2-04 買っちゃった
異臭漂ううらぶれた路地に、ザラッとしたしゃがれ声が響いた。
「また来てくだせえ」
男の
結局俺は、ニケの勧めるとおりに奴隷を買うことにした。ニケの言うことにも一理あったし、なるべくならニケの思うとおりに行動させてあげたいから。
ニケの行動原理が俺基準というのは、このさい目をつむる。
「いい人材というのは、そうそういないもんだな」
大荒れ地の近くにあった街には、目を引く人材がいなかった。ならばと移動してきたこの街にも、奴隷店はあと二店舗しか残っていない。
「あのような店にいないのは当然でしょう……なぜマスターは、薄汚い店から見ていくのですか。まずは質が保証された店から見るべきでは」
奴隷店の店員に最初から最後までまとわりつくような視線を向けられていたニケは、左斜め後ろを楚々として歩いている。剣として鞘に収まっていたころの習性か、俺の左側が落ち着くらしい。
護衛兼従者という姿勢を崩さず、なかなか手を繋いで歩いてくれたりはしない。
そのニケの言うとおり、今まで回っていたのは裏通りにあるようなボロい店だ。
奴隷はみんな能力が低くて、目が死んでた。夢も希望もなかった。
「なに言ってんだ。ああいう店にこそどっかのお姫様とか、すっごいスキルを持った獣人とかが紛れ込んでるってのは定番だろ?」
「そんな定番聞いたことがありません。実際、値段どおりだったでしょうに」
「ま、まあな。でもああいう心が弱ってる奴隷の方が、依存させるには都合がいいという面も」
「なかなかに最低ですね。さすがです」
それが奴隷ヒロインの基本じゃないか。
買う奴隷はもちろん女にするつもりだ。男なんて仲間にしたら、ニケの色香にやられるのは目に見えている。
ニケとしても、共に俺を支える者としては女の方がいいらしい。俺は支え甲斐のある大層な人間じゃないんだが。
そして女を何人囲おうと、全く気にしないとのこと。
ただ、自分を捨てたら何をどうするかわからないと脅迫……愛の告白を受けた。捨てるとかあり得ないけど。
とにかくニケが気にしないと言うなら、流れに身を任せてみる予定だ。買った相手と男女の関係になってもならなくても、ニケがいる時点ですでに俺には分不相応だし。
しばらく歩いて着いたのは、大通りに面した奴隷店。前の街にはここまでの店はなかった。
なんとなく字面的に奴隷店ではなく奴隷商館って感じか。警備員つきの店構えは格調高く、まるで高級ホテルのようだ。
しかし商売が商売なだけあって、どこか剣呑とした雰囲気があるのは否めない。び、びびってねえし。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、ススッと店員が寄ってきた。俺を見て眉をひそめ、ニケを見て顔を綻ばせ、俺に戻って深く訝しげな顔になった。
なんとも失礼だが不釣り合いなのは認めよう。それだけニケが魅力的だというのも、俺としては誇らしいし。
「お客様。失礼ですが当店は契約奴隷でも、年に金貨二十五枚からになっておりますが……」
……今度は俺が若造ということで舐められているらしい。
いい加減ここは一つガツンと言ってやろうかなどと考えていたら、
「キミ、代わりたまえ」
どこからか上等な仕立てのスーツっぽい服を着たおじ様が現れ、最初の店員が追い払われた。
糸目のおじ様は俺とニケを見ても、感情の読めない笑顔を張りつけたまま全く変えることがない。なんか凄くボスっぽい貫禄なんですが。
さっきの店員でよかったのに……この人相手では簡単に金を巻き上げられてしまいそう。
「うちの者が大変失礼いたしました。この度は奴隷をお求めということでよろしいでしょうか」
「はい。こちらの求める人がいれば」
「どういった奴隷をお探しでしょう」
「女性で戦闘能力に秀でた人がいいです」
「戦闘をさせるとなると生涯奴隷となりますが、よろしいですか?」
「ええ」
奴隷には契約奴隷と生涯奴隷の二種類がある。
