第8話 ハードな話のその前に

「なるほど、それで私のところに来たってわけですね」


 少女は自分の席を囲んで立つ虎と直の話にニコリとしながら、嬉しそうにうんうんとうなづいた。


 彼女、浅井市花いちかは、うなじののぞくおかっぱな短かめの髪に、小柄すぎる体つきもあって、とても同年代とは思えない。

 この高校の全校生徒を背の順に並べてもおそらく一番前になるのではないだろうか。前に倣えで腰に手を当てるイメージしか浮かばない。


 小学生がセーラー服を着て混ざってる。

 虎の友人達の共通見解はそれだった。


 まさに、少女、この表現こそ彼女には相応しい。


 確かに目鼻立ち整った感じ、美少女にはあたると思うのだが、ここまで徹底してこられると、何というか恋愛対象として見る者もおらず、どちらかというと神聖視されてしまっている感があった。


 誰とも無く、裏では『市花様』という尊称で彼女を呼ぶことが習慣化している。

 姿に似合わず、この何か悟っているような言動的にも、それは似つかわしいのではと、この時虎には思われた。

 単純に可愛い、とは絶対に言えない、そんな子なのだ。


 さて、電車の中で、全ての予言が、少なくとも形式的には、的中したことを納得してしまった虎は、あの先輩の言うキョウケンとやらに行くしかない心境となった。

 彼女の予言どおり、確実に死ぬのであれば何を聞こうが聞くまいが無駄な気もするが、せめてその根拠が知りたい。


 そこで、改めて、直にキョウケンについて尋ねると、クラスメートの市花もキョウケン所属だと言うのだ。このコネクションを利用しない手はない。


 先輩は、危険人物では無いと思われるものの、あの印象のありすぎる朝の出会いの後で、しかも予言的中に半ば打ちのめされているこの心境で、直接会うのは虎には気が引けた。


 間に誰か立ってくれるのであれば嬉しい。

 その一心だったのだ。


 善は急げとばかりに、休み時間、自席で次の授業の準備をする彼女をつかまえ、北条先輩に受けた占いについて先輩に相談したいことがある、と伝えて今この状況に至る。



 市花は、歓迎ムードだった。まるで、二人が自席に来るのがわかっていたかのように、待っていましたとばかりに。きっと先輩から既に何か聞いているのだろう。


 そんな様子の彼女ではあったが、急に頷く所作を止めて一瞬天を仰ぎ見ると、視線を虎に戻し、思い出したようにこう言った。


「それで、ポトフは美味しかったのですか?」


「あれ? 何で知ってるんだ? 直、お前話したのか」


「ううん。虎のプライベートなことだから言っちゃ悪いと思って、この件については、いっちゃんに何も話してないわよ」


「……」


「あーこれはですね。北条先輩が、『彼は、事実を肌で理解しても、まだそれを認めたくないという複雑な心境だろう。だが、こう言えばきっと観念するはずだ』って昨日言っておられました。私には何のことやらさっぱりなのですが、秋山くん、どうなのですか?」


 虎はもう負けを認めるしかなかった。



――――――――――――



「ようこそキョウケンへ……と言いたいところだが、秋山、お前、女子二人連れとは、なかなか度胸があるじゃないか。もっとも片方はうちの浅井だがな」


「……」


 入った途端の第一声がこれだった。

 既に彼女の勢いに飲まれている。虎はもう、沈黙を貫くしか無い。


 キョウケンの部室は、教室のある棟とは別になっている棟、図工室や美術室、視聴覚室などがある所謂特別棟の一角にあった。


 放課後、市花に案内され、気になるからついて行くという直を伴い、辿り着いたその部屋の前には「社会科準備室」との表記あり。


 その名のとおり、ここは社会科で使う資料などを保管するための部屋らしく、一歩中に入ると、蔵書に埋め尽くされた本棚が左右に屹立きつりつして、まるで迫ってくるかのように彼には感じられた。


 本棚の間の空間には、細長い机があり、椅子が丁度今いる人数分しつらえられていた。


 虎たちはそのまま椅子に座るように勧められ、今は虎と直は隣り同士、市花はその対面側の先輩の隣に座っている。


「そう困った顔をするな、冗談だ。私もどう話を切り出すか困っているということだ」


 正面で沈黙を守る虎とは対照的に、ノリノリな雰囲気で饒舌すぎて、全然困っているように見えない。


 そもそも、彼女はあの朝、冗談は嫌いだって言ってなかっただろうか。


 そういえば、不思議なことに、今日の彼女は両手に白い薄手の手袋をしている。

 あれは何なのだろう。


 昨日の朝はとくに手に怪我などしてはいなかったと記憶しているが、あれから何かあったのだろうか。


 それとも実は極度の潔癖症なのか?


