3-09 絡まれた



 俺たちが地上に戻ったとき、すっかり日は落ちていた。久し振りに本物の太陽を拝めると思ったのに。


 帰還してきた者が出てくる水晶は、突入用の水晶と太さは大差ないが、高さは周りを囲む三階建てのダイバーズギルドと同じくらいだった。

 ときおり水晶の一つの面が波打ち、ダイバーがヌルッと出てくるのはちょっと面白い。水晶を鉄板とかで覆ってみたくなる。


 どうやら帰還ピークに当たってしまったらしく、ギルド内はダイバーでごった返している。

 どこに並ぼうかウロウロしていたら、突然大きな声が上がった。


「げっ! 生きてた!」


 何ごとかと思って見てみれば、ピンクの髪をした受付嬢がこちらを指差して騒いでいる。俺たちのことだろうか。


「あの子どこかで見たことあるような……」

「どこかもなにも、ここでマスターが泣かせた子ですよ」


 そういえばそんなこともあったな。


「主殿の人嫌いの片鱗を見た気がするな。泣かせたときも、彼女に一片の価値も見出だしていないような、恐ろしく冷たい声色だったからな」

「マジか。全然意識してなかった」


 いかんいかん。今は護衛ポジションにいるルチアは笑っているが、あんまり狭量な主では愛想をつかされてしまう。寛大な心を有していることを見せつけなければ。

 そう考え、俺を抱っこしているニケに指示してピンク髪の列に並ぶことにした。

 ようやく俺たちの順番になり、膨れっ面のピンク髪の前に立った。


「……なんで生きてんの」


 ずいぶんなご挨拶である。

 だが今の俺は仏なのだ。広い心をもってしてすべてを受け入れるのだ。


「潜層階層の確認をお願いしますね」

「やだ。他のとこ並べば」


 …………真一はえらい子。我慢できる子。


「先日はお互い行き違いがあったようで不本意な結果に終わりましたが、ここは一つ水に流しませんか。大人らしく」

「はあ? ガキがなに言っちゃってヒイィッ!?」


 仏の顔も三度まで。

 俺は一瞬だけ、目を合わせれば呪われると近所で評判の〈第三の目〉を発動させた。

 腰を抜かして後ろに倒れたピンク髪は棚にぶつかり、自分の頭に書類の雨を降らせた。


「どうされました?」

「めっ、目が、目が!」


 震える指でピンク髪は俺を指し示す。漏らしてはいないようだ、残念。

 それにしてもなんでこんなやつが受付嬢なんてやってんだ。ここはこの国でダイバーズギルドの顔とも言える場所だろうに。


「僕の目が利発そうな上に愛くるしいことについてですか?」

「ちっ違う! そうじゃなくて……」

「ピージさん、またあなたですの! いったい何度言えば……っ!?」


 おお、この喋りは。

 声のした方に顔を向けると、超早足でセレーラさんが向かってきていた。

 俺たちの前でビタッと止まると、なびいていた縦ロールがみよんみよん揺れたあと定位置に収まる。


「皆様ご無事でしたのね!」


 ピンク髪のことなどすっかり忘れた様子で、セレーラさんのきつめの顔が安堵でほころんだ。


「ご心配をおかけしたようで」

「心底心配しましたわ……誰に聞いても皆様が戻ったのを見ていないんですもの」


 なんと。覚えていてくれただけでも嬉しいのに、これほど気にかけてくれていたとは。

 セレーラさんは今度は心配顔で、身を乗り出して俺たちの体を見回している。


「すみませんでした。でもこのとおり怪我もなく戻ってきました」

「そのようですわね……本当によかったですわ。でもあまり無理をなさらないでくださいまし」

「あはは……前向きに善処させていただきます」


 次は四十階層から一気に行くし一層一層にも時間がかかるだろうから、今回の比ではないほど長期間潜ることになるが。

 俺の後ろ向きな返事を聞いて、ジト目になったセレーラさんもかわいいじゃないか。


「……では潜層階層を確認させていただきますわ」


 セレーラさんの後ろで所在なさげに立っているピンク髪に見られないように、金属の板切れでできた魔道具を出した。

 ニケもダンジョンから出るときに〈無限収納〉から取り出したから、ちゃんと記録されている。

 それらを一目見て、セレーラさんは息を飲んだ。


「っ! ……少々お預かりしますわ」


 さすが副ギルドマスター。すぐに持ち直し、平然とした態度で奥へと歩いていった。


「おい、そこのガキ!」


 あんまり深く考えずにピンク髪のところに並んでしまったが、この女が見てたら大騒ぎしていただろう。セレーラさんが来てくれて助かった。


「聞こえねえのか、クソガキが!」


 ん? なんか騒がしいな。

 ダイバーたちはこっち見てるし。


「無視してんじゃねえぞ、このガッ、てめえなにしやがる!」

「主になにか用か」


 あれ、ルチアの声。

 どうやら俺が呼ばれていたようだ。新人の子供が絡まれるテンプレでもやってるのかと思ってた。ニケも無反応だったし。


 ニケが振り向いてくれたので見てみると、ルチアがマッチョマンと対峙していた。ルチアが突き飛ばしたのか、マッチョはたたらを踏んでいる。

 俺の筋肉を見ろ! って感じの、露出過多な服を着てる汗臭そうな男だ。その左右には取り巻きらしいヒョロヒョロの男が二人いた。


