1-10 閑話 シュバルニケーン



 私はシュバルニケーン。

 一振りの剣である。


 私という剣がいつ作られたのかはわからない。私という意識がいつ生まれたのかもわからない。或いは忘れているだけかもしれない。

 知っているのは己の名のみ。

 ただ気づけばそこに在った。




 私が私を確立してから、長い時が流れた。

 その間、私は多くの者の手を渡り歩いてきた。

 私を持った者たちは私を振るい、多くの者を殺め、多くの者を救ってきた。またあるときは私を求めていさかいが起こった。


 私は時代によって聖剣とも、魔剣とも呼ばれた。

 だが人からの呼称など、私にとってなんの意味も持たない。私は私を握る者のために、己の持つ力を使うだけである。


 なのにいつからか私は、己の主を己で定めるようになっていた。きっかけなど単純。私を使おうとした者のことが気に食わなかった、それだけの話だ。


 ……気に食わない? 人に使われるただの武器にしか過ぎない私が、なぜそのようなことを感じるのか。深く考えるべきではない気がした。








「俺は、自由に、なるんだっ!」


 青年の叫びが、私を震わす。






 長い時を経て、私が流れ着いたのはリグリス聖国という国家だった。

 私はそこで神剣と呼ばれていた。


「剣が選びし者は、神に選ばれし者である」


 生臭坊主共はそううそぶいて私を祀り上げたが、私は個人的嗜好によって選り好みしていただけだ。神などという存在とは全く関係がない。


 退屈な日々。一体なぜ、私はこのような場所で飾られていなければならないのか……。

 それに彼らが言うところの『神に選ばれし者』の大概は、私が興味を持ち得る相手ではなかった。

 私は強き意思を持ち、それを貫く者を好ましく思う。その根底が聖であれ邪であれ、だ。




 先だっては異世界から喚んだ少年に私を持たせたが、それまで同様私が好む心の持ち主ではなかった。

 その剣聖職の者は、確かに高い能力を持っていた。だが、女性に持て囃されるために私をちらつかせ、脅すために覚悟もなく私を他者に突きつける。私が最も嫌悪する性根の持ち主であり、力を貸すべくもない。


 その剣聖が、野営(とは言えないが)中に突如として消えた。剣聖の情婦たちもだ。

 何事かと思っていれば、狂人そのものといった笑い声と何者かを罵倒する声が聞こえた。その後、快適すぎる野営をお膳立てした錬金術師が私を取りにきた。

 剣聖たちが「雑魚」「守銭奴」などとそしり、これまで大小の嫌がらせを繰り返してきた相手だ。

 剣聖が消えたのは、少年の……この年の頃であればもう青年と言ってもいいか、彼の技能によるものだったのだろう。


 青年が私を手に、ニヤニヤと薄気味悪い笑みをこぼした。

 過去幾度も繰り返されてきた光景だ。欲に駆られた者が、私の所持者から私を奪う。たとえそれが仲間であったとしても。


 まあいい。彼が私の主足り得るか。

 私が思うのはそれだけだ。

 主となりたければ、その資質を私に見せてみるといい。


 ……うん、無理だ。

 青年は私を抜いて振り始めたが、これは資質うんぬん以前の問題だ。私に振り回されるだけで、全くなっていない。


 そう考えていると、青年は他の人間の荷物を漁りだした。

 よくわからないが、目的の物は見つからなかったようで──


「まあ槍とかよりはマシか……仕方ない、これくらい我慢するか」


 ──ん? 今なんと言ったのだろうか。聞こえてはいたが、あまりのあり得なさに理解が追いつかない。


 槍よりはまし? 我慢する?


 …………業腹である。怒り心頭である。

 いや、落ち着くのだ。所詮は錬金術師。彼は武に生きるものではないのだ。私の価値を理解していないのだ。心を広く持つべきだ。


 だが、今後私が彼を主と認めることはない。絶対だ。


 だというのに──




「かかってこいぇゃあ!」


 不細工な裂帛れっぱく

 それゆえに鮮烈で、私の心を強く衝く。


 このままでは狼男に青年は殺されるだろう。

 既に満身創痍であるし、気迫だけで彼我の戦力差を埋められるほど拮抗してもいない。

 主ではないただの所持者を見殺しにするなど、これまでもしてきたこと。だから今回も──


『私を敵に向けなさい』


 ──気がつけば、彼に語りかけていた。






 青年、シンイチ・タチバナは騒々しい男だった。思ったことをポンポンと口に出す。

 やはり一時の気の迷いだったのだ。あの場で彼が死ねば、私も少々面倒なことになったから助けただけなのだ。


 ダンジョンが消えるとき中の物品は、他のダンジョンに配置される。次に見つかるまで退屈になってしまうから助けた、それだけだ。そうに決まっている。

 でなければ私を「剣だからケーンで」などと雑に略して呼び、挙げ句の果てには年寄り扱いするような男を助けたりしない! 実に失礼な男なのだ!


