第124話 兄妹

「何で会長が直接行かないんだろうな?」


 学年棟へ行く途中、ふと疑問に思ったことを菊理くくりに投げかけてみる。


「……あのジョーというお兄さんとお二人の間に何かあるんだと思います」


「何か?」


「男の子が一人に、女の子が二人。簡単な想像です」


 ここまでヒントを貰えれば鈍感で定評のある自分にもわかる。

 菊理は三角関係だと言いたいらしい。


「えっ、まさか。あの北条先輩に限って、そんな」


「北条先輩も一人の女の子ですよ、秋山先輩。生駒いこま先輩だってそうです。あの二人が、ジョーさんのことを話しているの、何だかそんな風にあたしには思えたんです。二人にとって大事な人なんだなって」


「でも、それならそれで二人で一緒がダメってことにはならなくないか?」


「あのお話では、先に生駒先輩が接触しているようでしたから、それは北条先輩にとっては抜け駆けでしょう。生駒先輩は北条先輩のことも大好きなんですよ。それで、後ろめたいんです、きっと」


 生駒会長は秩序を愛する。公正を愛する。

 それは自分自身にも適用される、というわけか。


「だから、その想いを請け負ってしまったあたしたちの責任は重大です」


「あ、ああ、そうだな」


 菊理はしっかりした妹過ぎていると思った。



 波瑠先輩の姿は、思ったよりも早く見つかった。

 特別棟の一階から学年棟に向かう通路の途中で、男子生徒と相対していたのだ。


 間違いない、あのパターゴルフ場で菊理がぶつかった彼。

 雰囲気から察するに丁度出会ったばかりのように見える。


 周りを見回すが妹の姿は無い。


 気付かれてはいなさそうなので、中庭に降りて二人とは通路の壁を隔てたところで様子を窺うことにする。

 一階の通路の壁は、虎の胸あたりまであり、隠れるのにも、聞き耳を立てるにも都合が良い。


 お昼休みの真ん中あたりなので、食べ終わって移動する生徒は移動した後だし、のんびりしている生徒はそのままだしで、人通りもまばらで助かった。

 といってもまったく無いわけではない。

 中庭にも数名生徒はいる。



「うーん、場所的に一年が良く通るよな……もし知り合いに見られたら何かごめん、菊理」


 菊理に小声で謝る。


「いいですよ、親戚のお兄ちゃんって言って誤魔化しますから」


 耳元でささやくように返してくる菊理。

 彼女を至近に感じる。


「あ、ああ親戚ね、それならまあいいか……」


「先輩……もしかして不満ですか? 幼馴染のお兄ちゃんとかのほうがいいです?」


 このまくしたて方、やっぱり市花に似てきている。


「近くなってる近くなってる、怪しいから普通に時々遊びに行ってる部活の先輩でいいじゃないか」


「そうですか……」


 どちらかというと菊理の方が不服そうな顔をしていると思う。

 単なる誤魔化しなんだから、彼女の好きにさせてやればよかっただろうか。



 そんなことを考えている間に、波瑠先輩と彼の会話は進んでいっているようだ。慌てて聞き耳を立てる。



「ジョー、でも、また会えて嬉しいわ……その、あの事故は大丈夫だったのね?」


 波瑠先輩らしくない口調。

 何だかとても女の子っぽい。


「事故? ノリにも言われたけど、そのことはあまり良く覚えていないんだ」


「そうなの……でも仕方ないわね。あの時、私はジョーが死んだって思ってたから……あれは何かの間違いだったんだ。本当に良かった……」


「ハル……」


「私まだね、キョウケンやってるの。その……ノリもチューもやめちゃったんだけど、ひとりで、ずっと頑張ってたんだ。そしたらね、後輩がいっぱい入ってくれて、今は、全員入ると部室がいっぱいになるくらいなの」