契約奴隷は決まった期間貸し出される、いわば派遣社員みたいなものだ。
一方、生涯奴隷は文字どおりその人の生涯を売る奴隷である。
大抵は少額の借金を背負った者が返済するまで前者となり、それ以外の者が後者となる。
契約奴隷にはあまり危険なことを基本的にさせてはならないので、戦闘もお願いしたい俺が買うのは生涯奴隷ということになる。
「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」
おっかないおじ様の後ろについていきながら、俺はニケに小声で話しかけた。
「やべーよ。このおじ様、絶対人殺してるよ」
「マスターも大勢殺していますが」
そういえばそうだったね。
おじ様に通されたのは一番奥の部屋で、家具はどれもおそろしく高価に見える。勧められるがままに座ったふかふかソファーに腰が沈んだ。
ニケも隣に座ればいいのに、ソファーの後ろで立っている。
「申し遅れました、私は当店支配人のジルバルと申します。どうぞお見知りおきを」
やっぱりボスかい……なんで俺なんかの相手に出てきたの。
「タチャーナ・オンドゥルルラギッティンディスクァです」
「これはこれは、貴族様でしたか。浅学の身を申し訳なく思うのですが、失礼ながらおんどぅる……という家名に聞き覚えがないのですが……」
「いえ、貴族ではありませんよ。私の部族では名前以外に称号をつける習慣がありまして、私のこれは『剣のように勇敢な者を物陰から見ている者』を意味する言葉です。きちんと挨拶をするときには、称号も名乗るのを礼儀としていますので」
「なるほど、そういうことでしたか。なんというか、その、面白い称号ですな」
きっと羨ましいのだろう。ジルバルさんは完璧だった笑顔を少し引きつらせている。
ウソの称号ではあるが照れくさくなり、俺は頭を掻いた。
「称号負けしていてお恥ずかしい限りです」
「負けているのですか……そ、それでこの度は戦闘ができる生涯奴隷をご所望とのことですが」
「はい。僕の護衛をしてもらいたいのと、今後水晶ダンジョンに潜る予定がありまして」
「そうですか。では求める職業などは──」
そんな感じのやり取りと雑談をしたあと、ジルバルさんはメイドさんに頼んで何人かの奴隷を連れてきてくれた。
さすがに
高かったのだが──
「お気に召されませんでしたか」
俺は日本人らしく曖昧な笑顔で返事をした。
能力的には求める水準以上の子もいたのだが……なんというか、みんな鼻につくのだ。やたら色目使ってきたあとにニケを忌々しそうに見たり、こっちを見下してきたり、若干生気がなかったり。
とはいえ奴隷という境遇になりたくてなったわけではないだろうから、必死だったり少しでもいい相手に選ばれたかったり悲観するのも仕方のないことなのだろう。どこかでこちらも妥協して、買ったあとで上手くやっていけるように努力するしかないのかもしれない。
だから、今見た中で選ぼうかと思う。
「三番目の子は気になっているのですが、彼女は痛い!」
ニケに頭をはたかれた。
「マスターはお胸が気になっただけでしょう。能力は一番低かったはずです」
「な、なにを言うんだ。まるで俺が巨乳好きみたいな決めつけはよくないと思うんだよ? 俺は純粋に彼女の将来性を、えっと……双剣術士だっけ?」
「槍術士です。ハァ、いつも貴方はそうやって考えなしに──」
俺の決心は、ニケチェックによって弾かれてしまった。
そのあとも続いたニケの小言が終わると、黙って待っていたジルバルさんがこう切り出してきた。
「実はタチャーナ様に是非ともお見せしたい奴隷がいるのです。彼女ならきっと気に入っていただけると思いますので、ご紹介させていただきます」
きたよ。
地球のテレビ番組で見た物件紹介みたいに、最後に来るその奴隷が本命なんですね。そして俺から金をふんだくるつもりなんですね。
ケツの毛までむしり取らんとするジルバルさんは、こちらの返事も待たずメイドさんに連れてくるよう命令していた。
