2-05 メロメロメロンだった
奴隷契約は滞りなく終了した。
ルクレツィアさんの首をぐるりと回る奴隷紋に俺の血を垂らして、ジルバルさんが呪文を唱えるだけだった。
これでルクレツィアさんは俺に危害を加えようとしたり、逃げようとしたりすると苦痛に苛まれる。俺が死ぬと道連れにできるオプションもあるらしいが、それはやめておいた。
そしてルクレツィアさんの支度も終わり、奴隷商館をあとにすることになった。
「ぜひまたお越しください。他の奴隷がご入り用の際はもちろんのこと、ルクレツィアをお売りになるのでしたら高く買わせていただきます」
「そのときは四百枚でいいですよ。聖銀貨でですが」
要するに売る気はないということだ。
それは当然ジルバルさんもわかってる。そうですか、と言って上品に笑った。
「ふふ……本日は大変良い商いをさせていただきました。ありがとうございます」
「……人がいいですね。商売人として失格なのでは?」
「いえいえ、お客様に商品を愛着をもって使っていただく喜びを忘れてしまえば、それこそ商人失格でございます。もちろんそれだけではやってはいけませんが、ね」
「なるほど、そういうものですか。ではこれで失礼します。ありがとうございました」
俺が軽く頭を下げると、ジルバルさんは惚れ惚れとするような美しい所作で頭を下げた。
俺たちが会話しているときは物体Xでも見ているような顔をしていたルクレツィアさんも、長い時間頭を下げていた。
「じゃあ行くか。えっと、クレクレちゃん」
「……もしかしてその物乞いのような名前は私のことでしょうか、主殿」
「うん。ルチアとどっちにするか悩んでるんだけど」
「ぜひルチアでお願いします」
「わかった。こっちからもお願いだが、ルチアはジルバルさん相手に値切ってたときの喋り方が素なんだろ? だったらもっと楽に喋ってくれ。思ったことがあれば言ってくれていいし。その方が俺も楽。さっきみたいに、馬鹿って呼んでもいいよ」
なるべく壁を感じさせないように接してもらわないと、俺も壁を作ってしまいそうだから。
出会った当初はあまり好きではなかったとニケにも言われたことがあるし、実際俺も適当に応対していた覚えがある。
同じ失敗はしない。ルチアとは仲良くなりたいし、俺自身少しはこの性格を治していけるよう頑張るのだ。
「いっ、いやあれは物の弾みで……わかった、これでいいだろうか、主殿」
こういう一発でこっちの望みを受け入れてくれるところ、すごく好み。
「呼び方はそのままなのか。タチャーナ・オンドゥルルラギッティンディスクァか、真一って呼んでもいいけど?」
「おんどぅる……?」
「続きはホテル行ってからにするか」
ホテルの位置は離れていなかったのですぐに着いた。街に滞在することは滅多にないので、たまに宿を取るときは奮発してお高いホテルのお高い部屋を取っている。でも設備的には〈
とりあえずルチアをソファーに座らせ、俺はその隣に座った。
「お茶をいれますね」
「ありがと」
ニケは水を汲んできてローテーブルを挟んで向かいの椅子に座った。
さすが高級ホテルだけあって、熱を発生させるホットプレートみたいな魔道具がテーブルに備えつけられている。
「さて、ではまずは」
「まずは一つ私からいいでしょうか」
「いいともニケくん。自己紹介」
するがいい、と言おうとしたのだが、なぜかニケはずいっと俺に顔を寄せてきた。
「彼女も言っていましたが、マスターは馬鹿ですか」
「えっ、ほわい」
「お金の話です。男性が見栄を張りたいときがあるのは理解しています。ですがあそこで本当に丸々取られていたら、残りの資金が半減していました。わかりますか、半減です。いくらなんでもお金に対して
「その、半分残るならいいかな、なんて思って……あ、いやそのごめんなさい。でも小遣い制は……いえ、文句などないです。それで月にいかほどいただけるのでしょうか?」
「金貨一枚で十分でしょう」
「えっ、少な……くないです、はい」
じゅ、十万円なら日本の一般家庭のお父さんより断然多いよね……うん……豚の貯金箱錬金してお金貯めよ……。
「聞いてもいいでしょうか。お二人は夫婦なのですか?」
ルチアの問いかけに、有無を言わせぬ迫力で身を乗り出していたニケが相好を崩した。
「いいえ、
「了解した。こちらこそよろしく頼む。このような体でどこまで期待に応えられるかわからないが、微力を尽くすつもりだ」
二人は互いに頭を下げたあと、微笑みあっている。この様子であれば問題ないか。仲良くなれそうで、ひとまず安心した。
「貴女も先ほどの件でわかったでしょうが、マスターは時折後先を考えない行動や、理解不能な行動を取ることがあります。貴女もしっかりと目を光らせておいてください」
「ああ、わかった……というか本当に理解できないのだが、なぜ主殿は私にあんな大金を払おうとしたのだ? そもそも金貨四百枚でも高すぎると思うのだが」
小首を傾げているルチアの口調は常にさっばりしていて、聞いていて気持ちがいい。今も卑屈になっているわけではなく、純粋に疑問なのだろう。
そうやって客観的に自分を見て、それを受け止められる心の強さを待ってるような人だから欲しかったのだが。
「自分のことってわからないもんなんだな。しかし俺は理解不能な行動なんて取ったことないんだが」
「自分のことはわからないものですね、本当に。まあマスターが余計に支払おうとしたことはさておき、ルクレツィアは本来大金を積んだからといって簡単に手に入るような人材ではないことは確かです」