 ……だが、こうなってしまえばやむを得まい。この国にもうんざりしていたし、シンイチの旅に少しだけつき合うことにする。


 どうせ私は、彼が言うところの『死ねない』身なのだから。




 シンイチは大胆に、そして粘り強く旅を続けた。


 当初、私を見せびらかすようにしながら街を渡り足取りを残したかと思えば、私を薄汚れた布で包んで転進した。不愉快ではあったが、仕方あるまい。

 しかし街で平然と私に語りかけてくるのはどうにかならないものか。


 数ヵ月に渡って他者と関わらないこともあった。

 私という話し相手がいてよかった、などと言うが、私はもともと饒舌な方ではない。主に問われれば答えたが、自ら問いかけるようなことは滅多にしなかった。


 シンイチがおかしいのだ。

 言うことが支離滅裂で、なぜそのようなことを言い出すのか理解できないことが多い。必然的に多々問いかけねばならなくなる。


 そしてシンイチは圧倒的に配慮が足りない!


 自分には口があり足があるなどとひけらかす。おまけに不可能だとわかっているのに、人と同じように見てみたいか、などと尋ねてくるのだ!


 ……私はなぜこんなに憤っているのか。所詮私はただの剣でしかないのに。

 どうにもシンイチといると、心を揺さぶられることが多い気がする。


 心……なぜ剣にしか過ぎない私に、そんなものがあるのだろうか……。


 帝国の街に入り、シンイチは異常なほど素材を買い漁りだした。

 シンイチの錬金術の技能が高いことは知っている。だが、旅の途中は魔力を温存する必要はもちろんあったが、それを押して錬金術を行うようなこともなかった。だからてっきり錬金術に対して、さしたる情熱などないと思っていたのだが。


 一体どうしたことかと思ったが、余りにも浪費が激しいので一喝しておいた。

 彼には私が必要なのだ。全く、世話が焼ける。




 旅が進むに連れ、なぜシンイチに配慮がないか理解してきた。

 彼は徹頭徹尾、私を人として扱うのだ。

 いや、確かに私の持つ能力としては、剣……というか雷を放つ杖扱いだし、食料備蓄庫扱いもする。

 だがもっと根本的な部分で、私が剣であることを一種の個性としか思っていないのだ。だからこそ時として、私に対する配慮が足りないと感じてしまうのだ。


 そんな扱いに自分でも理由のわからない面映おもはゆさと苛立ちを感じ、なぜ人と同じように接するのか聞いてみた。

「日本人だから」という回答だった。

 日本という国は私のようなものがあふれる人外魔境なのだろうか。

 剣聖たちも同じ国から来たはずだが、私が語りかけてもシンイチと同じように応対するとはとても思えないが。




 そうこうしながらも順調に旅は進み、帝国を抜けマリアルシア王国に入った。

 シンイチはここまで来れば十分だと考えているようだ。


 旅はここで終わり。

 旅がここで終わってしまう。


 認めよう。

 彼と共にいるのは愉しいし、心地好い。

 さりとておのずから、他の主を探すという話をなかったことに、などとも言えなかった。気恥ずかしく思えたからだ。

 幸いにもシンイチがその話題に触れることはなかったが。

 恐らく忘れているのだろう。移り気な彼の思考によって、脳から追い出されたに違いない。


 そのまま思い出さなければいいと思う。少なくともその話題について、私の方から触れることはない。




 落ち着く住処を定めたシンイチは、どっぷりと休むなどと言っていたにも関わらず、すぐに行動を始めた。

 ひたすら錬金漬けだ。

 抱え込んでいる素材を整理するには丁度いいか、などと考えていた私が間違っていた。シンイチの持つ《研究所(ラボ)》という技能を、そして本人の集中力を甘く見ていた。瞬く間に素材が減っていく。


