2 そして彼女は彼に恋した
2-01 しゅごかった 1
おかしい。絶対におかしい。
「マスター、早くしてください。あーん」
目の前で椅子に腰掛ける長髪美女が、形の良い唇を丸く広げている。ホムンクルスに宿った、シュバルニケーンことケーンさんである。
「あ、うん。あーん」
俺はおかゆをすくったスプーンをその口に差し込む。
ケーンがホムンクルスの体と融合し、目覚めてから三日が経った。
目覚めたケーンにいきなり頭突きされ、ビンタされたときは肝が冷えた。世話になりっぱなしだったケーンに恩返しするために良かれと思ってやったのだが、余計なことをしてしまったのではないかと。
もっともそれに関しては取り越し苦労だったからいいのだ。
ちなみにケーンが寝てる間は、万が一のときのために置いてあった保存食で食い繋いだ。とても侘(わび)しかった。
よくわからないのは、なぜかケーンが妙に甘えてくることと、俺をマスターと呼び始めたことだ。
剣じゃなくなって、自由になった途端マスターと呼んでくる意味がわからない。
「ケーンよ、体を動かす練習のためにも、そろそろ自分で食べてみたらどうかと思うのだが」
「断ります。あーん」
「あっはい」
俺はまたおかゆをすくってケーンに食べさせる。ケーンはもにゅもにゅと口を動かし、こくりと飲み込んだ。
「マスター」
「はいあーん」
「いえ、そうではなく」
「違うんかい」
「新たな名前を所望します。さすがにこの体でケーンというのは不似合いかと。シュバルニケーンと名乗るわけにもいきませんし」
なるほど、確かに剣だったからケーンであり、剣でなくなったからケーンではないな。
「つーか俺が決めるの? 自分で決めれば……ひい!」
金と青の瞳から放たれる視線はブリザード! このままでは凍死してしまう!
仕方ない、たっぷり時間を使っていい名前を考えてあげよう。
一、二、三、
「ではニケで」
「またそうやっていい加減に……」
「俺の世界で由緒正しい勝利の女神の名前だが、気に入らないなら」
「いえ、それにしましょう。気に入りました」
俺の知ってるニケに頭と腕はないが、言わなくてもいいか。
まだ表情を作るのが難しいようだが、ケーン……いや、ニケが微かな笑みを見せる。
正直動悸が止まらない。我ながらなんと美しい人を作ってしまったのだろうか……冷静さを装ってはいるが、ニケが起きてから俺はずっと前後不覚なのだ。
餌づけが終われば、歩行練習である。
リハビリ、というか体の動かし方を学ぶためだ。
作る前はまさかそんなことが必要だとは思っていなかったが、今まで体なんてなかったのだから仕方ないか。それに、思ったよりずっと早く動けるようになっている。
「あんよはじょーず、あんよはじょーず」
「赤子扱いしないでください、もうっ」
真顔で拗ねる器用なニケさん。
美人がよたよたと歩いて向かってくるのは、どこか背徳的である。だが気を抜くわけにはいかない。
「あんまり力むなよ。まだ俺は死にたくない」
どうもニケは思い切って動こうとすると、力の入り方が振り切れるようだ。
昨日なんて、俺に向かって人間ロケットしてきた。おかげで上位ポーションを飲むはめになった。しかもニケはけろりとしているのだ。
ニケのステータスが気になるところだが、なぜかバグっててステータスの文字が判別できない。ホムンクルスというのはそういうものなのだろうか。
「わかっています…………っ、捕まえました」
まるですがりつくようにしてくるニケを受け止める。ニケの胸部に搭載した衝撃吸収装置の性能を、俺は自分の体で確かめるのだ。ふひひ。
これくらいの役得いいよね? 頑張ったし。
「フフ……ツカマエマシタ、マスター……」
俺の首に腕を回して抱きつくニケが、耳元で息を吐くのがこそばゆい。
俺がお胸様の感触を楽しんでいることも知らずに呑気に……というかなんか怖いんだけど? どんどん締めつけもきつく……ひゃあ、耳舐められた!?
「ニ、ニケさんや、何をしているのかな」
「マスターのお耳を掃除しようかと」
「違うよ? マスターさんのお耳さんは舐めて綺麗にするものじゃないよ?」
「そうですか、それは失礼しました」
ニケが天然ちゃんになってしまった。
……と、このようにちょっとおかしいのだ。
もしかしたら錬金で何か不具合があったのだろうか。
この様子では自由になったあとのニケが少し心配だ。
二日後──
「マスター。私のステータスが判明しました」
なぜか俺が風呂に入っているときに、ニケが裸で突撃してきた。
君は俺の前に風呂入ったじゃないか。理性を総動員して洗ってあげたのに。培養槽のときと動いてるときじゃ、破壊力が全然違うのだ。
そう伝えても出ていかないから、仕方なく一緒に入った。
ちなみに今の風呂は昔みたいにこぢんまりとしたものではなく、三人くらいで悠々入れるサイズになっている。
ベッドもクイーンサイズになっていて、この体になった翌日にはニケの分も作ったのに、起きると必ずニケが俺の横で寝ているのはなぜだろう。
「で、バグってたステータスわかったのか」
目を閉じてると開かせようとしてくるので、俺は寄り目をしている。なんて紳士。
「はい、プフッ〈ステータス〉〈開示〉」
人の顔を見て真顔で笑う失礼なニケの前に、ステータスボードが現れた。ステータスは〈開示〉することで人に見せることができるのだ。
よし、寄り目だけど気合いで読み解くぜ!