「こんな体の者に一体なにを……」
ワケわからんと言わんばかりに、二の腕の途中までしかない左腕に目を向け、ルチアは顔をしかめている。
「ま、気にしなくていいよ。俺が気に入った。それだけわかってくれれば」
「はあ」
ルチアは釈然としていないが、どうせ話したところで謙遜されるだけな気がする。
「わからないと言えば、なんでジルバルさんは俺にルチアを紹介してくれたんだろうか。そもそも支配人のあの人が俺の相手してくれた理由もよくわからん」
ニケの注いでくれた紅茶を一口飲んで喉を湿らす。香りが鼻に抜け、渋みとわずかな甘みが舌に広がった。
「ニケは紅茶いれるの上手くなったなあ」
俺が飲むのをじっと見ていたニケは、うれしそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。ジルバルが相手をしたことでしたら、私が理由ではないかと思います」
「ニケが美人だから?」
「そうではなく、後ろに控えている私が、マスターより明らかに上質な服を着ていたからでしょう」
俺の服はザ・町人といった感じでヨレヨレの中古品だが、ニケが持っている服は全て、大荒れ地近くの街の中で一番高い店で仕立ててもらった。ニケにいい服を着せたいのは当然だし、そもそもおっぱい的な都合上ニケは中古を着れないのだ。
しかも今日のニケは、白いブラウスにフワッと柔らかな濃紺のロングスカートという深窓の令嬢ルック。
言われてみればなるほど、ジルバルさんの前に相手した店員も怪訝そうな顔をするわけだ。
ちなみにだが……本当にちなみにであって別に気にしてなんかいるわけじゃない本当に本当で本当だが、ルチアちゃん……ニケちゃんほどじゃないけど中古服は着れません。
今もノースリーブのゆったりしてるはずのワンピースがパッツンパッツンで、大玉メロンが割れちゃいそうで目の毒……気の毒です。
でも重くて甘そうなメロンは実がつまっていて弾力が強そうなので、ワンピースに勝てるかもしれません。
「ああ、それは私も思ったな。主従が逆なのではないかと」
「そう思わない方が無理でしょうね」
む、メロンを応援していてあまり聞いてなかったが……逆だと? 無理だと?
「たしかにな……常識的に考えればそうだろう」
「珍しいですね、マスターが常識を理解するなど」
「いやいやそりゃね、普通に考えればメロンはワンピースには勝てないさ。でもな……それでも俺はメロンを信じてる。メロンには無限の可能性がある。俺はそう思っている」
「メロン? あの、主殿……なんの話を」
「戸惑う気持ちはわかる。でも二人にもメロンを信じて欲しい。一緒に応援してほしい。さあ二人とも、俺に続くんだ。メーローン! メーローン! どうしたんだ、なにを二人して遠い目をしてるんだ」
「……貴方はなんの話をしているのですか。私たちは服の話をしていたはずですが」
あれ、そういえばそうだったか。
ちょっと興奮して立ち上がってしまっていたが、腰を下ろして紅茶を飲んだら落ち着いた。
「で? なにが逆だって?」
「あ、ああ、主殿とニケ殿の主従が逆に見えたということだったのだが」
「ほほう、なかなか言うじゃないかルチアくん。つまり俺は主に相応しくないと」
「いっいや、違うんだ。そういう意味ではなく」
ちょっと気まずかったのでつついたら、ルチアは凛々しい雰囲気を崩してわたわたしていた。なんか可愛い。
こういう人は、ついいじってしまいたくなる。
「どうせ俺なんかモブ顔の雑魚だよね……その他大勢だよね……火サスで言ったら大量殺人事件の被害者にもなれない野次馬だよね」
「かっ、かさす? いやそうではなくて、待ってくれ、本当に違うんだ」
「マスターやめなさい。もともと貴方が自分の服に無頓着過ぎるのが原因です。ルクレツィア、メロンのことでわかったでしょうが、この人の言うことはまともに取りあわないようになさい。疲れるだけですよ」
ひどすぎじゃないかな? 恋人だよね?
「い、いいのかそれで。しかしニケ殿は、私とさほど歳が離れているようには見えないが落ち着いているのだな。いくつなのか聞いてもいいだろうか。私は十九なのだが」
「四ヶ月ほどです」
「……なるほど」
ルチアの片目がどこか達観したものになった。心の内を代弁するなら、「ダメだこいつら」だろう。ニケはある意味本当に四ヶ月なのだが。
と言っても精神的にはお婆……なんだか寒気が。
「マスター……つまらないことを考えると早死にしますよ? 話を戻します。従者と思わしき私に、マスターが自分より上等な服を着せていることにジルバルは興味を持ったのでしょう。そのあとも私とマスターのやり取りを観察している節がありました。その際にルクレツィアを売るにふさわしい相手か見定めたのではないかと」
「そういうことかー。やっぱ怖いな、やり手の商人ってのは。いい人だったけど」
あんな糸目のジルバルさんだったのに、なにを見てるかわかったニケもすごいけど。
「あの、すまない。いまひとつ話が見えないのだが……見定めるとか、いい人とか、どういうことなのだろうか。確かにあの奴隷商館は奴隷の扱いがよかったと思うのだが……」
やはりルチアは、どういう理由でジルバルさんが俺と引き合わせたのかわかっていないようだ。
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