 なぜシンイチは、これほど躍起になっているのだろうか。生き急いでいるように見えて不安にもなったが、シンイチは毎日楽しそうだった。

 成功してはわあわあはしゃぎ、失敗してはぎゃあぎゃあ騒ぐ。

 そんなシンイチを私は褒め、慰める。


 自然に、自由に、思うがままに生きる彼を見て、私は……私も…………。




 そしてシンイチは錬金術を八にまで上げてしまった。

 技能階位八。それも階位を上げづらいと言われる錬金術で。いくら異世界から来た者とはいえ、数年で到達するなど信じられない。

 私がそのことを誇らしく感じていると、シンイチが珍妙なことを言い出した。


 ホムンクルスを作る、ただし作れない。


 意味がわからない。どうやらホムンクルスの体だけを作る気らしいが…………やはり人寂しいのだろうか。


 シンイチは己の内側と外側の区別が激しい。ある種の人嫌いと言ってもいい。それは旅の間によくわかった。

 関わり合いの薄い相手にどう思われても気にしないし、人を殺めたことなどなかったにも関わらず、山賊相手に躊躇することもなかった。


 だからホムンクルスを求めるのだろうか。自分にかしずく存在として、自分の内側に入れたいのではないだろうか。

 たとえ動かずとも、体だけでも作りたいほどに。


 私では駄目なのだ。


 私の体は剣でしかないから、敵を撃つことしかできない……自らの手でシンイチに触れることもできないのだ……。

 そんなことを考えていたら、ついシンイチに強く当たってしまった。


 この思考はよろしくない。シンイチを独占したいなどという思いは毛頭ない。

 だが、シンイチが私以上になにかを必要としている光景を思い浮かべると、黒いものに押し潰されそうになる。


 私は剣で、シンイチは人だ。

 それを変えることなどできはしないのに。




 つらい。シンイチが自分を軽蔑するかと聞いてきたので、当然そんなことはないと答えた。逆に軽蔑されるか心配か尋ねたら、返ってきた答えは「いや別に」だった……。

 すんでのところで飲み込んだが、危うくわめき散らすところだった。


 シンイチにとって私は取るに足らない存在なのだろうか……いや、ただの軽口に違いない。絶対そうだ。これ以上は考えない。


 ……それにしても、よくやるものだ。

 さすがに同族を細切れにするのは、魔物から素材を得るのとは違うようだ。何度も吐きながら、それでも腑分けしていた。


 何がシンイチをそこまでさせるのだろう。

 やはりそれほどまでにホムンクルスを求めているのだろうか……。






 これはなんだ。


 シンイチはこれをホムンクルスなどと言う。培養槽とやらに浮かんでいるこれが?

 ……あり得ない。

 製作途中で僅かばかり見えたときから、その異様さは感じていた。そして、こうして完成してみれば、その異様さがはっきり形になった。


 これは、人だ。


 私はホムンクルスを見たことはないが、魔導人形マギドールなら見たことがある。

 その姿は、まさしく人形だった。服を着せたところで、関節や顔の部位を見れば一発で人形だとわかるような外見だった。

 恐らくそれは、過去の大錬金術師が作ったと言われるホムンクルスであっても、そうは違わないはずだ。


 ひるがえってシンイチの作ったこれはどうだ。骨があり、血肉があり、関節の繋ぎ目など当然ありはしない。

 これが自分の意思で動いたとすれば、腑分けどころの話ではない。


 死者の復活と人の創造。

 人の世ではそれ以上の禁忌などない。


 これが動くことがなくてよかった。

 もし動けば……これが動けば……………………私はきっと必要とされなくなる。


 あれほどまでにシンイチが心血を注いだのだ。シンイチは夢中になるに決まっている。

 そして私は忘れられる……私が剣でしかないせいだ!

 誰よりも貴方に触れたいのは私なのに!

 誰よりも貴方に必要とされたいのは私なのに!


 シンイチが私を鞘から抜いて、綺麗だなどと言う。

 違う……私は醜い。

 自分でも知らなかった。

 これほど醜い『女』が私の内に住んでいたなんて。


 私の思いなど露ほども知らないシンイチは歩き出し、素材を投入するための槽の前で止まった。


「ケーン。ホムンクルスの核になる気はないか?」


 ……え?


 そんなこと……え、できる?


 えっ……駄目だ、思考が真っ白で、なに? えっ?


