6-07 旅立っていった



「足かせって……米騒動のときに、主殿が侯爵にそのような内容の話をしていたな」


 なんかそんな気もしてきた。


「リリスはあれを聞いていたのですか」

「うん、キミたちのことは注目していたから」


 そういえばリリスは、水晶さんだったときに言ってたな。自分にできるのは水晶ダンジョンここから人の暮らしを盗み見るくらい、って。

 ……なんというプライバシーの侵害。


「昔からうすうすと感じてはいたんだ。キミたちが水晶ダンジョンと呼ぶあの迷宮は……ボクは、存在しているべきではないのかもしれないって」


 湯気が立ち昇るホットワインを見つめながら、リリスは続けた。


「元来ボクは人のために存在していて、あの迷宮も人がその生存圏を広げられるようにと作られたものだ。魔物などの脅威に立ち向かっていけるように。そしてたしかに、目論見どおりになっていた……当初はね」


 ──しかし、そうではなくなった。


 変わっていったのは、神本体がいなくなり、魔族との争いが一度落ち着いたころから。

 水晶ダンジョンを経て外界を開拓していった人々が、ただ水晶ダンジョンを目的として集まるようになっていったそうだ。


「ある者は富と名誉を求めて、ある者はただ日々の糧を得るために。あの迷宮はそんな者たちであふれるようになった、あまりに顕著に」


 度を越して、過程が目的になってしまったのだ。


 もちろん今でも水晶ダンジョンの恩恵が、巡り巡って開拓に繋がっているという一面はある。しかし間接的すぎるだろう。

 いまだにこの星は人類未踏の地であふれ返っているし、リリスがやるせなく感じてしまうのもしょうがない。


 ホットワインをふーふーしているルチアは、後ろめたそうに眉尻を下げている。


「私たちとしても耳が痛い話だな……」

「んでもみんながそうやって集まるのも仕方ない気もするぞ。だって水晶ダンジョンって──」

「お膳立てしすぎている、だろう?」


 ……そう言ってクスリと笑うリリスは、水晶さんのとき念話持ってたよね。やっぱり念話って、人の心を自在に読めるんじゃないだろうか。

 よーしいいだろう、人の心を勝手に盗み見るというなら俺にも考えがある。お前にイヤらしいことをする妄想を、全力で繰り広げてやるよ! 唸れ俺のリビドー! 脳細胞をサーモンピンクに染め上げるのだ!


「キミが前に言ってたことを考えれば、そう言うだろうと思っただけなんだけど……なんだかすごく目が気持ち悪いよ?」


 ふむ、侯爵にそんなこと言ってたんだっけ? 全然記憶にないんだけど。


「主殿、そんな変態的な妄想はやめて今は話を聞こうか」

「ええ、妄想するくらいなら全て私にぶつければいいのです」


 ……やはり脅威度としてはルチアやニケのほうが上のようだ。しかしリリスも今後、恐ろしいテレパスになっていく可能性は十分にある。その動向を注視していくべきだろう。


「えっと、話を戻すけど、お膳立てしすぎていたというのは、きっとそのとおりなんだ。そして……そのせいで人は、あの迷宮を人同士の戦にまで使うようになってしまった」


 戦に使う、か。いまいちピンとこなかったが、続く二人の言葉で理解することができた。


「……私は参加したことがないが、戦争前に水晶ダンジョンで物資補給というのは、五晶国の常套手段だな」

「それどころか、水晶ダンジョンを奪取目標として戦を起こすことすら……私は幾度か参加しています」


 軍人であったルチアだけでなく、数多の戦を体験してきたニケの言葉にもにがみが含まれていた。

 今まであまり考えることはなかったのだろうが、神がずっとそれを見ていたと知ってしまえばなあ。


「別にボクはね、争うことを根本から否定しようという気はないよ。でも……やっぱりあの迷宮は、安易に同族からなにかを奪うために使ってほしくはなかった」


 今となっては未開の地を切り拓くどころか、人を切り捨てるために使うほうが目についてしまうのだ。

 水晶ダンジョンの主として、さぞ残念だったろうな。


 中性的な声で寂しげな余韻を残したリリスは、一度ホットワインで喉を潤した。


「だけどそうなってしまったのも、人だけが悪いせいじゃないんだろうなって……今考えれば、昔のボクは理想を求めすぎていたんだろうね。人々が、種としての発展に力を尽くし続けてくれるって思いこんでいたんだ。だからいろんなものを与えた」


