとつ。覚えてる?」


「『クラスの人数があわない』ですよね」


「そう、生徒会として調べてたのはあなたも知っていると思うけれど、あの時松莉が原因だってもうわかってたのよ」


「あ!」


 そういえばあの時、七不思議は、キョウケン女子の行方不明の件とは関係ないと断言していた。

 さっきつや様が言っていたのはそのことか。


「やっと理解したみたいね。松莉が校長室に乗り込んだときの一件で、あの子の心に触れないのはわかってたの」


 キョウケンとの会議の席で、心を読めない操れない生徒がいると言っていたことを思い出す。


「実は穴山さんの時に、つやを問い詰めててね。十種の所有者には私の能力は効かないっていうでしょ。だから松莉が十種の所有者だっていうのはもうその時に私の中で確定していたのよ」


「えっ、じゃあゴールデンウィークに俺と会ったときはなんでああなったんです?」


「あなたが使っているのはつやの十種。所有者でないのに心に触れられなかったから、試すしかなかったの」


 なるほど、自分はイレギュラーな存在だからだと納得できる。

 しかし、まだ納得できないことがある。


「俺のことはわかりましたけど、松莉の能力がどうして七不思議になるんですか?」


「あの子が原因で、休む生徒が多くなったり、ジョーみたいに本来存在しない生徒が生まれたりしてるでしょ。私も関与しているから申し訳ないけれど、その結果として本来の人数と差異が生まれ、七不思議となったのよ」


 なるほど、筋が通っている。

 松莉と、何よりもジョーさんが関与していることだったから、躊躇いがあって先輩は動けなかった。

 キョウケンとの対策会議で、執拗に調査中だと言っていたのはこのため。

 全ては二人と、波瑠先輩を思っての行動。


「これで納得した?」


「はい……」


 つや様に聞きたいことはあったが、先輩の方を優先したい気分になってしまった。ジョーさんのこと、気になっているだろうから。


「では、松莉の件に戻るけれど、つや、『死返玉まかるかへしのたま』について、詳しく教えて貰えないかしら」


「よかろう。といっても要点はもう話してしまっておるがの。あれは死人を現世に召喚する十種。ただそれだけよ」


「秋山君の前で聞くのもなんだけれど、生き返りとはどう違うの? その、ジョーを見てると、普通の人間と変わらないように見えるのだけれど」


「死人を一時的にこの世に姿を与え止めているに過ぎぬ。ゆえに所有者の意思により、根の国に戻すことが可能。もちろん現世に長く止めおくこともできるが、そのためには、所有者の力だけでは足りぬゆえ、他人の生気を吸わせることになる。ことに普通の人間と変わらぬ姿を保とうとすればの」


「だから松莉はジョーに……」


 生駒先輩がうつむく。

 ジョーさんが行っていることに心を痛めているのだろう。


「ジョーさんは松莉にとって特別なんですね。他のゾンビは、ひどい姿をしてましたから」


「であろうの。しかし理をはずれた存在であることには変わりない。被害が出ておる以上看過できぬ」


「なあ、つや様。十種の儀式を行うことで生き返りが可能なら、ジョーと八重も生き返らせることはできないのか? それなら松莉も菊理も説得できると思うんだけど」


 ずっと考えていたのだ。

 何でもできる神の力ならば、これが最も良い解決法ではないかと。


「そなたは、イザナギの根の国行きの神話を知っておるか?」


「何だよ急に?」


「その顔は知らぬと見えるな。仕方ないの。イザナギは妻イザナミと一緒に多くの日本の神を創造した創造神。彼は、妻が死した後、生き返らせるため根の国に行くのだが、その願いは叶わなかった」


「えっ!?」


「妻イザナミは、既に、根の国の食事を口にしておったからよ。つまり、死して魂が既に根の国に行き根つきしものは、神の力でもこの世に蘇らせること能わぬ」


「ということは……」


「しかり。そなたと、生玉いくたまの娘、二人ならば能うが、死してより年月が経ち、既に根の国の住人となりし者どもは、十種の儀式を行えども蘇らせることはできぬ」


 脳裏に浮かぶ菊理の顔。

 救われるもの、救われないもの。

 そろそろ薄暗くなってきた保健室であったが、誰も灯りを点そうとするものはいなかった。

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