 …………。


 決壊し、止められない。

 あふれ出すのは歓喜。


 もし私に瞳があれば、大粒の涙をこぼしていただろう。


 シンイチは作ってくれたのだ。

 シンイチに触れることができる新しい体を作ってくれたのだ。

 あれほど懸命にホムンクルスを作っていたのは、全て私のためだったのだ。

 これ以上の喜びなどあるものか。


 この喜びを残さずぶちまけてしまいたくもあったが、かろうじて踏みとどまり平静を装った。

 だってシンイチが今まで教えてくれなかったせいで、私はずっと不安にさせられてきたのだ。これくらいの意地を張ってもいいではないか。


 いくつか質問をした私は、全てを理解した。

 シンイチは実験のためだなどと言って私のために作ったことを否定するが、そんな見え見えの嘘が通用するはずもない。

 それすらも私のためだ。偽悪的に振る舞おうとしているのは。もっとも私の寿命について気にしているせいで、それもまた覚束ないが。

 ホムンクルスの核となることは当然確定として、仕方ないのでシンイチの茶番につき合ってあげることにした。


 シンイチはわかっていない。

 そんな風に振る舞う必要など、どこにもないのに。


 私は確かに心の底で自由に、人に憧れていた。シンイチに会うまでは、その憧れにふたをして気づかない振りをしていた。


 けれど今となってはもう自由などどうでもいい。

 もしかしたらシンイチは、私が体を得たら私のために「どこにでも行ってしまえ」とでも言うのかもしれない。誰が離れるものか。それこそが私の自由だ。

 人になりたいのも貴方に触れたいからだ。貴方の役に立つためだ。世界中の人から「剣であれ」と望まれていたとしても、何一つ思い悩むことなどない。

 仮に貴方が剣としての私を求めるのなら、それでもいい。

 貴方が必要とし続けてくれるのであれば、それだけでいい。


 もちろんこの熱情を素直に伝えてこなかった私が悪い。

 だが、それでも思ってしまうのだ。


 私の想いを理解してくれない貴方は、ひどい人だ──と。


 意識が朦朧としてきた。私はこれから初めての眠りを経て、ホムンクルスの体に宿るのだろう。

 幸いにして、シンイチが美しいと言った体に宿るのだ。目が覚めたら、剣聖の情婦たちが話していた『好き好きアピール』というものを積極的に行っていこうと思う。私の想いを理解してもらうために。


 そして、新しい体でもクンカクンカペロペロしてもらうのだ。













 ────水底から水面みなもに浮かび上がっていく。

 そんな風に感じたのも一瞬のこと。

 これが起きるということか。気づけば意識が覚醒している。まだ少し思考はぼんやりとしているが。

 眠ったこともなかった私には、初めての感覚だ。


 不思議と体の存在と動かし方が、なんとなくはわかる。

 震えながらもゆっくりと、まぶたが持ち上がる。ぼやけた視界に映るのは、僅かな光を放つ天井。

 私は今、『見て』いる。

 どうやら寝台に寝かされているようだ。身じろぎしてみれば、まだ感覚は掴めないが確かに体が動く。


 私の体。

 シンイチが全てを込めて私のために作ってくれた体。

 それが自分の意思で動くということに、喜び以外の感情など湧くはずもない。


 首を少しだけ持ち上げて視線を下げれば、豊か過ぎる乳房から下には薄手の布がかけられているのがわかった。どうやら私は裸らしい。

 感触がはっきりとしてくるに連れ、右側に熱を感じる。ああ……これは知っている。

 右を向けば、いびきをかく黒髪の青年。

 やはり配慮が足りない。普通裸の女性の隣で寝るだろうか。同衾どうきんするような関係にはなっていないのに。


 もっと近寄りたくて、もぞもぞと体を動かす。

 思う通りに動かない体がもどかしい。そこでえいやっと力を入れたら、なぜか体が強く反応して頭突きしてしまった。


「ぐほぇっ」


 転げ落ちたシンイチが、鼻を押さえながら顔を上げる。


「お、おはょう……あの、怒っへる?」


 違う、そうじゃない。

 かろうじて首を振りながら手を伸ばす。

 乾いた音を響かせ、シンイチの頬を張ってしまった。ただ触れたかっただけなのに。


「ご、ごめんなさいごめんなさい」


 膝をついてペコペコと謝るシンイチの顔が、寝台の下に隠れたり現れたりする。少し面白い。

 確か土下座だったか。人生の中で最大級の謝罪や懇願を示すときは、こうするのだとシンイチが言っていた。これで見るのは何度目だろうか。


 でも、今回は貴方が謝る必要などどこにもない。

 私は掠れた小さな声を絞り出す。


 眠る前に伝えきれなかった言葉を。




「おはよ、ござ、います……愛しい人マスター




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