5-24 そっ、そんなプレイをするはずがなかった



 俺にとって、ニケというのはただの女だ。

 触れれば温かくて柔らかい一人の女性だ。もとが剣とかどうでもいい。

 もちろん戦いの中で傷つくこともあるし、極力そんな目にはあわせたくない。


 それでもきっと、どこかで思ってしまっていた。

 ニケは負けないと。勝ち続けるのだと。


 でも……やっぱりニケは無敵の戦士ではなく、俺の愛するただの女だということを思い知らされる。


 ──地面に横たわり動かない、その姿を見て。


「シンイチ! ニケ殿をっ、ラボに早く!」


 ニケを横振りに襲った巨人の右腕。


 巻き込まれて薙ぎ倒されたルチアは、盾を取り落とし、左腕をだらんと下げていた。足も痛めたのか、少し引きずっている。

 それでも右手だけでポーションを取り出し、浴びるように飲んで盾を拾う。

 そして再び巨人の前に立ちふさがった。


 俺もルチアのときと同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。ゆっくり開くラボの玄関ドアに体をぶつけながら、半身で飛び出た。


 巨人に殴られる瞬間、ニケは自分から飛ばされる方向に跳ねたように見えた。

 ルチアの守護者の大盾が防いでくれたおかげで、ステータスの低下が軽減されたのだ。

 だから絶対に生きてるはずだ!


 壁際で倒れるニケのもとにまっすぐに向かい──唐突に、激痛。

 なんだこれ……頭いてぇ! 額から脳味噌に直接電気流されてるみたいな……なんでこんなときにっ。


 そして気づいた。

 ニケの体が光っているように見える。ニケだけじゃなく、横目に写るルチアも巨人も。うっすらだけど、部屋も丸ごとだ。

 なにもわからないが、頭痛を無視してニケのもとに着いた。


「ニケ!」

「……マス……タ…………」


 まだ意識があるのか!?

 うつ伏せに倒れているのを、慎重に上向きにして起こす。

 自身の血にまみれる美しいその顔を見ても、いまだに信じられない思いで一杯だ。あのニケが……。


 とにかく急がないと。

 殴られた右上半身の損傷がひどいが、おそらく見た目以上に体内は傷ついているはずだ。


「ニケ! 今……」

「マス、ター…………マ、ス…………タ……」


 ニケは……意識があるわけではなかった。

 その目は俺を捉えていない。ただうわ言のように俺を呼んでいたのだ。

 むせて血を吐くニケを見て理解してしまう。


 もう、もたない。


 その証拠かのように、謎のニケの光がしぼんでいく。


「ぐうっ!」


 そこに背中からルチアの苦悶の声が響き、盾がこちらに転がってきた。


 振り返ればルチアは左腕を抑えている。

 いくら上級ポーションでも、足と腕両方は治しきれなかったのだ。


 ──全滅。


 その予感に思考が染まる。


「……ここまでか」


 諦念ていねんに至りうなだれる俺に、ルチアの叱咤しったが飛んでくる。


「なにを言っているシンイチ! まだだ! 隙を見て回復魔術を使うから、早くニケ殿にポーションを……」


 きっとこちらを見たのだ。ルチアの言葉が途切れた。

 すぐに続けたが。


「主殿……それはなんだ」


 俺が右手に持つ、豪華なビンのことかな?