「げっ、狂犬ゴドーかよ」

「あのガキたち『リースの明け星』に目をつけられるとか、なにやったんだよ……」


 周りのダイバーはかなり距離を開けて、ひそひそやっている。マッチョは結構有名なヤツのようだ。

 しかし狂犬かあ。いついかなるときでも理性的な俺には縁遠い二つ名である。


「僕になにか?」

「気づくのがおせえんだよ、ガキが」

「はあ。で、僕になにか?」

「てめえピージを泣かせたらしいな」

「ピージというのはどなたでしょう」

「そこにいるだろうが!」


 マッチョが指差す方向を見れば、いたのはなぜかニヤニヤしているピンク髪だった。

 そういえばセレーラさんがそう呼んでた気がする。


「そうですね。先日行き違いがあったようで不本意な結果となりましたが、先ほど大人らしく水に流しました」

「はあ? アタシ許してないしー」


 ちっ、喋んなアホ女が。さっきまでマナーモードでブルブル震えてたくせに。


「だそうだぜ。てめえこの落とし前どうつけてくれんだ、ああ?」


 マッチョは指ポキ首ポキして凄んでいる。でも首ポキはあんまり健康によくないからやめた方がいいと思う。


「どうしてあなたが関わってくるのかわからないのですが、恋人さんかなにかですか?」

「恋人だあ? はっ、なにも知らねえみてえだな、ガキ。ピージは俺ら『リースの明け星』の専属受付嬢だ」

「ますますわからないのですが、専属受付嬢ってなんなのですか? そのことと僕が彼女を泣かせるとあなたのパーティー……『リースの明け星』ですか? そちらが出てくることと関係があるのですか?」


 そう尋ねると、マッチョと取り巻き二人はでかい声を上げて笑い出した。あとピンク髪も。


「バカね、アンタ。『リースの明け星』は六十二階層までいってるリースのナンバーツークランよ。ゴドーくん、このガキやっちゃってよー」


 笑い終えたピンクが自慢気に教えてくれた情報で理解した。

 このアホ女は、そのクランに気に入られてるから受付嬢やめさせられてないんだな。で、このマッチョは難癖をつけてタカリにでも来たわけだね。


「任せとけや。つってもまあ俺も鬼じゃねえ。そうだな……」


 ルチアとニケを見て舌舐めずりしたマッチョが、ルチアの胸に手を伸ばす。

 いい音を立てて、思いっきりはたきのけられたけど。


「くっ、このアマぁ!」


 自分でちょっかい出してきて防がれてキレるとか、ウザすぎるにもほどがある。


「六十二ですか! すごいんですねー。あなたはそんな深くまで潜っているんですかー」


 頭は悪そうだけど能力は大したものだし、とりあえず称賛して気分よく帰ってもらおうと思ったのだが……マッチョはフリーズして顔をひきつらせた。なるほど。


「あっ、ごめんなさい。あなたが六十二まで行ったわけではないんですね。それをまるで自分の手柄のように大きな態度を取れるなんて、仲間の威を借るとても情けない方……あ、間違えました、とても仲間思いの方なんですね」

「てんんめえ!」


 おお、青筋ビッキビキ。ヤンキー漫画でもこれほど見事な逸品は見たことがない。


「なにをなさっているんですの!」


 マッチョを必死で取り巻きがなだめているのを見ていたら、セレーラさんの一喝が響いた。


「ゴドーさん、ギルド内で問題を起こすのは控えていただくよう言ったはずですわ」

「アンタは黙ってろ! ダイバー同士の揉め事に首を突っ込まないのが、ギルドの原則だろうが!」


 マッチョが取り巻きに押さえられながら吠えてるのを聞いて思い出した。そういえばダイバーになるとき、セレーラさんがそんなこと言ってた。

 あとはたしか……ギルド内で起きたことには、よほどでない限り街の衛兵などは手を出さない治外法権みたいなものだとかも言ってたな。


 なんだ、それなら手っ取り早く済ませられるじゃないか。


「ルチアやれる?」

「問題ないが、いいのか?」

「うん、もうめんどくさい」

「了解した」


 ルチアもうっとおしく思っていたんだろう。

 背中越しにククッと小さな笑い声を俺に届かせた次の瞬間──拳をマッチョの横っ面にめり込ませていた。


 打ち下ろしの右。

 そんなに身長は高くないが、大きく体を使ったルチアのパンチでマッチョは床に叩きつけられ、バウンドして縦回転。

 おまけで取り巻きも巻き込まれて転がった。

 その光景に周囲の喧騒がウソみたいに消え去り、外を走る馬車の音にギルド内は支配された。


 マッチョは起き上がってこないが、うめいてるからちゃんと生きてる。さっき接触して、ルチアは大体マッチョの強さがわかってたんだろうね。

 初めからこうすればよかった。


 静寂のギルドに、ニケの涼しげな声が響く。


「ルクレツィアも徐々に貴方に毒されてきましたね」

「毒されているなど失礼ではないか、ニケくん。俺はただ理性的かつ合理的に物事を進めているだけだ」

「なっなっ……なにをしてくれちゃってますのーーー!?」


 すぐさまセレーラさんに、行きにも使った説教部屋に連行された。

 おかしいな、ギルドは首を突っ込まないんじゃなかったの……。

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