第182話 もうお忘れですか?

十種とくささえ渡せば、おぬし達を助命することは考えても良い」


 菊理くくりの声で、冷酷なヤチの言葉が発せられる。

 市花いちかを地面に横たえると、挑発するように、その顔の近くを踏む。


 究極の上から目線だけど、相手が神でこっちが人間と考えると……いや、納得はできない。


「ヤチ、お前はこの世界を滅ぼすつもりなのだろう。そこに私たちの居場所はあるのか?」


 波瑠先輩が冷静な声で切り返す。

 一見条件を確認しているかのようだが、そうではない。

 ずっと謎だったこと、ヤチの目的を尋ねているのだ。


「滅ぼす? 異なことを。この世界はもともと我らのもの。再びこの手に取り戻すだけ。滅ぼすわけがなかろう」


 この言い様、ヤチはこの世界の神だとでもいうのだろうか?

 ともかく世界を自分の物だと主張しているのは間違いない。


 これではっきりした。

 ヤチはこの世界が欲しいのだ。

 十種神宝とくさのかんだからの力で手に入れるつもりなのだ。


「まあ、そこに虫がおったら追い払うのはおぬしら人間と同じじゃぞ」


「くっ……」


 言うまでも無い、この場合の虫こそが俺たち人間だ。


 相手は神、納得はできないが、こうして十種も無しに人を苦も無く操るその圧倒的な力の差を思えばうかつなことは言えない。


 今も、霊的な加護を受けたこの家の結界の中にいるからこそ、まだ何もされていないが、無ければ菊理の力で一瞬で全員倒されているに違いない。


 菊理のスピード、力ともに圧倒的だ。

 普通の人間では抵抗できない。


 十種の所有者といえど、反応速度や自身の筋力は普通の人。

 神の兵士である彼女に敵うはずが無い。


 しかし、この状況を打開するにはどうしたら良いのだろうか。

 波瑠先輩が交渉を上手く引き延ばしてくれている間に何とか考えなくてはと気は焦っているのだけれど、思いつかない。


 結界の中に引きずりこめば、ヤチを菊理から引き離せるかもしれないが、この様子では、こちらの誘いには乗ってこないだろう。


 全員で一斉にかかり、その間に俺が『八握剣やつかのつるぎ』で斬る。

 どう考えてもこちらが菊理に一網打尽にされる未来しか見えない。


 佐保理がいれば、松莉の時のように、『辺津鏡へつかがみ』のスライム君で対応できるところだが、頼みの綱の彼女は現在昏睡状態。

 稼げる時間のうちに、回復して来てくれることは無い、だろう。


 何よりも、ヤチの手に、菊理だけでなく市花の命も握られているのが問題だ。

 先ほどの会話から、人の命など虫けら同然にしか考えていない。

 苛立たせた途端、見せしめにされてしまうことは大いにありえる。

 それだけは避けなければならない。


「我は神ぞ。人間風情がいつまで待たせる気か!」


 案の定だ。

 いくら波瑠先輩が旧知であったとしても、相手とは敵対する身、限界は来る。


 どうする……


「秋山先輩」


 どうする……


「秋山先輩、私のこと見てくれませんか?」


 そうだ、もう、何も考えずに『八握剣』をここから伸ばすというのはどうだろうか? 一か八かだ。


「秋山先輩ッ!」


 いつのまにか目の前に、真理奈まりな


「お、おい、こんなことしたらヤチが……」


「先輩は私の能力をもうお忘れですか?」


 私の、能力? 真理奈の十種の力は……


「そ、そうか時間停止能力!」


 周りを見ると、あの屋上の時と同様に、自分と真理奈以外は完全に固まった状態。

 菊理の口も開いたままだから、ヤチの時間も止まっているのは間違いなさそうだ。


「私の右手、先輩の左手でしっかり握っててくださいね。片手でも『八握剣』ならば問題ないでしょう。先輩が菊理を斬ったら解除します」


 言われて彼女の手を握る。

 女の子の手。

 意識してはいけない、意識してはいけないと言い聞かせながら。


 真理奈は多分それに気付いているのだろう。

 何だか嬉しそうにしている。

 二人きりの空間……これはまずい!