 ルチアに応えず、あきらめて使うことにした俺はビンのコルクをキュポンと抜いた。


 その中で輝く金色の液体を、ジョロジョロとニケの顔にかけていく。すごくいけないプレイをしているときの気分……やったことはないよ? うん。


 そして全てをかけ終わると──


「ひぇ、気持ち悪ぅ」


 たちまちのうちにニケの体が、高速逆再生のようにもとに戻っていく。

 そして閉じかけていたまぶたがパチリと開いた。


「ここは……これは……それは……」


 体を起こしたニケは、説明するまでもなく全てを悟った。

 渾身のジト目が心地良い。


「……その器はエリクシルですね」


 ──霊薬エリクシル。


 たとえ死の淵にいようとも、たちどころに全快するという奇跡の薬。

 八十六階層で、遺宝瘤いほうりゅうからくすねたお宝だ。


 聖国で見たことだけはあったが、使ったところを見るのは初めてだ。上級ポーションなどとは次元が違うな。


「ビックリだよな。この前スズメを助けたら、お礼にくれたんだ」

「マスター。いい加減なことばかり言うその舌は、一度切って──」


 原作を改変して優しいおじいさんの舌を切ろうとする怖いおばあさん。その頭を胸に抱きしめて封殺する。


「よかった、ニケ……よく踏みとどまった」

「……はい」


 抱き返してくるニケの温かさ。

 最後の二人の足掻きがなければ、この温かさを二度と感じることはできなかったかもしれない。


 空っぽのビンを放り投げてしっかり堪能する。

 ニケも甘えるように、俺の胸に額を擦りつけていた。


「すみません……貴重な物を」

「謝らんでいい。お前はよくやった。あんな風に切り替わるなんて、ヤツがズルすぎるんだ」


 エリクシルをくすねておいて正解だった。

 二人にバレていたら、俺に万が一があったときのために取り上げられていたかもしれない。

 傷つく確率が高いのは二人なのに、それじゃ意味ないからな。


 まあ錬金術レベルが上がったときのために研究はしたかったが、ニケの命には替えられないし。惜しくなんてないよ、ホントだよ。


 抱き合って互いの熱を確かめ合う俺たちの横に、バックステップで降りたルチアが膝を着いた。


「ハァハァ……まったく、あんなものを隠し持っていたとはな。それで、そろそろいいか?」


 引きつけてくれていたルチアの目は恨みがましい。

 だがニケのためにとっておいた回復魔術を自分に使うその口もとは、安堵に緩んでいた。


「すみません、助かりましたルクレツィア」

「すまんすまん。ケガは? ひどいのか?」

「いや、もうそれほどではない。力が入れづらい程度だ」


 ケガの具合は大したことはなくても、盾を持つルチアにそれは大問題だ。

 ルチアはポーションもまだクールタイム中だし。


 ポーションはクールタイムの残り次第で効果が増減する仕様なので、クールタイムが残ってても多少は効果があるのだが。


「ルクレツィアは離れて回避に徹していなさい。私がいきます」


 俺を離し、ニケは拾い上げた剣を巨人に向けた。雷撃をさらに左手でも放ち、駆け出していく。

 俺もボケっと見ている場合じゃない。

 気持ちを切り替えていこう。


 そういえばあの謎の光は、いつの間にか頭痛とともに消えていたが……あれは一体なんだったのか。

 うーん、今はいいか。


 シータを再起動させ、俺本体はラボに戻った。

 そして、すぐに外に出て走る。


 持ってきたトゲトゲバットを握りしめ、巨人に向けて真一まっしぐら。


「あっ主殿ぉ!?」

「マスターなにを!?」


 二人が悲鳴のような声を上げているが、知ったことか。後ろから巨人のくるぶしをゴルフスイングしてやった。


 おぉ、それなりに痛いみたいだ。

 殴った左足が上がって……うおぉい、あっぶな! そのまま踏んづけられるとこだった!


「なにをしているのですか!」


 シェーみたいなポーズでなんとかよけた俺を見て、ニケが顔を青くしている。

 つーん、知らんもん。

 さっきはニケに対して愛しさでいっぱいだったが、俺は気持ちを切り替えたのだ。


「マスター、怒ってっ、いるのですか?」


 巨人の攻撃をよけながらニケが聞いてくるが、怒ってなどいない。


「別にー。ただ二人が俺の言うこと聞かないで好き勝手するなら、俺も好きにしようと思っただけだしー」

「怒っているではないですか……」

「怒ってないし。ただメチャクチャ心配してただけだし。挙げ句の果てにあんな死にかけて、ちょっとぐらい怒ってなにが悪い!」

「主殿……もう言ってることが支離滅裂、っ! 来るぞ!」


 巨人の左の魔導腕が上がり、二本の指が天を向く。警戒していたニケは、すぐさま離れた。

 でも俺は──


「な…………」

「ばっ!? 馬鹿っ!」


 ニケが絶句し、ルチアから久々にバカ呼ばわりされる中、もいっちょまっしぐら。


 俺は魔力操作が得意であり、術のレジスト能力ならニケやルチアより上なのだ。不意を打たれないかぎり。

 だからくるとわかっていれば、レジストできる……きっと。


 巨人めがけて飛び上がった瞬間、魔導腕の模様が完全に赤く染まる。

 全力全開! 魔力を体中に張り巡らせる!

 タイミングはバッチリ! 元リズムゲーマー舐めんな!


 ──皮膚上で感じる刹那の攻防。

 襲いくるヤツの魔力と、押し合い、食い合う。


 体は…………動く! 余裕だね!

 もうなんでもいいからとにかく──


「いっぺん顔面殴らせろや! フルっスイングぅうらあ!」


 鼻っぱしらに思いっ切り振り抜く!

 初めは魔導腕を狙おうかと思ってたけど、我慢できるかこんなもん。


 でも悲しくも巨人は、顔を軽くのけぞらせただけ……だったが直後、ぶぱっと両の鼻の穴から血を吹き出した。

 ざまあみろぃ!


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