第123話 偽物と本物

「そうか、楽しかったのか。よかったな、上杉」


 波瑠先輩が菊理くくりのパターゴルフの感想を聞いて、微笑みながらその頭を撫でる。

 先週と違い、感情の起伏が感じられる。

 今日は少し調子が良さそうだ。


「まさか菊理と兄妹に勘違いされるとは思いませんでした」


「秋山先輩……嫌だったんですか?」


 不満そうな顔をする菊理。

 どうしてそっちに話がいくのかよく分からない。

 ここははっきり伝えねばなるまい。


「いや、そういうわけじゃなくて、その、似てるところとかないのになって」


「それだけ仲が良く見えたんだろう。ちゃんとエスコートしていたということだな。上杉、秋山は頼りがいのある兄だったか?」


「そうですね……あたしがどんなにミスしても一緒にボールを探してくれる、優しいお兄ちゃんでした」


「うんうん、兄は妹に優しくするものだ」


 そうか、先輩にもまさしさんというお兄さんがいる、彼女は妹なのだ。

 普段年上のどちらかといえばお姉さん風なのも手伝って忘れてしまっていた。

 妹歴が長い先輩のこの言葉には、重みを感じる。


「政さんも先輩に優しいんですか?」


「何だ、急に。うーん、そうだな。キョウケンのお出かけの度に、私が『お願い』するだけで来てくれるんだから、優しいと言って良いんじゃないか」


 『お願い』、というのがとてつもなく気にはなったが、和やかな先輩の顔を見ていると、何となく分かった気がしてやめておいた。

 この顔で『お願い』されたら断れない。


「そういえば、パターゴルフ場にもいましたよ、兄妹」


「えーっと、それは本物か?」


「それだと、俺と菊理の兄妹が偽物っぽいじゃないですか」


 言ってしまってから気付く。

 自分と菊理は先輩後輩の関係だということに。


「おや、案外お前も乗り気だったのだな。それはすまない、ではそちらは仮の兄妹としておこう」


「それなら……いいです」


 菊理が、嬉しそうに頷いた。


「ふふ、上杉もか。秋山は意外に女子に人気だから、独り占めできるうちに甘えておくといい」


「せ、先輩!」


 菊理が赤くなっている。

 先輩が意味深な目でこちらを眺める。

 少し元気になっているのを感じるのは嬉しいが、これは困る。

 話を戻そう。


「パターゴルフ場にいたのは、本物の兄妹だと思います。お兄さんの方に菊理がぶつかっちゃって、妹さんがかなり怒ってましたから」


「秋山、それだと別に恋人でも成り立つ気がするんだが」


 考えてみると先輩の言うとおりだ。

 自分はどうして兄妹だと思ったのだろう。


「ああ、そうだ、呼び方ですよ呼び方。ジョーニイ、ってお兄さんの呼び方してました」


「ジョーにい……」


「響きだけだと、ジョニィって外国人の名前みたいですよね。あれ……どうしたんですか? 波瑠先輩?」


 波瑠先輩は先ほどまでの明るい雰囲気はどこへやら、今は腕を組んで考え込んでいる。


「その……妹の名前は聞いたのか?」


「あ……聞いたような……何て言ってたんだっけな」


「確か、松莉まつりだったと思います」


 菊理が助け船を出してくれた。


「この名前、どこかで聞いた記憶があったので覚えていたんですけど、どこでだったかな……あれ、北条先輩?」


 菊理が心配そうな顔をして、波瑠先輩の顔を覗き込む。

 先ほどの妹の名前を聞いてから、先輩は硬直していたのだ。


「北条先輩?」


 菊理が何度か繰り返すと、ようやく気付いたという風でこちらを向いた。


「あ、いや、まさかな、そんなことはないだろう、うん。名前が知り合いに似ていたから、ちょっと気になったんだ」


 手を振り振りして、何かをアピールしている。

 逆に気になる。


「ちなみにその兄妹は二人とも今はこの高校の一年生よ」


 三人から離れたところで文庫本を読んでいた生駒いこま会長が、そのままの姿勢でぼそりと呟くように突然言った。


「な、何!? 徳子のりこ……お前……」


「生駒会長!? あの二人、この学校の生徒だったんですか。でも、兄妹で同学年っておかしくないですか?」


「あたしと、同じ、学年……二卵性双生児とかですか?」


「お兄さんの方がね、一年生の時に事故にあって、意識不明の重体の状況からようやく回復して復学を認められたのよ。妹さんが校長室で頑張ってたわ。私も呼ばれるほどにね」


 納得しかけたが、物騒な言葉に反応せざるを得ない。


「意識不明の重体? どういうことです?」


「それは……」


 それまで淡々と話していた生駒会長の舌の動きが、急に悪くなった。


「もういい、徳子そこまでにしてくれ。しかし、どうしてだ、松莉まつりちゃんとジョーのことなら、もっと早く教えてくれても……」


 ここで思い出す。

 あの生徒会室での忠先輩を挟んでの一幕を。

 波瑠先輩が『松莉まつりちゃん』と、今のように口にしていた。

 ということは、先輩はあの妹のことを知っているのだ。


「波瑠には教えたくなかったのよ。あなたの記憶は消せないから。どんなに辛いことになっても、忘れさせてあげることはできないから。だから、あなたの耳に入らないように、この件については、実は浅井さんの記憶も操らせてもらってたの……それについてはごめん」


 生駒会長が十種の力を市花に使ってまで、波瑠先輩に教えたくなかったとは。

 いったいジョーさんと何があったのだろう?

 いや、この言い方、会えば何かが起こることを会長は危惧している?


「……どうして今なんだ」


「ずっと言わないつもりだったけど、こうなってはね。今言わなくても、あなた自分で確かめに行くでしょ。同じ学校だもの、いつまでも隠し通せるものじゃない。私が浅はかだったのは認める」


 波瑠先輩がいきなり椅子から立ち上がった。


「どこへいくの? ジョーのところ?」


「知れたことだろう」


「何をする気? 本人に聞くわけ? あの事故の時から何があったのか、とか」


「そ、それは……」


「確かに外見は同じ、あの時のまま。でも何か違うの、上手く言えないけれど。それに……」


「徳子、お前はもう話したのか……なら、わかるだろう、私もジョーと話したい。ジョーが、たとえジョーでなくても……」


「わかった、もう止めない。でも、これだけは約束して。松莉まつりを刺激しないように。それだけ」


松莉まつりちゃん? どうして刺激することがあるんだ?」


 この波瑠先輩の台詞に、生駒会長が深いため息をつく。


「あなたは妹じゃないの? まあ、波瑠らしいといえばらしいけれど。とにかく松莉まつりに注意して」


 波瑠先輩は首を傾げながら部室の外へ出て行った。


「さて、あなたたち二人……わかるわね」


 文庫本を長机の上に置いて、こちらに向き直った生駒会長の視線がつきささる。


「えーっと……何でしょう?」


「相変わらず察しが悪いのね。いいわ、具体的に指示してあげる。波瑠の後を追いなさい。そして、妹の方、松莉まつりの様子を見て臨機応変に対処すること」


 有無を言わせぬ口調。


「あ、あのー」


「何よ?」


「臨機応変にってどんな感じですか?」


「割って入れってことですよ、秋山先輩。行き先は一年生の教室だと思いますが、急ぎましょう」


「上杉さんお願いするわ。もし騒ぎになっても私が何とかします……お願い」

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