 リリスが神として直接導いていたころは、きっとうまくいっていたのだ。与えたぶんだけ応えてくれたのだ。

 水晶ダンジョンを完全攻略したら褒美をくれるというのも、人を変に釣るためではなく、純粋に褒めたたえるためだったのだろう。


 しかし神という超常的な存在がいなくなってしまえば、人々のこころざしが薄れてしまうのも無理からんことだ。


 そう考えていると、リリスが顔を向けてきた。


「ねえ、キミにはあの迷宮の七十階層台にあった街は、今と比べてどう見えたかな? 違う世界から来たキミには」


 七十階層台の街って、あの亡者だらけのとこだよな。


「あれってずっと昔の街の再現みたいな感じか?」

「うん、規模は大きくしているけどね」

「なるほど、ダンジョンなのにあんまり狭かったらまずいもんな。しかし、どう見えたと言われても……今とあんまり変わんねえなとしか」

「そうですか? 私にはかなり違うように見えましたが」


 ルチアもニケに賛同のようで、不思議そうな顔を俺に向けている。


 もちろん今の建物のほうが全体的に高いし、彫刻などの細工も多いし精巧な造りだ。建築技術が進歩しているのは間違いない。


 でもそれはただ素直に一、二歩進んだというだけの印象でしかない。

 革新的な素材が登場したわけでもなく、劇的に変わっているなどとは言えない。


 なにより、人の暮らし自体がそれほど変わっていないことが簡単に想像できる。

 今は明かりは魔道具のものがだいぶ普及したが、まだ一般家庭では料理は薪を燃やして作っている。

 水は水晶ダンジョンの街にもあったようなつるべ井戸で汲んでるし、ほぼ全ての街には下水道もない。当時と生活は似たようなもんだろう。


 もちろん地球の直近百年の異常なまでの進歩と比べるのは間違いだし、もしかしたら古代ローマから中世と考えれば似たようなものなのかもしれない。だがそれでも……。


「うーん……どうしても俺には大して進歩してないとしか思えないな」

「やっぱりキミはそう思うんだね……ボクもなんとなく、この世界の人々は停滞しているように感じていたんだ」

「そうですか……そう感じていたがために、『足かせ』という言葉が貴女に響いたのですか」


 リリスはゆっくりとうなずいた。


「……人の背中を押すために多くのものを与えていたあの迷宮も、今はもう甘やかして足を引っ張るものになってしまっていると思ったんだ」


 ペットが可愛いからといって、飯を与えすぎれば太って不健康にもなる。とはいえ知識や経験がなければ、適正な量を与えるというのは難しいことだけど。


 それにしてもなんというか昔のリリスは、神とあがめられていても、すごく不完全だったように思える。

 ただ使命のままに、やたらと人類の進路に介入してたみたいだし。


 果たしてどういう存在だったのか……今は憂い顔すら絵になる美人さんだし、どうでもいいか。


「そしてその甘やかしが人々の目を外に向けさせず、国の格差を生み、人同士の争いを助長して……人のあの迷宮の使い方だけが悪かったわけじゃない。どのみち消えてしまうものではあったけど、そう気づいてしまった以上もう続けられなかった」


 目を閉じ、リリスは持っていたコップを傾けた。

 長きに渡り続けてきたことをやめるというのは勇気がいるし、寂しくもあるだろう。


 でも何度かにわけてホットワインを飲み干したその瞳は下ではなく、しっかりと前を向いていた。


「もちろんあの迷宮が悪いことばかりではなかったのはわかってる。それに消してしまったことで苦しむ人が多くいるだろうし、混乱もするだろう。でもその先にはより良い世界が待っているんじゃないかって……そうであってほしいなって思うよ」






 あくる朝、リリスは旅立った。

 定期的に帰ってくることになってるというのもあるが、よほど旅が楽しみだったのだろう。

 門の外まで見送りに行った俺たちに別れを告げると、足取り軽く、振り返ることもなく去っていった。


 小さくなっていく後ろ姿をぼんやり眺めていると、俺を抱えるニケがなにか言いたそうにつぶやいた。


「マスター」

「言うな」

「水晶ダンジョンが消えたのは主殿のせいだったか」

「言うなってばぁ! しかもお前が!」


 まさか昨日まで自分たちのせいで消えたと思ってしょげていたルチアに言われるとは。


「認めん……認めんぞ。侯爵にあんな大げさに言ったのを盗み聞きされて参考にされて消しちゃうなんて思うはずないじゃん! 俺のせいだなんて、絶対に認めん!」


 そもそも水晶ダンジョンなんてリリスが作って置いてただけの物だし、どうしようと彼女の勝手だったのだ。決して俺のせいなどではない。

 もちろん二人もただの冗談だったので、はいはいと笑っている。


「っていうかだな、リリスは人のためを思って消したんだから、むしろそうさせた俺を褒めるべきじゃない? それなら受け入れてやるぞ」

「なるほど、それは一理あるな」

「ふふっ、そうですね」


 二人がかりでえらいえらいと撫でられて気分がよくなってきたところで、シンボルがなくなってしまった街の中心を眺める。

 ……はあ、仕方ないな。


「でもまあ、あくまでもこれっぽっちも俺のせいではないが……ちょっとよりはもうちょっと侯爵に協力してあげてもいいかなと思わなくもないけど、どう?」


 二人は顔を見合わせて笑い、揃ってうなずいた。




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