6 そして彼女は諦めた

6-01 戻ってこなければよかった



「かっ! かか、帰ってきたぞー!」


 水晶ダンジョンから帰還した俺たちを出迎えたのは、中年冒険者の太い声と冷たい大気だった。

 潜っているあいだに季節は移り、とっくに冬になっていたのだ。


 おじさんの声に釣られて、ギルドの入り口にはワラワラと人が集まってきている。

 太陽の位置から考えればお昼どきだと思うが、それにしてはやたらと人数が多い。冒険者じゃなさそうなのがかなりの数いるけど、俺たちを待っていたのだろうか。


 水晶ダンジョンの塔は、攻略された階層数を炎を灯して周囲に報せるようになっている。

 百階層攻略を示す炎が灯ってから何日も経っているはずなのに、ご苦労なことである。


 歓声を上げて取り囲もうとする彼らを、俺を振り回して遠ざけ、ニケがギルドへ歩を進める……マスターとは一体。


 己の意義について悩んでいると、荒れ狂っていた海が急速に凍りついていくように、人だかりの奥から静かになっていく。

 その静けさは、すぐに俺たちのもとにまで到来。


 そして響くは、処刑人の靴音か。


 示し合わせていたかのように、凍りついた海が割れる。

 その先には──とても会いたかったけど会うのが怖かった、靴音の源たる人が。


「皆様、お帰りなさいませ」


 輝く金髪縦ロールを揺らし、微笑みをたたえたセレーラさん……その心情を推し量ることは不可能。


「はっはい、ただいま帰ってまいりました」

「ご無事なようで、心より安堵いたしましたわ。そして早速ではありますが、お伺いします。水晶ダンジョン百階層まで踏破したのは、皆様で間違いありませんか」


 そうか、他にも水晶ダンジョンあるから、一応俺たちとは断定できなかったのか。

 もったいぶる必要もないので素直にうなずく。

 それを見て周りからワッと声が上がったが、セレーラさんが口を開くとすぐに静まった。


「やはりそうでしたのね。水晶ダンジョン完全攻略おめでとうございます。まさかこのような日がくるなど、夢にも思っておりませんでしたわ」

「あの、ありがとうございます」

「お疲れのところ恐縮ですけれど、ギルドマスターも皆様の帰還を心待ちになさっていましたの。ご一緒していただけますかしら」

「もちろんですっ」


 俺の返事を受けて、セレーラさんは俺たちを奥へといざなう。

 その顔にはずっと副ギルマススマイルが貼りついていて、静まっていた者たちも拍子抜けしたようだ。困惑した様子でざわつきだした。

 俺たちのいないあいだのセレーラさんを知っている彼らは、どうなると思っていたのだろう。


 それにしてもセレーラさんの微笑みは完璧すぎて……俺にはどうにも他人行儀に感じられてしまう。


「セレーラさん、えっと……その前に説教部屋には寄ったりしないのでしょうか」

「……そのような必要はありませんでしょう?」


 セレーラさんは表情を変えないまま首を傾けた。

 説教はセレーラさんの愛情表情だったはずだ。これはまずいのではないだろうか……。





「何度も言うけど、本当に信じられないよ! 君たちならもしかして攻略階層の更新をしてしまうんじゃないかって思ったりしていたけど、それがまさか! まさか百階層まで潜っちゃうなんて!」

「はい……」

「でも本当に無事でよかった。百階層攻略の炎が灯ったのに、なかなか帰ってこないから心配してたんだ」

「はい……」

「いろいろ話を聞きたいところなんだけど、君たちが戻ってきたら侯爵閣下に連れてくるよう頼まれてて……疲れてるとは思うけれど、一緒に行ってもらってもいいかな?」

「はい……」

「あのさ……僕の話聞いてないよね?」

「はい……」


 ギルマス部屋で向かい合っているゼキルくんが騒いでいるが、俺としてはそれどころではない。


 どうしよう……どうしよう……怒りすらしないなんて、ひょっとしてセレーラさんに嫌われてしまったのではないだろうか……。

 やはり四ヶ月は長すぎた……そんなにあったら男女が運命的に出会ってスピード結婚、からのスピード離婚なんてこともザラにありそうだ。

 セレーラさんの俺への愛も、時の狭間に消えてしまったのだろうか……嫌だ、そんなの嫌だぁ!