 波瑠先輩は、どこか甘えるような口調で彼に語る。

 とても嬉しそうに聞こえる。


「ジョーさえよければ……またキョウケンに入らない?」


 鈍感でも、ここまで来れば、わかる。わかりすぎる。

 菊理の推測どおり、波瑠先輩はやはり彼のことを……。


 そんなことを考えていたせいか、忘れていたのだ。

 彼女の存在を。


「ちょっと、そこのアンタ、うちのお兄ちゃんに何してるのよ」


 二人の間に割って入ったらしい少女の声。

 この声、パターゴルフ場のツインテールの彼女、妹の松莉まつりと思われる。


「あなたは……もしかして松莉まつりちゃん? ちょっと雰囲気変わったわね」


「アンタ誰よ?」


「誰って……ハルよ。ハルちゃんて呼んでたの覚えてない?」


「アンタなんて知らない。とにかくジョーにいに近寄らないで。ジョー兄は私のなんだから」


「お、おい、松莉……」


「お兄ちゃんは黙ってて!」


「松莉ちゃん、そんな言い方はないわ。ジョーが、お兄さんが大好きなのはわかるけれど、お兄さんはあなたのものじゃないでしょう?」


「私のお兄ちゃんだよ。だから私お兄ちゃんのためにたくさんたくさん頑張ったし」


 頑ななまでに譲らない。


「大体あの事故は、アンタたちのせいでしょ」


「えっ……松莉ちゃん……私のこと覚えて……?」


「忘れるわけが無いでしょ。オマエたちがお兄ちゃんを殺したんだから。知らない、のはオマエが血の通った人間であることよ。ぬけぬけと、全部忘れて『またキョウケンに入らない?』なんて、おかしなこと言って」


「そ、それは違う……」


「事故だったって言いたいの? 事故の原因を作ったのはオマエたちでしょ」


「……」


 壁越しでも分かった。

 微かなすすり泣く声。

 この雰囲気。波瑠先輩が泣いている――


「はん、何も言えないなら認めてるのと一緒よ。とにかくジョー兄を二度とオマエたちの殺人クラブに誘わないで」


 そこまで言うと、「お、おい」と波瑠先輩を気遣う兄を無理矢理引きずって去って行ったらしい。


 静寂――


 出て行けなかった……出て行けるはずがなかった。

 事故?

 殺した?

 波瑠先輩が?

 そんなまさか……。

 頭は真っ白だ。


 多分隣の菊理も同じだったと思う。



 ……



「松莉の勢いに萎縮して、役目が果たせなかった、ということね」


 放課後の社会科準備室に生駒いこま会長の声が響く。

 菊理は陸上部にいっているので、今は自分ひとり。

 否が応でも彼女の言は突き刺さってくる。


「すみません。妹が何か言う前に出て行くべきでした」


 今日は、いつもの直、市花、佐保理の三人に加えて、波瑠先輩もいない。

 生駒会長によると、気分が悪いとだけ言って帰ってしまったとのことだ。


 最悪だ。


「やっぱり私が行くべきだったのかもしれないわね。波瑠、言いたい放題言われていたでしょう『人殺し』とか……」


「えっ!? どうしてそれを」


「私は先に彼女に会っているのよ。自分が言われたことと同じことを言われるくらい想像がつくわ。だから会わせたくなかったのよ」


 生駒会長も松莉に『人殺し』と呼ばれた。

 つまり、彼を挟んでの単なる人間関係があるだけでなく、事件に彼女も関与しているのだ。


「一体何があったんですか? その、聞いて良いのかもわからないんですが……先輩達が彼を殺したとか意味がわかりませんよ。彼生きてるじゃないですか? 事故って何なんですか?」


「松莉はそこまで言っていたのね」


「波瑠先輩は途中までは必死で否定してましたが、最後には、何も言えなくなったみたいで」


「自分も被害者なのに、波瑠……」


 生駒会長は深くため息をつく。


「波瑠先輩は被害者なんですか? なら『事故の原因を作ったのはオマエたち』って言われたときにそれを言えばいいのに、どうして黙っちゃってたんでしょう」


「波瑠は近しい関係だと、自分の問題ではないことも、抱え込んでしまうほうだって、知ってるんじゃないの? あなたは」


 知っている。

 自分のことも、まるで波瑠先輩自身のことであるかのように、ずっと一緒になって悩んで、考えてくれている。

 楽しいときは一緒に笑って、悲しいときは一緒に涙してくれている。


 予言に対する負い目だけでは決してないし、もし、負い目であったとしても、それはそれで自分にとっては女神と言って良い。


 その女神の苦境を救うのが勇者ではないだろうか。



「生駒先輩、何があったのか、教えて貰えませんか?」


「それを知ってどうするつもり?」


「波瑠先輩、キョウケンを自分一人で頑張ってきて、部室が後輩達でいっぱいになって嬉しいって言ってたんです。俺は、先輩のあの笑顔を取り戻したいって、ただそれだけです。そのヒントになることなら、何でも知りたい」


 たとえその笑顔が彼に向けられているのだとしても構わない。

 悔しく無くもないのだが、自分には応援することしかできない。

 何だろうこの感情の名前は。



「プライベートに踏み込んでくるのね」


「そ、そういうつもりじゃ……」


「でも、そうね。この件を解決するためには、幕引きを計るには、八握剣やつかのつるぎを持つあなたが揺るぎない心でなければならない。真実を知っておく必要はあるかもしれない」


「先輩……」


「ただこれだけは誓って、あなたの心に止めること。これは本来、波瑠もあなたに聞かせたくない話だろうから」


「は、はい……」


「今から話すお話は、誰にも言えないことだから、これはひとりごと。良いわね」

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