腹痛の振りして逃げたいが、仕方なくお茶を飲んで待つことにした。
「お待たせいたしました……お入りなさい」
部屋に戻ってきたメイドさんに促されて姿を見せた女性は──
「失礼します」
──一言でいってしまえば、ボロボロだった。
目につくところではまず、左腕の二の腕から先を失っている。
そして右肩から右側頭部にかけて火傷のあとが広がり、癖のある深紫色の髪もその部分は生えてきていない。
薄手で扇情的な衣装から覗く褐色の肌には、いくつかの傷あとが見え隠れしている。
顔も火傷と、左目を縦に通る大きな切り傷が残っている。開いていない左目は、おそらく失われているのだ。
全体的に傷のひきつれがひどいのは、下位ポーションなどで粗雑に治療されたせいだろう。
ピンク色の傷あとは生々しく、まだ傷を負ってからそれほどの期間が経っていないように思える。
これほどひどい状態の人は、場末の奴隷店にもいなかった。とてもじゃないが高級店で満を持して登場させるべき人ではない。
うら若い女性のこれほど痛々しい姿は、通常であれば直視に耐えない。
そのボロボロの女性が横に来て直立するのを待ち、ジルバルさんは口を開いた。
「こちらのルクレツィアは少々訳ありなのですが──」
「買います。彼女はおいくらですか?」
俺が尋ねると、ジルバルさんは面食らったように押し黙った。売るために連れてきたのはあんただろうに。
「マスター、せめてステータスくらい見てからにしてください」
なるほど、確かに気が急っていたようだ。俺はルクレツィアさんを一発で気に入ってしまった。
理由は直視に耐えないはずの彼女から、目を離せなかったから。
だって彼女は格好いいのだ。
怪我を感じさせないきびきびとした歩き方。
びしっと背筋を伸ばした立ち姿。
すがるでもなく、見下すでもなく、中庸な視線には力がある。生きている。
普通できるだろうか?
あんなにボロボロになって間もなく、しかも奴隷という境遇なのに胸を張って堂々と立ち、歩くことが。残された片方の瞳で、真っ直ぐに前を向くことが。
俺には無理だ。俺には膝を抱えてうずくまることしかできない。
弱っている奴隷を依存させる?
俺は馬鹿なことを言っていた。
彼女は誰にも寄り掛からずに立っている。だからこそ惹かれ、自然と欲しいと思える人なのだ。
「ルクレツィア、こちらのタチャーナ様は護衛とダンジョン探索のお供を探しておいでだ。貴女のステータスをお見せしなさい」
「はっ。〈ステータス〉〈開示〉」
ジルバルさんに促されたルクレツィアさんの返事は、軍人のように凛々しくキレがあった。
レベル 38
種族 人間
職業 重騎士
MP 620/620
STR 876
VIT 1370
INT 761
MND 1235
AGI 595
DEX 939
〈盾術4〉〈剣術3〉〈槍術3〉〈直感〉
ルクレツィアさんのステータスを見て、俺は素直に感心した。
「重騎士ですか。これはなかなか……ニケはどう思う?」
「彼女の年齢を考えれば大したものかと。ですが……」
負傷でわかりづらいが、おそらくルクレツィアさんの年齢は俺と近い二十歳前後だろう。それを考えれば、ニケも賛同したようにかなり優秀だ。
だが、彼女は隻腕なのだ。メインである〈盾術〉を活かすことができない。
まあ関係ないけど。
義手くらい作れる気はするし、いつになるかわからないが、なんでも治せるというエリクシルを頑張って作れるようになればいい。
というか俺個人としては別にそのままでもいい。そのままでも俺は彼女が欲しい。
「それで、ルクレツィアさんはおいくらでしょうか」
「……彼女の事情をお聞きにならないのですか?」
「いいです。売ってもらえるならあとで彼女から聞きます」
やり手の商人にこんなに買う気を見せちゃだめなんだろうけど、ジルバルさんは人嫌いの俺のツボを見事についてきたんだ。いくらでもふんだくっていくがいいよ。
