第49話 清姫

「う、嘘だろ」


 虎は自分の目を疑った。


 これまで化け物猪、化け狐みたいに、通常存在しないモノ達と戦ってきた。

 けして慣れると言うほどではないが、それでも不可思議な事態についての耐性のようなものはできていると、自分では思っている。


 だが、今回の状況にはこれまでの経験は無意味なようだ。



 虎の視界を遮る物体。

 それは今や武道場の半分、つまり剣道の側の板の間を丸ごと埋め尽くしている。



 左右に無秩序に巡る帯状の、その太さは虎の胴まわりの倍以上太いのではないかと思われる。


 その表面は金色の鱗で覆われており、照明を反射して輝く。

 光の影響もあるのだろうが、艶やかで瑞々しい。

 見るもの全てが神秘的な美を感じるのは疑いない。


 しかし、同時に底知れない恐怖のような感情が虎を襲う。


 いくら神秘的に装飾されていてもこの形状、たゆたう動きは、思い起こさせるのだ、生理的な嫌悪感とでも言うべき何かを。


 こ、これが清姫か!?



「蒲生の十種は、『蛇比礼おろちのひれ』だったか……想定してはいたが、実際に、こう目にしてみると、圧倒されてしまうな」


 波瑠は、一見いつもどおりの冷静さを保ってはいるが、そんな彼女ですらも、あまりの事態に動揺しているのが、言葉に滲み出ている。


「『蛇比礼おろちのひれ』? 冬美さんも私たちと同じなんですか?」


 気になったのだろう、隣の佐保理が尋ねる。


「そうだ。彼女の十種は、大蛇の如き生命力を与えてくれる、と言い伝えられている神宝だ」


「大蛇!? じゃあ、あの湖の蛇は、やっぱり冬美さんが?」


 悲しそうな顔をする佐保理。

 自分が素敵な女性であると信じる蒲生が、蛇を操っていたと理解し、ショックに感じたのだろう。


 波瑠は、そんな彼女を気遣うように続けた。


「大蛇は龍種。神獣だ。蛇に限らず、生きとし生けるものが、あの姿の彼女を、自分から守ろうとしても無理はない。本人が望む、望まぬに限らずな」


「ああ、だから冬美さん、あの時『この子達の勘違いです』て言ってたんだ」


 佐保理の顔が明るくなる。

 波瑠は頷いた。


「しかし、問題はここからだ。お前達のあの湖の話を聞いていると、どうやら蒲生は人間の姿に戻ることができるようではあるが、今回も果たして、そうなのか」


「え、もどれないんですか?」


「すまないが、私にはわからない。こんな話があるんだ。その昔、戦いで劣勢となった国で、『蛇比礼おろちのひれ』を身につけた乙女がオロチとなり、その力で国を救った。しかし、彼女は元の姿に戻れず、暴走してしまう」


「ぼ、暴走って、まさか」


「あの蒲生に限って、自分を失うということがあるとは思えないが、何しろ十種だからな。もしかしたらそれこそが呪いなのかもしれない」


「その乙女は、彼女は、どうなったんです!?」


「私の記憶だと、最後は勇者の手によって倒されるんだ。むっ!」



 金色の大蛇が、鎌首をもたげた。


 神々しいとはいえ、やはりは虫類を彷彿とさせる目、その視線に射すくめられた虎は、自身の体温が下がったように感じる。


 蛇に睨まれた蛙。今の相手とのサイズの差では、この表現がまさに相応しいと思われた。


 大蛇は口を開いた。奥から、真っ赤な舌が飛び出し、得物を追うかのように、ゆらゆらとたなびく。


 そして、周りにいる者全員の脳裏に、直接彼女の声が響いてきた。



『見られたくなかった……』



『見 ら れ た く な かった


 のに……


 この姿を……』



『お の れ え え え え え

  え え え え え え え えええええ』



 虎に向かって、大蛇の尾の一振りが上段から迫る。

 