「とてつもないことを成し遂げて凱旋したとは到底思えない、絶望的な顔をしてるんだけど」

「そちらにも一人、表情が固まっている人がいるようですが」

「そうですわね」

「セレーラ殿……そんなにぴくりとも動かない笑顔でいられても、少し怖いというか」

「そうですわね」

「……こっちも聞いてないみたいだね」

「そうですわね」

「うーん……セレーラ。セレーラ!」


 うわ、びっくりした。突然大きな声を上げないでほしいんだけど。

 ほら、ゼキルくんに呼ばれたセレーラさんもびっくりしてるじゃないか。


「なっ、なんでしょう」

「僕は閣下を訪ねる前の先ぶれを出すように言ってくるから、ここは任せるよ」

「それでしたら私が」

「いや、実は少しお腹も痛いんだ。ということでしばらく席を外すから、話でもしていてくれるかな」


 そう言ってゼキルくんは、なおも止めようとしたセレーラさんに構わず部屋を出ていってしまう。スタスタと歩く姿は、とてもお腹が痛そうには見えないけど……ちゃんとセレーラさんと話をしろってことだろうか。


 そして扉の閉まる音が重々しく響く。

 束の間の静寂の中、何度かセレーラさんと視線がぶつかったが、すぐに逸らされてしまう。


 やはりこのままではまずい。

 よし、ここは一発土下座で謝って──


「申し訳ありませんでした」


 なぜか機先を制されてしまった。

 俺より先に、セレーラさんが深々と頭を下げる。

 困惑していると、ややあってセレーラさんは頭を上げた。


「皆様がアダマンキャスラーを撃退してくださったのに、私はそれも知らずにひどく当たってしまいましたわ。大変申し訳ありませんでした」


 再び頭を下げようとするセレーラさんを慌てて止める。

 罪悪感を持たせようとしたのは計画通りではあるのだが……謝らなければいけないのはこっちなのだ。

 侯爵やゼキルくんに口止めさせてまでセレーラさんに誤解させて、しかも四ヶ月も放置したのだから。


 当初の予定としては一月もしないうちに戻ってくる予定で、そうすればセレーラさんの罪悪感が俺への想いに変換されて大爆発する計算だったのに……。

 というかこの計画自体が焦りすぎていたのだろう。転移スキルを得ていつでもここに戻ってこられる今は、そう感じる。


「やめてください、セレーラさんが謝る必要なんてどこにもありません」

「それは……私の謝罪など、聞きたくもないということかしら」


 あれ、なんかやばい……怒っているわけではない。

 いつものセレーラさんからは想像がつかないほど思いつめた様子で、その声も表情も弱々しいのだ。


「やはり私のことなど、お嫌いになられたのですわね……仕方がありませんわ、あのような態度を取っていたのですもの」


 うおぅ、まさかそう受け取られてしまうなんて……。


 しかし以前長いあいだ潜ったときは、数日置きにセレーラさんに会いに戻ってきていたが今回は潜りっぱなしだった。そう思ってしまっても無理はないかもしれない。

 あまりに放置が長すぎたのだ。


「そんなわけないじゃないですか! 僕がセレーラさんを嫌うなんて!」

「……本当に?」

「もちろんです!」


 ダメだ……セレーラさんは切なげに眉を寄せたままで、全然信じてくれてない。

 これはもう全部バラして土下座するしかないと思っていると、後ろからまったく期待していなかった援護が飛んできた。


「すまない、セレーラ殿。これまでずっと戻らなかったのは、私たちのせいなのだ。戻ってくれば、必ずわずらわしいことになると思ってな」

「マスターは貴女に会いに戻りたがっていたのですよ」


 二人もさすがにまずいと思ったのだろうか。

 ともかくなぜか俺より信頼されている二人の言葉で、セレーラさんの気持ちも揺れ動いた。


「そう……なんですの?」


 まだ弱々しいが、首をかしげるセレーラさんに全力でうなずく。

