第51話 混濁

「あ、あなた……誰です!?」


 佐保理の驚きの声に、虎は振り向く。


 明るい黄色のパーカーを上に羽織った、セーラー服姿の女子生徒。

 リボンの色から二年生であるとわかる。


 ショートヘアであるが、ともと違い、ストレートな感じ。

 背丈は、虎と同じくらいか。



 どこから入ったのだろう。



 扉は開いていないし、そもそも、辺津鏡のバリアーがあるから、入ってこられないはずだ。


 そう、この武道場は密室。


 彼女はいつのまにか、その密室に音も立てずに現れたのだ。


 倒れている蒲生と他全員の、ちょうど中間の位置に。


 どこからともなく。

 衆人環視の中。



「冬ちゃんのストレス解消につきあってくれて、ありがと、みんな」



 右手を振りながら、ほほ笑みを浮かべつつ、快活な口調で感謝を述べる。


 しかし、ふり向いた虎含め、周囲の人間の警戒は薄れることはなかった。



「そこをどいてよ、冬美さん裸のままじゃない」


「冬ちゃんなら大丈夫。そんなにヤワじゃないから。でもまあ男子もいるし、いただいておこうかな」



 そう言うと、彼女の姿は、フッと消える。



「えっ?」



 気がつくと、佐保理の手にはタオルはなかった。



 前後左右見回すと、意識を失い、倒れていたはずの蒲生の姿は、今は床の上にはない。


 代わりに、タオルでくるんだ彼女を、両手で抱き抱えて立っている、パーカーの彼女の姿がそこにあった。


 スレンダーで体重が軽そうな蒲生とはいえ、それをお姫様だっこして平気な顔でいる彼女はやはりただ者ではない。


 しかも、この瞬きの数秒で。

 周囲のものは全員、不可思議な感覚に包まれる。



「あ、あれ、私のタオル!?」


「借りるね。冬ちゃんのためならいいんでしょ」


「う、うん、まあ、そうだけど」


「ありがと。これ、大きめで助かる」



 不満そうな佐保理に向かって、パーカーの彼女はニコリとした。

 そして周りを見回す。


 

「被害が出ないように、工夫してくれてたみたいだね。必要なのは、そこの床の修繕くらいかな。でもまあ、問題ないか、全て無かったことになるから」


「えっ!?」


「ど、どういうことだよ!?」



 これには佐保理だけでなく、虎も疑問を挟まずにはいられなかった。



「あれ? そこのそばかすの子は経験済みだと思ってたんだけどな。これはアタシが会長に怒られる事案発生かも。でも、元はといえば、『熱くなっちゃいけない』って言われてたのに、熱くなった冬ちゃんがいけないんだから、一緒に怒られれば、いいか。同罪同罪」


「何言ってるのかわからない。わかるように説明してよ!」


「ごめん、もう行かないとだから。冬ちゃんのことは忘れてね。あ、私のことも、よろしく」



 次の瞬間、彼女の姿は武道場から消えていた。



――――――――――



「蒲生は大丈夫なんでしょうか?」


 虎が、何とはなしに、茶葉の準備をしている波瑠に尋ねる。


 念のため病院に向かったとも以外は、キョウケン部室こと、社会科準備室に戻ってきて、一息ついていた。





 あの、黄色いパーカーの彼女が消えてから、すぐに動ける者で武道場の外を見回ったが、どこにもあの二人の姿は無かった。

 ならば、まだ中にいるのかと、回復した具の案内で、武道場を隈なく調べてはみたが、同じ結果だった。


 まさにキツネにつつまれた心地。


 どれほど鍛えているかはわからないが、相手は高校生の女子なのだ、蒲生を抱えたままで、すぐに遠くへ移動できるとは考えづらい。


 だが、その考えづらいことが現実に起きているのだ。



 夕方が近づき、暗がりの増えている校舎の中を虎は走ったが、パーカーの彼女と蒲生は見つけられず、あげくに途中すれ違った女子生徒に、廊下を走っているのを注意されてしまうという、これまた情けない成果となった。