 あれこれ考えながら、虎は先輩にすすめられたハーブティーを口にする。


 家庭科室が近いので、お湯はそこで沸かしているんだ、もちろん先生の許可はとっているぞ、と補足しながら、彼女がティーサーバーから注いでくれたものだが、カップからあふれるのは心地よい香りで、とても落ち着く。


「ところで、うちの浅井は、まあいいとして、遠山はいいのか?」


「えっ? 私ですか?」


「あ、いや、すまない遠山。今のはどちらかというと秋山に聞いているんだ」


 その意図は薄々わかっている。


 昨日の虎についての、彼女の予言はあくまで彼に納得させるためのものであり、本題は、あの死のイメージについて、であることは疑いない。


 今日はこれからその話になる。

 それを直にも聞かせて良いのか、という、これは先輩の思いやりなのだろう。


 彼女については初対面の時の印象が強すぎて、まだ素直に評価できない彼ではあったが、少し冷静になってみると、口調はさておき、言っていること自体には悪意は無く、むしろ自分そして他の者への配慮を十分に感じる。

 占いの恋愛相談で有名なのは伊達ではないようだ。


 決まっていること、ここまで来るともう、観念せざるを得ないが、それはあくまで虎自身の思いである。


 直がこの話を聞いたらどう思うだろうか。

 彼女の性格を嫌というほど知っている虎としては、冷静に済ませてくれるとは思えなかった。

 きっと全身全霊を込めて全てそっちのけで虎のことを心配するだろう。


 虎はちらりと隣を見やる。


 直は先輩に言われた意味が分からないようで、顔中に「?」が浮かんでいるかのような困惑した表情をしていたが、こちらの視線に気がつくと「いいよね?」という無言のメッセージを返してきた。


 気持ちは嬉しいが、そうはいかない。


「直、席はずしてもらってもいいか?」


「え、とら? どうしてそういうこと言うの? 私味方だよ」


「どうしてって、プライベート、だから?」


 虎は、こう言えば彼女が自分を尊重してくれるだろうと思って言ったのだったが、今日はどうも勝手が違うようだ。


「プライベートも何も無いでしょ、今日も起こしてあげたじゃない」


「ちょ、ちょっと待て、いや待ってください、直さん」


 なぜか敬語になってしまう。


 しかし、何故急にこんなことを言うのか。

 虎には彼女の意図がまるでわからなかった。


 クラス委員長として信任が篤いのは、彼女の世話好きな性格の成せるものではあるが、何よりも彼女が相手の気持ちを尊重するからだと虎は傍目に見て感じていた。


 どうして、今日はわかってくれないのか。

 そして逆にこう自分を追い込むようなことを言うのか。



「そうか、秋山と遠山はそういう関係だったのか、これは済まなかった」


「「待ってください先輩。幼馴染おさななじみです、幼馴染。家が隣同士なんです隣同士」」


 納得して何度も頷く先輩に向かって否定の大合唱。

 二人のユニゾンは完璧だった。


「ふむ、ならば、まあそうしておこう。しかし、どうするかな、最終的に決めるのは秋山だとしても、遠山の言い分も一応聞いておくか、言ってみろ」


「だって……幼馴染としては気になるじゃないですか」


「気になる?」


「あの朝、先輩と何かをお話してからだと思うんですが、とら、何だか変なんです」


「変?」


「上手くは言えないんですが、何かに怯えているような。きっと、これからお話することが関係するんですよね? 私が何かできるかはわからないですが、とらの力になれないかなって」


「だそうだ、秋山、どうする?」


 虎は、直のことをわかっていたつもりでいた自分を恥じていた。

 彼女は、何か自分が抱えていることまでお見通しだったのだ。

 ならば、迷うことはないだろう。


「わかった、直。ここに、いてくれ」


 直は嬉しそうに微笑んだ。


 市花は、先輩の隣で最初から変わらずニコニコしている。

 ひょっとすると彼女は、こうなるのをわかっていたのかもしれない。


「よし、では本題に入ろうか」

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