 あの目に射すくめられたせいか、彼は、反応できない。



「あぶない!」



 声とともに、左横からつきとばされる。

 二転、三転。


 八握剣を杖代わりにして起き上がる。

 自分がいた部分の床板に、大蛇の尾が食い込んでいた。



「危なかったな、少年、くっ……」


「具先輩!?」



 具は、左肩を抑えている。

 気のせいか、彼女の左腕がだらりとしている。


 どうやら虎の命を救ってくれたのは彼女のようだが、それなりの犠牲を払ってしまったらしい。



「蒲生、彼は悪くないだろう。やめるんだ、こんなこと」


『ウルサイ ウルサイ ウルサイ ウルサイ』


 今度は横から尾が襲ってくる。


『ナニ……』


 虎が、具を庇い、八握剣で、受け止めていた。

 しかし、次の瞬間に、凄まじい力に耐えきれず、ふっとばされる。


 受け身を取り、すぐさま立ち上がり、次の攻撃に備える。

 つや様との修行で身につけた『残心』が上手く機能していた。


 次々と襲ってくる尾を躱し、捌き、受け止めて勢いを殺す。


『オノレ……』


 大蛇の口の辺りに、光が収束してゆく。


『キエウセロ』


 虎に向かって、光線が放たれた。

 一直線に虎に向かい、伸びてくる。



 恐ろしい速さで迫るそれに気づいた時には、もう目の前。

 回避が間に合わない!




 しかし、それは虎に届くことはなかった。



「戦国の世、神代なればまだしも、この現世うつしよでは求められぬ、悲しい力よの」


「つ、つや様」


 虎の目の前で、彼女は剣で光線を受け止めていた。

 それはもちろん、もうひとつの八握剣。


 大蛇の光線も無限ではないらしく、勢いが途切れる。


 フッと剣を振る、つや様。


 ふと見ると、具がウィンクしている。

 これも、彼女のファインプレーらしい。


『コ、コノ……』


「そっちこそ、ウルサイわ! 少し黙っておれ!」



 大蛇を一喝。

 その迫力に、巨体が一瞬怯んだように見えた。




「今のうちじゃ。その鬱陶しい防具を全て脱がすぞ」


 つや様が八握剣を一振りすると、面、防具、小手が、虎の体から離れ、床に転がった。


 手に持っていた剣まで転がっているのに気が付き、虎はあわててそれを拾いながら、彼女に訴える。


「つや様、何するんだよ」


「先ほどの火箭が当たれば、防具などあっても無駄なこと。ならば身軽な方が良かろうて。それとな、ほれ、これも使え」



 虎は、オリジナルの八握剣を手渡された。



「えっ、つや様? でも……」


「つい、手を出してしもうたが、これはそなたの勝負。だからそなたに託す。これは、賭けでは無い。妾はただ、そなたを信じるのみ」


「……ありがとう」


「やらねばならぬことは、わかるな」



 虎は頷いた。

 つや様が顔を近づけてきて、彼の耳元で囁く。



「あの巨体だ、そう長くはもつまい。むしろ長引かせれば彼女の体が心配だ。できる限り、早急に、力を使わせるように」


「……わかった」



 ぽんと、彼の肩を叩く。



「頼むぞ、妾の殿ならぬ殿」


 それだけ言うと、彼女は具に肩を貸して急いで離れて行く。




『ワカレハ スンダカ』


「待ってたのか」


『ナニヲ イッテイル』


「待ってたんだろ。姿は変わっても、君は君なんだよ、蒲生」


『……』


「だから、思いっきり来いよ。さっきの勝負、不満なんだろ。俺も自分でちょっと卑怯だったとは思ってる、ごめん。でも、これなら今度は十種同士、公平な勝負なんじゃないのか」



 構える。


 右手に、オリジナルの八握剣。

 左手に、佐保理の八握剣。



『ツケヤキバノ ニトウリュウナド ハナシニナラナイ』


「やってみなきゃわからないだろ。俺はさっきお前に土をつけたおとこだぞ」

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