 今回ルチアとニケの先に進みたい願いを優先したのは間違いないが、セレーラさんにずっと会いたかったのは紛れもない事実。


 首振り人形のように残像ができるほどうなずき続ける。ちょっとクラクラしてきても振り続ける。

 その甲斐もあり、想いが伝わったようだ。

 表情をゆるませてセレーラさんがつぶやく。


「よかった……」


 ──しかし、ゆるんだのは表情だけではなかった。


 ポロリと、目からこぼれる光るもの。

 自分でもびっくりしたようで、慌てて拭うが……一度せきを切った涙は止まることがなかった。


「ご、ごめんなさい。イヤですわこんな……ご覧にならないで」


 恥ずかしそうに顔を伏せるセレーラさんを見て、俺は自分の罪を痛感する。


 あのセレーラさんを泣かせてしまうなんて……。

 きっと俺たちが潜っているあいだ、罪悪感などでずっと苦しい思いをしていたのだろう。

 俺が軽い気持ちで仕掛けた駆け引きは、セレーラさんの心をかき乱しすぎてしまったのだ。


 ……こうなれば覚悟を決めよう。


 ローテーブルに乗り上げた俺は、手を伸ばす。

 バカな俺が流させた涙が伝う、セレーラさんの頬に。


 その手を見てセレーラさんは体を引きかけるも、それは一瞬。

 セレーラさんは受け入れてくれた。


 ゆっくりと伸ばした俺の右手。

 その人差し指が、セレーラさんの頬に触れる。


 セレーラさんの左目の下には、二連の泣きボクロがある。そのあいだを通って流れ落ちる涙を、俺は人差し指の背ですくい上げた。


「タチャーナさん……」


 より深く想いが伝わったのだろうか。

 見つめ合うセレーラさんの強張っていた体の力が抜け、瞳には柔らかさが戻ったような気がする。


 そんなセレーラさんに最後の一押し。

 ささやくのは、涙を止める魔法の言葉──







「お前を殺す」


 デデン!


「……………………は?」


 言われたセレーラさんの口が、ポカンと広がる。


「なぜですかマスター……」

「いいところでなぜそうなる主殿……」


 後方でなにかつぶやいている声はB級、いや、どうしようもないC級映画のエンディングを見たあとのような響きだった。


 そして前方は、当然キレた。


「なっ…………なんですのそれは!? なんで私が殺されなければいけませんの!」


 シャーッと牙を剥く縦ロールの威圧感は、百階層の巨人にも勝るであろう。


「大丈夫です、そんなこと言っても殺さないのがお約束です」

「なんですのお約束って!?」


 短パンタンクトップのあの方も殺さないですから。


「でもほら、涙は止まったじゃないですか」

「ビックリしすぎて止まるに決まってますわよ!?」


 そう、これは一種のショック療法である。

 他のことを全部忘れるくらいの衝撃で、涙を吹き飛ばすのだ。

 妹をまれによく泣かせてしまったときは、こうして癒やしていた。


 ……副作用として、感情が怒りに振り切れてしまうのが難点なのだが。


「ほんとに……ほんっとにあなたという人は!」


 セレーラさんも御多分にもれず、縦ロールをストレートロールになるまで引っ張り伸ばして怒りをあらわにしている。


 でもいつものセレーラさんに戻ってくれてうれしいっ。


「ああもう! いろいろ考えていたのが馬鹿みたいに思えてきましたわ!」

「ならば考えるのはやめて、素直な感情のままに僕の胸に飛び込んでくるのはどうでしょうか」


 今回のことは本気で申し訳なく思ってはいる。

 いるのだが……駆け引きがセレーラさんを泣かせてしまうほど心をかき乱したというのは、つまりそういうことではないのだろうか? きっとそうに違いない。そうだったらいいな。


 ローテーブルの上で小さな腕を目一杯広げて待ち構えていると、なんと! セレーラさんも応えるように腕を広げた!

