第18話 何かが始まった

「ちょっと、佐保理さおり、いつまで寝てるの、そろそろ起きなさい」


 廊下から、ドア越しに母親の声。

 おぼろげな意識を気合いでまとめ、精一杯の力で応える。


「ふぁーい、今、起きる。いや、もう起きたから」


「まったくだらしない。ソウジくんはもう来てるのよ、急いで着替えなさい」


「はぁーい」


 そうか、ソウジくんはもう来てるのか。

 それは大変だ、早く着替えなければ。


 急いでベッドから跳ね起き、着替えを手にとったところで彼女は気がついた。


 あれ……ソウジくんて誰だろう?

 まだ寝ぼけてるのかな?

 聞き間違え?


 とりあえず、自室の脇にある洗面所で洗顔などを済ませてから、制服に着替え、鏡の前で身だしなみに問題が無いことを確認し、階下に降りる。


 そして、リビングの扉を開けたとき、そこに見慣れない人物がいるのに彼女は気がついた。


「えーっと、ど、どなたですか?」


 思わず反射的に口に出してしまった。


「佐保理……もしかしてまだ寝ぼけてる?」


 サラサラの、男子にしては少し長めの髪、その前髪に微妙に隠れている悪戯そうな目、そして線の細かい顔立ち。


 テーブルに座っているから身長は正確にはわからないけれど、佐保理よりは高そうで、ほっそりした体つきの上半身は、均整がとれて美しいと言っても過言ではないほどだった。


 要約すると、つまり、彼女が期待していたようなイケメンが、すぐそこにいる。


 これが、母親がさっき言っていた『ソウジくん』か。

 誰かはわからないが、食事を出したり母親が親しげにしているところを見ると、怪しい人物ではないようだ。

 というか台詞からすると、自分のことを知っているらしい。


 しかし、問題は、彼女の側が彼に何と話しかけたらいいものか、分からないことだった。それはそうだ、自分から積極的に話をできるようであれば、ボッチになどなるはずがないのだから。


 そのまま黙って席につき、彼の視線を感じつつも、下を向きながら食事をとる。


 おかしい、このシチュエーションは自分も望んでいたもののはずなのに、どうして前に一歩進めないのか。


 前に彼がいるという緊張のせいか、母親には申し訳ないことに、お味噌汁も焼き魚も味がしない。


 結局自分は、永遠のボッチなのか、なんだか泣けてくるなあ。


 彼女のマイナスシンキングが許容量を超え、実際に目からひとしずく水滴が茶碗に落ちたその時――


「寝ぼけてるなんて言って悪かった。謝るから、こっち向いてくれないか」


「へっ?」


 ガバッと首をもちあげ、正面を見る。

 彼はいかにも困ったというような顔をしながら、こちらに向けて両手をあわせている。


 な、何か言わないと、ど、どうしよう。心臓が早鐘のように鳴る。


「ああ、無理してしゃべんなくていい。佐保理が不器用なのはわかってる。でも、そこが可愛いんだけどな」


 それで心がスッと楽になった。まるで魔法のようだった。


 聞き間違いではない、目の前の、あの端整な口から『可愛い』と言われたのだ。この自分が。


 ちょっと泡立つ心。


 でも、それ以上に自分に向けられた彼の視線はとても優しくて落ち着きを与えるものだった。


 だからできた、自分の言葉を自然と口に出すことが。


「あ、ありがと……」


「お、俺に惚れたか?」


 ニコリとして返してくる。

 彼女は、自分の顔が真っ赤になっているであろうことを疑わなかった。


「な、何言ってるのよ、もう、朝っぱらから!」


 これが精一杯。でも、なんだろう、とても心地がよい。


「まあまあ、朝から痴話喧嘩? 佐保理も隅に置けないわね」


 そこへ母親の横槍が入った。

 憮然とした表情をしながらも、ともかくご飯をかけ込む。

 彼はそんな佐保理をこの時も和やかな顔で見守っていた。

 

