5-34 寄り目すると分身して増えるのでそれはそれで幸せだった
「なんで俺に聞くの?」
至極真っ当な疑問を無視して、ソファーベッドに歩き着いた水晶さんまでニケに乗っかってしまった。
「ふぅ……なるほど、人の中で過ごすのであれば、我にも名が必要か。いかにすればよい」
「あのねだから、水晶さんの好きにすればいいんじゃないかな」
「子に名をつけるのは親というのが、人の世の習わしであろう」
「ははっ、たしかに主殿が親のようなものだな」
ソファーに腰かけ、ルチアも笑いながら後押ししてくる。
「いやいや、水晶さんが俺の子供だったら、ニケも俺の子供かつ孫になるぞ。そんなの──」
耳かきのポンポンで耳穴をサスサスしながら、ニケが無垢な声でささやく。
「お爺様、ここが気持ち良いのですか?」
「──すごく興奮するので夜にお願いします」
俺の背格好でお爺様プレイとか、なんて倒錯的なのだ。
「それで、我の名は」
ニケの隣に腰を下ろした水晶さんが、俺を覗き込む。
至近距離で俺を捉えて離さない、澄み切ったアメジストの瞳。宇宙を感じさせるような奥行きを持ったその瞳を輝かせる水晶さんは、なんか……ワクワクしてる?
とにかく、もう俺が名づけるのは不可避っぽい。
そんな期待されても困るんだけど。
「えー、もうリグリスでよくない」
「却下です。マスターだって嫌でしょうに」
「まあそうだな。仕方ない、たっぷり時間使っていい名前を考えてあげよう」
一、あっ、いいのがあった。
「ではリリスで」
「本当に貴方という人はいい加減ですね……」
「なにを言う。諸説あるが俺の世界で由緒正しい、男をたぶらかす悪魔の名前だぞ」
「悪魔は駄目だろう!? なあ水晶殿……水晶殿?」
ルチアに応えず、水晶さんは少しだけ目を閉じて考えていたが……やがてフッと笑う。
「いや、それでよい。我には相応しい名であろう」
たぶらかすというところに反応した自虐的な笑みのようだが、俺はそういうつもりで言ったわけではない。
「言っとくけど、人と魔族を争わせたからとか、そんなつまんない理由でその名前選んだわけじゃないぞ」
「つまらぬ、か」
「うん、俺としてはそんな大昔のことどうでもいいし。ただせっかく神様やめていろいろやれるんだし、楽しく生きてほしいなと思って。ほら、悪魔って好き勝手やってて楽しそうなイメージあるし」
「悪魔など、人が悪しき存在だと考えていることしか知らぬが……左様なものなのか?」
おとぎ話や神話には悪魔が登場するのだが、少なくとも水晶さんはその存在を知らないようだ。魔族側の神の手下ポジションで出てくるお話とかもあるが、それは作り話なのだろう。
「楽しく生きる……我にはわからぬ」
水晶さんは、困ったように眉を寄せている。
「別に難しく考えなくても、さっき歩いてみるのとか楽しかったでしょ? そういうのの延長線上だと思うんだけどね。ていうか単純に、元神様が悪魔の名を名乗って人として生きるって面白くない?」
「それは…………ふふ、面白いやもしれぬ」
うん、さっきのより今の柔らかな笑みの方が断然いいね。ニケやルチアやセレーラさんと出会っていなければ、一瞬で落とされていたかもしれない。
俺の美人耐性も上がったもんだぜ。
「だから俺と婚約してください」
「……なんの話をしている?」
な……バカな、気づかない内に耐性を貫通されてただと……。
「あー、えっと、気にしないで。とにかく俺としてはそれだけの理由だから、その名前で嫌なこと思い出すくらいなら他の考えるわ」
微笑んだままの水晶さんは、すぐさま首を振った。
「これでよい……これがよい。リリス……リリスだ。これが我の名だ」
どうやらちゃんと気に入ったようで、何度も自分の名前を繰り返して噛みしめる水晶さん……リリスさん……もうリリスでいいか。
リリスの様子を見て、ルチアも納得したようだ。
「悪魔の名などとんでもないと思ったが……悪くないかもしれないな。てっきりただの悪ふざけかと」
でもニケはなぜか、ちょっと不満そうに俺を見下ろしている。
「ほとんど悪ふざけのようなものでしょう。それでも腹立たしいことに、私に名づけたときより思いや意味を籠めているようですが」
そこかい。
「はは、私はニケ殿も良い名前だと思うぞ。勝利の女神の名だったか?」