レベル ーー
種族 錬成人
職業 雷帝剣神
MP 1600/1600
STR 2262
VIT 1450
INT 2028
MND 1401
AGI 1710
DEX 1585
〈神雷〉〈危機察知〉〈無限収納〉〈剣術10〉〈格闘術5〉〈竜の威光〉〈鑑定眼〉〈神鋼の意思〉〈アップグレード〉
やっぱりバグってた……って、
「ちょっと待て! 〈再生〉がない!? なんでだ、他のはあるのに!」
ウソだろ……これじゃあ〈再生〉が、老化に効くとか効かないとか以前の問題じゃねえか……。
フラッときて湯船に沈みかけた俺は、ニケに抱き止められた。
……ニケの顔が見れない。俺は顔面を柔らかいものに挟まれたまま、顔を上げることができなかった。別に堪能しているわけじゃない。
「
「やはりその技能──スキルのことに食いつきましたか。寿命のことでしょう? 気にしなくても構いません。うまくいっただけですから」
けろりとしたニケの声。そんな強がらなくても……ん?
俺は顔を包むマシュマロを、もにょもにょとかきわけて顔を上げた。
「うまくいったって……どういうことだ?」
「再生スキルは珍しいものなので、マスターは知らなかったでしょうね。実はこのスキルが剣についている場合、全て同様に『納刀時に発動する』ものなのです」
「えっ、納刀って……鞘……融合するとき除けさせた、よね」
ニケをホムンクルスの核にするとき、ニケの方から鞘を外せと言ってきた。今では記念にラボの部屋に飾ってある。
「はい。前提条件が満たされることが永遠になくなったので、スキルが消えたのかもしれません」
「なんでわざと鞘を……」
俺と目を合わせたまま、ニケは一瞬もそらすことはしない。金と青の瞳が俺を掴んで離さない。
「永く生きるというのも、それはそれでつらいことです。大切な者に残されるのは特に」
「…………そか」
俺も家族との別れには、胸が張り裂けそうな思いを味わった。ニケはそんな思いを幾度となく繰り返してきたのだ。
いたわるような言葉をかけてあげたかったが、小僧の俺にはなにも思い浮かばない。ニケに抱きしめられたまま、変な体勢で頭を撫でてあげることしかできなかった。
微笑んでくれたニケに、せめて思いだけでも伝わってくれていればいいのだが。
「ふふ、ありがとうございます。剣であったころからそうでしたが、貴方の触り方はとても優しいですね」
はてな? 俺剣のとき優しく触ったりなんかしたっけ。
「……あ、わかった。あれはくすぐってただけだぞ。剣の体でもこちょばゆかったりするのかなと思って」
「それは聞きたくありませんでした……なぜそう素直に言ってしまうのですか……もう、もう、もうっ。台無しです。貴方は致命的に人への配慮というものが欠如しています。もういいです。話を戻します。償いとしてしばらく撫でていてください」
「いや知らんがな。ニケが勝手に勘違い……よしよしいい子いい子」
ギロリと睨まれたので、大人しく撫でることにした。至近距離での美人の怒り顔は迫力半端ねーっす。
「再生スキルですが、もしかしたらそもそも通常の生物にはつかないスキルなのかもしれません。私も一部の魔法生物以外には、ついているのを見たことがありませんし。それに実際のところは不老になるとも思えませんでした。再生は失った体が元の位置に戻ってくる、といったスキルでしたから」
「あー、そうだったのか。ケーンを折り続ければ無限
そもそも折る方法がなかったのだが。錬金術でどうにかすれば折れたのかな?
「……撫で時間を追加します。再生について重ねて言えば、先ほどの前提条件を考えればわかると思いますが、決して不死というわけでもありませんでした。これに関しては意図的に伝えなかったのですが、そのまま伝えそびれていました」
俺は主ではなかったわけだし、警戒して当然だろうな。
納刀時に再生するというのであれば、二度と納刀できないようにすればいいのだ。
「
「殺したかったかのような言い方が気に入りません。追加です」
口を開く度に撫で時間が追加されていくのはなぜだろう。
「まあそういった再生スキルの性質はあったのですが、それでもできれば再生が発動しないように仕向けさせてもらいました。ですから消えたという結果は、私個人としては喜ばしく思っています」
そして、後悔など微塵も感じさせず穏やかに、でも確固たる意志を持って──
「生と死は分かたれ得ぬ
そう言って、ニケは俺を強く抱いた。
己の体を確かめるように。
長過ぎる生が
「継戦能力を意図的に低くしようとしたことは心苦しく思っているのですが……」
「いいさ、ニケの望みだったんなら……というかあのね? そもそも謝る必要ないから。俺は実験のためにお前を核にしただけで」
「わかりました、ありがとうございます。もっともステータスに表記されている最後のスキルがあるので、継戦能力にも問題ありません。十二分に役立ってみせます」
わかってない……いや、わかっていてわかろうとしない。一体ニケに何があったの!?
「え、えっと、それじゃあステータスの続きを……あの、ニケさん。そろそろ離してもらえるかな?」
話をしながらずっとニケから離れようとしていたのに、びくともしないのだ。
そのあとしばらくの間、俺はもにょもにょさせられた。
大事な一人息子が怒り狂って大変なんですけど。
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