 すごすごと引き返す虎。

 そこを丁度、廊下の逆側から来た波瑠に発見された。



「まったくお前は突っ走り過ぎだ。後を追う私の身にもなってみろ。よく考えて動かなければ、また同じことになるぞ」



 いつもどおり距離が近い。


 波瑠の呼吸が荒れているのがわかる。

 少し息を切らしているようだ。


 虎の後を追いかけてきてくれた、いや、虎自身を探してくれていたと思われる。

 きっと心配して。


 彼は申し訳ない気持ちになった。


 そうだ、彼女の言うとおりだ。

 自分は、蒲生との戦いにおける敗北から、学んでいない。

 戦いは、ひとりでするものじゃなかった。

 

 もういいだろう、と言う波瑠の言葉に虎は頷く。


 その後、更衣室で着替えてから、部室に来て、今に至る。



 

「個人を対象に、沖津鏡を使うのは、ためらわれるんだ。すまない……」


 目を伏せた波瑠に、虎は誤解を解く必要を感じた。


「変な言い方してすみません。どちらかと言うと、波瑠先輩がどう考えてるのかなって、俺思ったんです」


 いくら波瑠でも、わかることとわからないことがあるのは心得てはいるが、論理的な判断という意味では彼女に勝る存在はない。

 虎は聞きたかった。

 それは、たとえ推測であったとしても、人に安心感を与えるものだから。


「そういうことなら……そうだな、あいつは蒲生のこと、しかも、『蛇比礼』のことも知っている風ではあったから、私は大丈夫だとは思っている。誘拐というよりは、連れ戻しに来ていたのではないかな」


「冬美さんの、仲間ってことですか? それなら、大丈夫かな」


 丁度ポットにお湯を入れて戻ってきた佐保理が、それを波瑠の近くの机の上に置きながら、尋ねる。


「そうだ。あの扱いだと保護者に近いような感じかもしれない」


「保護する側とされる側というと私の中では、北条先輩と秋山くんなので若干イメージが合いませんが」


 同じく一緒に戻ってきた市花が、ティーカップの準備を手伝いつつ、言う。


「俺、いつのまにか先輩に保護されてたのか!?」


「秋山くん気づいてなかったんですか? あの山の時も、バーベキューの時も、今日も、いつの間にか秋山くんがいなくなるから、その度に北条先輩は責任を感じて必死に探されていますよ。私は大抵ご一緒していますから、よく知っています」


「そういえば……波瑠先輩、すみません」


 しかも傷だらけであることも多い。

 波瑠の心労を思うと、どれだけ頭を下げても足りないように思われた。


「今度から気をつけてくれればいいさ。私は部長だから当然の責務といえばそれまでだ。しかし、そうか、私と秋山の関係と比べると、ちょっと違うな。あの二人については『姉妹』が適当かもしれない。面倒見の良い、妹なのかな、黄色のあいつは」