 途中苦戦したせいか、ご飯を食べ終わると、そろそろ学校に行かなければならない時間になっていたので、ご馳走様を終えてすぐ、玄関に直行し、外に出る。少しまだ肌寒い。


 彼女は一瞬背伸びして自分に気合いを入れる。


「よーし、今日も頑張るぞ!」


「気合い十分だな。いいことだ」


 いつもなら、誰もいないことを確認して、独り言になったことに安心するのだが、今日は彼がいてそうはならなかった。

 当然悪い気はしない、しないのだが、佐保理はちょっと確認したくなる。


「んーと、とっても申し訳ないんだけど、やっぱりこれだけは聞きたいの」


「何をだ?」


 上方から鋭い視線を感じる、気がする。

 でも聞かなくては、自分の中にまだ残るモヤモヤしたものを解消したい。

 解消できればきっともっと彼に対して素直になれる。

 彼女は勇気を出して一言告げた。


「貴方は……何者?」


 見上げる。視線がぶつかる。受け止められてしまった。

 間髪入れず、返しの言葉。


「何者ってお前のカレシだ。それじゃダメか?」


「か、彼氏」


 涼しい顔でこう断言されてしまっては二の句が続けられるわけがない。

 受け入れるしかなかった。


「わかった。もうそれでいいや。あなたはソウジくん、私の彼氏ね」


 彼は黙って頷き、しばらく佐保理の方をじっと見ると、思い出したかのように言うのだった。

 

「そうだ、これだけは約束する。俺は何があってもお前を守る」


「こ、こんな往来の真ん中で突然何言い出すのよ!」


 その視線に耐えきれず、彼女は真っ赤になって明後日の方角を向く。

 そして、見慣れない格好の人物がそこにいることに気がついた。


 あれ? 何かの見間違いかな。

 目を擦ってみるが、変化はなかった。


 歴史モノのドラマからそのまま出て来たような武士の着物に、やや乱れた長髪、そして長身、その鋭い眼光は、こちらの二人に注がれているようだ。

 おそらく鞘に収まった刀と思われるものが、腰の左右に結わえられている。


「お、お前は」


 佐保理の異変に気がついたソウジが、かの人物を見てうめく。


「手が早いな、沖田総司よ。すでに特異点と懇意になっているとはな。だが、貴殿の思い通りにはさせぬ。拙者も望みがあるゆえな」


 カチャリと音を立てて、両の手で左右の腰から刀を同時に抜いた。

 朝の光が反射してキラリと輝く。

 そして、地面を踏んだかと思うと、そのまま佐保理の傍らにいるソウジに向かって飛んだ。


「ええええっ」


 反射的に両手で目を覆う。

 カキンッと近くで金属の擦れ合う音が響く。


 薄目を開けて恐る恐る指の隙間から覗くと、薄い藍色の柄の入った羽織を着た若武者がそこにいた。白く長い鉢巻きを風になびかせている。


 もちろん、彼はソウジだ。


 沖田総司? 佐保理の脳裏に『新選組 一番隊組長』の文字が流れる。


 その両手に持つ剣は形こそ日本刀ではあるが漆黒で禍々しいオーラを放っており、まるで魔王の持つ剣のようだった。

 先ほどの侍が二つの刀をクロスさせた状態をその一刀で受け止めている。


 二人はそのまま、にらみ合い、静止したままだ。


「流石、『神速』、こちらの一振りが、貴殿には何振りもに値するらしいな」


「お褒めに預かり光栄の至り。その『二刀流』、『見切り』、剣豪宮本武蔵殿とお見受けする」


 気のせいだろうか、先ほどまで朝の日光に栄えていた二つの刀の、その刀身の色が少し鈍くなった気がする。


「血を吸う剣、『加州清光かしゅうきよみつ』か。気を纏わねば、我の『了戒りょうかい』、『金重かねしげ』も危ういな」


 そう言うと、二刀流の男、武蔵は瞬く間に剣を払い、後方に飛びすさった。


「少々お遊びが過ぎたようだ。されば、ここからは本気とならん」


 すぅと息を吸う。すると、二つの刀は再び輝きを取り戻した。

 そればかりでなく、オーラのようなものが剣から迸っている。


「こちらとしても望むところ、参られよ」


 ソウジが手にもつ魔剣を正眼に構える。


「いざ尋常に勝負!」


 しかし、ここで横から、おそらく二人には思いがけない邪魔が入るのだった。


「ちょっと待ちなさい、二人とも! 私が学校遅れちゃうでしょ!」

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