 やはりそうだったのだ!


 だがそうではなかった!

 セレーラさんの広げた腕は勢いよく閉じられ、俺のほっぺを手のひらでべちんと挟み込んだ! 痛いぃ。


「ええそうですわね。素直な感情のままにあなたにぶつかってみますわ。今までのことを思い返したらムシャクシャしてきましたの。本当にいつもいつも、あなたという人は好き勝手言って好き勝手やって」

ひょういうことゃなくてでひゅね」

「大体なんで侯爵閣下やゼキル様に口止めまでさせたんですの! 納得のいく説明が欲しいですわ! もうっ、なんでこんな柔らかいんですの!」


 わー、やっぱ口止めバレてますよねー。

 万事休す……ならば最後にダメ元であのことを確認しておこう。


 怒りに任せて俺のモチモチほっぺを伸ばして遊ぶセレーラさんに、上目遣いで聞いてみる。


「あにょー、その前に一つだけいいでしゅか。アダマンキャスラーを撃退した報酬のチューというのは」

「どの口が言いますの! こんなタイミングで! もうっ、本当にこんな口!」


 むぎゅうとほっぺが挟み潰され、タコの口にされた。


「でひゅよねぇ────あ痛っ」


 突然、ガチンと歯に硬いものが当たる。歯と歯がぶつかったのだ。


 …………歯と歯?


「おおっ」

「まあ」


 後ろの二人から驚きの声が上がる。

 それもそのはず……俺の前歯にぶつかったのは、俺のものではない歯だったのだから。


 あまりうまくいかなかったそれは、すぐに終わってしまった。

 そのせいもあって現実感がなく、自分の中に浸透するのに時間がかかった。


 そうして驚いて正面の顔を見てみれば……その顔はなぜか俺より驚いているようで、目と口を真ん丸にしている。

 ややあって、急速に朱に染まっていく白い肌。


「ちっ…………ちち違いますわ! 今のは違いますのっ!」


 えっとえっと、違うってなにが。

 混乱する俺を投げ捨て、セレーラさんは勢いよく立ち上がった。


「いっ今のはあれで、その、ほら……そうっ、ただの撃退の報酬ですわ」

「報酬はほっぺという契約でしたけど……」

「それは……支払うのが遅くなってしまった利子ですわっ。とにかく……失礼しますっ」


 今まで見た中での最速で駆け、セレーラさんはピューっと部屋から出ていってしまう。


「……無事で本当によかったですわ!」


 廊下から響く声を最後に、重い扉が閉まる。

 そうして俺たちだけ取り残された部屋で、ルチアとニケはなにかつぶやいていた。


「もう少し素直になればいいのに……難儀な人だな」

「そうさせないマスターにも原因はありますが」

「まあたしかに。そもそもいまさら駆け引きなどする必要もなかっただろうにな」


 俺はと言えば、二人に構ってなどいられなかった。

 悔やんでも悔やみきれない、後悔のまっただ中にいたのだ。


「くぅっ、ちくしょう!」

「マスターはなにを残念がっているのですか。普通にやればもっとうまくいったはずですが、一応は喜ぶべきところでは?」


 俺は普通にやったけど、それはともかくとして──


「だって遅くなったら報酬が上がったんだぞ。もっと遅く戻ってくれば、もっといい報酬になったに違いないんだ!」

「どう考えてもそういうことじゃないだろうに……馬鹿な人だな」

「それについては異論ありません」




 結局そのあと一緒に侯爵のところに行ったりしたが、セレーラさんは目も合わせてくれなかった。

 ニケとルチアは大丈夫だと言ってくれたけど、やっぱり嫌われたんじゃないかとすごく心配だ……。

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