「では金貨四百枚──」
「高い。金貨百枚」
…………。
……………………。
声の出所を見て、思わず唖然としてしまった。二度見もしてしまった。
値切ったのは俺じゃない。ニケでもない。
この場において、一番あり得ない人物が値切った。
本人だ。
これから買われようというルクレツィアさん本人が、己の価格を値切ったのだ。
「な、なにを」
さすがにジルバルさんもこれには驚いて、糸目を見開いている。
「こんな私によくしてくれたあなたには本当に感謝している。だが、主となる者に尽くすよう言ったのもあなただ。値段の理由はいくつもある。まず私は片眼も片腕も失っている。十全な戦闘能力を発揮できないというのは当然として、同格以上と戦うことが難しいゆえに、これ以上レベルを上げることが困難だ。もちろん、いざというときはこの体を盾とすることを厭う気はないし、現在は役に立てるかもしれない。だが将来的に主殿たちが強くなれば、私はついていけなくなり荷物持ちでもするしか働く道がない。それにこの醜い体では、いくら未通でも女としての価値もない。そして私の事情のこともある。厄介事になる可能性があるのだから当然その分──」
はきはきとした口調で、自分がいかに安いか力説するルクレツィアさん。
……だめだこりゃ。
「ぶふっ、くっ、くくくくく……ウヒヒヒヒヒヒヒヒ、ヒハハハハハハ!」
無理無理。笑いだした俺に二人がぎょっとしてるが、我慢できるわけがない。
「マスター、その笑い方はやめなさい」
「いやだって、ぷっククク……自分で値切るとか、しかも四分の一って、くくく、ああ、この人最高だわ。なあニケ、金いくら持ってきてたっけ」
「……聖銀貨二十四枚と、金貨二百五十三枚です」
「全部出して」
盛大なため息が聞こえたあと、ソファーに小さな袋が一つと大きな袋が三つ落ちた。
俺はそれを全て机に乗せる。
「悪いが手持ちがこれだけしかない。これで彼女を売ってくれ」
聖銀貨というのは金貨百枚の価値があるので、全部で日本円に換算して二億六千万くらいか。
本当に高い奴隷はオークション行きが普通らしいから、店売りの奴隷ならいくら高くても三人は買えるだろうと思って持ってきた金額だ。
もとから一人か二人しか買う気はなかったが、まさか全てを一人で使い果たすことになるとは。
「なっ、ばっ、お前は馬鹿なのか!?」
「自分を値切る人に言われたくないかなー」
生涯奴隷とは、財産なのだ。安い買い物ではないし、高ければ高いほど購入者は大切に扱う。
だから俺が今まで見てきた奴隷の人たちも、自分をよく見せようと、高く見せようと必死だった。
なのにルクレツィアさんは値切った。将来の主となる相手のために。
金を出したあと、もしかして仕込みだったのではと一瞬思ったが、彼女の反応がそれを否定している。彼女の心意気に応えるには、これくらいのことはせねばなるまいよ。
そして、ジルバルさんの想いに応えるためにも。
口をパクパクさせて、ルクレツィアさんは遺憾の意を示している。
その横に座るジルバルさんはただ沈黙を保っていたが、やがて袋に手を伸ばした。
その手にしたのは──小さな袋から取り出した四枚の硬貨。
「私も商人のはしくれです。自分が提示した以上の金額を頂戴するわけにはまいりません。お支払いは聖銀貨でよろしいですか?」
魔道具の明かりに照らされた聖銀貨のわずかな輝きに驚かされ、逆に少し興奮が収まった。
「いいのか……いいのですか? こちらは本気で全て持っていってもらって構いませんが」
「私の目利きが誤っていただけのことです。今回はおおいに学ばせていただきました」
「大損しましたね」
「ええ、全くです」
ジルバルさんがそう言って白い歯を見せる。
それは感情の見えない張りついた笑顔ではなく、心の底からあふれてこぼれた笑みだと思えた。
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