 先輩がティーサーバーから、ティーカップに紅茶を注ぎ、渡してくれた。

 虎はそれを一口飲んでみたのだが――


「うわっ、何ですかこれ、いつもより濃くないです?」


「ふふ、引っかかったな秋山。ではこうしたらどうなるかな、ほらカップをこっちによこせ」


 先輩が、さっき市花から受け取っていた紙パックの中身を虎のカップに数滴注いだ。

 そして、砂糖を加えて、さらに取り出したティースプーンでかき混ぜる。

 さっきまでのやや濃い琥珀色が、今やベージュになっていた。


 有無を言わさず渡されたそれを、虎は再度口にする。

 柔らかく甘いものが喉をとおっていく。

 とても落ち着き、ほっとする味だ。


「いいだろう、甘いミルクティー。牛乳の持つ鎮静作用にリラックス効果で体を癒し、砂糖を加えて脳の疲労回復。今日は激しい戦いで疲れただろうからな」


「家庭科の授業で使った余りをいただけたのはよかったですね」


「まったくだ。あれ、秋山どうしたんだ? 牛乳は、さっきまで冷蔵庫だったから大丈夫だとは思うんだが」


 虎がティーカップを覗き込んだまま、動かないのを波瑠は不思議に思ったらしい。


「今日の紅茶が濃いのって何か意味があるんですか?」


「ああ、それを考えてたのか。ミルクティーはな、ミルクに負けないコクのある茶葉がいいんだ。今日の茶葉はアッサム。紅茶葉の中でも、コクがあるので有名だ。アッサムだけだと濃くて飲みづらいが、ミルクと混ざり合うことで、極上のハーモニーになる」


「波瑠先輩、アッサムって俺ですか?」


「……そうだな、お前がキョウケンの仲間というミルクと一つになったら、今日の戦いみたいな、最高の味になるんじゃないのか」


「ありがとうございます」


 感謝の言葉に、微笑む波瑠。

 これは今日という日の良い幕切れ。

 だと思っていたのだが――



「二人ともいい感じになってらっしゃいますが、ミルクティーのミルクを後から注ぐのは邪道ですよ」


「な、何!? 市花、どういうことだ」


 不意の乱入に加え、市花の言っていることがそもそもわからず、虎はこの反応しかできなかった。


「紅茶の国、英国では、ミルクティーの入れ方について、130年程論争が続いていたんです」


「なんという不毛な百年戦争だよ」


「不毛!? 何ということを言うのです、秋山くん。エスエーエス(英国特殊部隊)に消されますよ! あと、知っている歴史の単語を並べるだけは、墓穴を掘ることが多いですから、やめるが吉です。私はこの前の秋山くんの世界史の点数知っていますからね。百年戦争は、対フランス戦です。英国での内戦なのですから、期間こそ短いですが、ばら戦争が適切でしょう」


「わかったよ……」


 逆らえない。

 歴史の先生よりも採点の厳しい市花先生だった。


「それで、2003年に英国王立化学協会が「ミルクが先」と宣言して、この争いは終わったのです。だからミルクは先にいれるべきなのですよ。しっかり混ざりますからね!」



 おおー、と虎だけでなく、佐保理も驚いている。

 しかし、次の波瑠の一言にひっくり返ることになった。



「浅井……その宣言自体、英国式のジョークだぞ」


「さすが北条先輩ですね、ご存じでしたか」


「二人とも、俺抜きで話進めないでもらえます?」


「ああ、すまない秋山。つまりは……」


「先に入れても、後に入れても、ミルクティーはミルクティー、混ざれば変わりません。しかし、そこに人は意味を見出します。惑わされずに真実を見よ、そういうことですね、北条先輩」


「……それでいいよ。浅井、お前、私のツッコミ待ちだったんだな」


 市花に言いかけた会話をジャックされた波瑠先輩は、こう返すしかなかったようだ。


「付き合いの長い、北条先輩とだからこそ、できるコラボレーションです。これがミルクティーですよ、秋山くん」



 市花は、あれこれ考えても仕方ないと言いたかったのか。



 おそらく六人目であろう、黄色の十種については、つや様に聞いても、「あれだけでは何かは言えぬ」といつも通りの回答しかもらえなかった。



 そして、結局今回は、五人目の蒲生の協力はとりつけられなかった。

 十種の力を嫌悪しているようだから、口説けるだろうと、波瑠は言っているが、実際にどうかは本人に聞かなければわからない。



 四人目の例の『戻す』能力の持ち主については未だに不明。

 全く情報は無い。



 やはり考えてしまう。


 でも、相変わらずの前途多難だけど、皆と一緒なら、どうにかなりそうな予感がする。


 虎は、隣で机に突っ伏して寝息を立てている直の姿を眺めながら、蒲生との戦い、そこに至るまでの修行を振り返って、そう思った。

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