「ほう、母たる我を差し置いて、神の名を冠しているのか」
「誰が母ですか。私は貴女が母など認めないと言ったでしょう」
なんか三人は仲良くなれそうなのに、一緒に行動しないのはつくづく残念だな。
しばらく楽しそうなやり取りを聞いていたら、ルチアが思い出したように切り出した。
「ああそうだ。名前が決まったついでに、というわけではないが、こだわりがないのであれば喋り方も考えた方がいいかもしれないな」
「こだわりなどないが、なにゆえだ?」
「我々は気にしないが、リリス殿の喋り方は少し尊大に聞こえてしまうからな。貴族などとそのように話すと揉める可能性がある。まあ貴族と関わるようなことはそうそうないとは思うが、
「左様か。我としても他者と揉めるのは避けたい。どのようにしたものか」
元貴族だったルチアらしい気配りだろう。俺は結構その喋り方好きなんだけどね。
でも変えるというのであれば──
「はい! はいはい! 俺におすすめしたい喋り方があります!」
起きて四日も経つとリリスも十分に動けるようになったので、俺たちは地上に戻ることになった。
「リリス殿は一緒に出ないのだな?」
聞いてはいたが、ゲートをくぐる前にルチアが確認すると、やはりリリスはうなずいた。
「うん、
俺が提案したボクっ娘喋りも、だいぶ板についてきた。
中性的な声とかクールさのせいで、ボクっ娘というよりは少しヅカっぽくなったが……すごくいい。他が考えられないくらいはまっているし、本人もしっくりきたようだ。
というか本当に水晶ダンジョンから出られるのかな? 聞いても問題ないとしか返ってこないけど……ま、大丈夫なんだろう。
「食事はしっかりと取りなさい。人は食べなければ死にます」
「わかっているよ、それくらい」
基本的に他者と関わろうとはしないニケだが、リリスに対しては世話を焼くようなことも多かった。
母うんぬんというのは置いておくとしても、境遇などにシンパシーを感じていたのかもしれない。
ちなみにリリスは自分のために水晶ダンジョンの力を使う気がまるでなく、仕方ないので飯とか服とか装備とか全部作ってあげるハメになった。
水晶ダンジョンで手に入れた、時間経過がゆっくりになる希少なマジックバッグもあげた。これで将来仲間になってくれなかったら大損である。
飯は気に入ってたから、うれしかったけど。
それと水晶の体のときに洗ってあげたせいか、お風呂で洗う係に任命されたりもした。マナーとして寄り目で頑張りました。
最後にリリスにいろいろ注意して、ついに俺たちは帰る……帰ってしまう……。
「なんて顔をしているんだ主殿」
「やっぱ帰んなきゃダメ?」
「当たり前だろう……」
ニケに抱っこされる俺を見て、ルチアはため息を漏らした。
実はリリスを錬金しているあいだに一度帰るという案もあったのだが、俺の心の準備ができなかったのでやめたのである。
仕方ないじゃない。
はっきり言って、帰るの超怖いんだもの。
「だって絶対セレーラさんキレてるよ?」
あまりに長すぎたのだ。
ダンジョンに潜り続けて、もう四ヶ月近くになる。とっくにセレーラさんは全てを知っているはずだ。
俺たちがアダマンキャスラーを退けた事実だけでなく、俺がセレーラさんにそれを伝えさせないように工作したこともきっと……。
そんなことをされたうえで四ヶ月放置では、セレーラさんの罪悪感も怒りに変換されていること請け合いである。
「いい加減にあきらめなさい。行きますよ」
「うう……二人も一緒に謝ってね。そもそもここまで一気に来ちゃったのは、二人のせいなんだから」
「……久しぶりですね、地上も」
「……ああ、本当にな。ではリリス殿、また」
俺に応えず、ニケとルチアはゲートに足を踏み入れる。
「ねえ聞こえてるよね? ねえってば! こんなのひどいよ! 助けて神様ぁ!」
身をよじって手を伸ばした俺に、
「残念、ボクを人にしたのはキミだから。じゃあまたね」
初めて水晶ダンジョンに入ったときもこんな感じだった気がするんだけど……とにかく俺たちの水晶ダンジョン攻略は、これにて閉幕。
ついに地上へと凱旋するのであった……ふえぇぇん。
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