「結界の外に出ても大丈夫なのか?」


「菊理以外の十種の所有者はみんな普通の女子です。周りは私が気をつけてますから、ちゃっちゃとやっちゃってください」


「了解! じゃあ行こう、真理奈」


「はいっ!」


 二人でステップを踏み出す。

 念のため周りを再度確認するが、動いている者は敵味方通して、俺と真理奈だけだ。


「菊理……ごめん」


 そして

 祈りを込めながら。

 八握剣で

 菊理を

 斬った……



 ……


 「ウボゴオオオオオ……」


 うめき声と共に、菊理の体から黒い何かが抜けてゆく。

 そして静かになると共に、彼女の体はそのまま崩れ落ちる。


 抱き留めようとしたら、左手を強くひっぱられて止められた。

 真理奈が首を振っている。

 彼女の意図を悟り、唇を噛んで耐える。

 様子を見ろということなのだろう。


 時間の流れが加速する。


 ドサッと地面に転がる菊理。

 『生玉いくたま』の効果ですぐ回復するのはわかっていても、痛々しい。


 ……動かない。



「秋山、小木曽おぎそ……ご苦労だった」


 直後、波瑠先輩の一言。

 一瞬にして事態を把握したのだろう。

 言葉の端々に、自分達への配慮を感じる。


「手応えは……ありました」


「秋山、お前には後味の悪い想いをさせてばかりで、すまない」


 深々と頭を下げる波瑠先輩。


 さっきの名前のことを聞きたかったのだが、この彼女の様子を見ては、言い出せなかった。何だか聞いてはいけないことのような気がして。



「俺は……大丈夫です、波瑠先輩」


「そうか、お前も、男なんだな……フフッ」


 波瑠先輩が俺の頭を撫でた。

 その手から、優しさが伝わってくるようだった。

 なんだか照れる。照れてしまう。


「と、とにかく早く菊理と市花を運びましょう。あ……結界……」


 波瑠先輩の懸念事項を思い出す。

 菊理の十種は大丈夫なんだろうか?

 彼女の命に関わるだけに、事は慎重を要する。


「穴山が普通に使えていたから十種の力は大丈夫だろうさ。いざとなれば結界を切れば良い」


「結界……切れるんですか?」


「そうだな、私以外も知っておいた方が良いか。この家は実は地下室が一部屋あるんだが、そこの祭壇が結界の発生装置なんだ。そこに貼ってあるお札を剥がすだけでいい。地下室には、台所の奥に隠された階段から行ける。上杉に異変があれば、誰でもいい、走っていって剥がしてくれ」


「波瑠先輩、そんなこと、こんなとこで言っちゃって大丈夫ですか?」


「そもそもヤチはやはり結界に入れないみたいだから大丈夫だろう。今のやりとりで確認できた」


「でも、もし結界を解除したら……」


「ヤチが喜んで攻めてくるだろうな。だが、私にとっては結界よりも、上杉の命のほうが大事だ。お前だってそうだろう?」


「それは、そうですけど……」


「向こうの残りの十種は徳子の『足玉たるたま』と松莉の『死返玉まかるかへしのたま』、細川の『蜂比礼はちのひれ』と『品物之比礼くさぐさのもののひれ』だ。本体は普通の人間。『品物之比礼』の使い手とヤチには気をつけなければならないが、いくらでも対応可能だ」


 なるほど、そうか。


 冬美と菊理は自身の身体を強化する十種だから本体を倒すのが難しい。いくら『八握剣』で斬れば良いといっても、冬美は近づくのも至難の業だったし、菊理は時間停止という反則技でもなければ避けられて無理だったろう。


 他の十種の所有者はそうではない。そうではないが……


いぬいの十種は大丈夫なんですか? あいつは壁も平気で通り抜けますけど……」


 敵としてなんて考えたくは無い。

 だから言いたくは無かったが、言うしか無かった。


「確かに細川の十種だけは要注意だが、あいつの十種も万能ではない」


「それはどういう意味です?」


 乾の十種の能力は不可視の透過。

 彼女が消えたら最後、自分が止めを刺されているイメージしか浮かばない。


 佐保理の暴走の時も、松莉の時も彼女の能力が無ければ、あそこまで上手く事を運ぶことはできなかったと思える。


 あの『蜂比礼』に対応策はあるのだろうか?


「あの十種は、身につけた物も全て透過する。だから、相手に攻撃するときは、実体化する必要がある。しかも、実は、実体化にはそれなりの時間がかかるんだ」


 確かに、過去の戦いを思い出すと、思い当たる節がある。

 乾は基本的に、死角から敵を襲っていた。

 一緒に戦っているときなど、姿が現れた一瞬、ハラハラしたことがないわけではない。


「だから、皆で一カ所に固まって背後に気をつけていれば、きっと大丈夫。穴山が回復したら罠を創ってもらうという手もあるしな」


「さすがです、波瑠先輩」


「全部、小木曽の受け売りだよ。賢いのは彼女だ」


「お褒めに預かり光栄です。北条先輩」


 真理奈が微笑む。


「しかし、私の力もこれで打ち止めです。急いで結界に入りましょう」


「真理奈?」


「『道返玉』は消耗が激しいんです。一日にそう何度も時間を止められません」


 これで、冬美の時に彼女が十種を使わなかった理由がわかった。

 何度も使える力ではないからだ。

 そして、もう今日は使えないと言うことか。


「先ほどは使うしかなかったんです……ごめんなさい」


「気にするな、お前の判断は的確だった」


 波瑠先輩が、真理奈の肩をぽんと叩いた。

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