幕間1-3 ぴのこった



 ラボでの一泊を経た翌日の午後、目的地である静岡市に到着。

 転居先のマンションに近づいたところで、抱っこ係のルチアがため息まじりにつぶやいた。


「それにしても色鮮やかでせわしない世界だな……目が回りそうだ」


 地球二日目にして、驚き疲れてしまったようだ。

 静岡はそれなりに栄えてるから、余計に刺激が強いのだろう。


 でも疲れたのは今朝寄った空港とか初めて見た海とかで、興奮しすぎたせいもあるかもしれない。

 空港ではもちろんジャンボをねだられたが、どちらかと言えば地を行く新幹線の方がルチアは好きなようだ。ついでに重機も好きだ。


「まさかこれほどまでになにもかもが違うとは、思いもよりませんでしたわ」


 一番元気なのは、まだあちこちキョロキョロしているセラだ。

 道すがらでも、セラが一番あれこれ尋ねてきた。前から思っていたが、やっぱり好奇心旺盛のようである。


 ちなみに長いエルフ耳だが、今は外から見えない。

 本人はあまり好きではないようだが、セラの両耳には普段小さなピアスがつけられている。こちらに来たとき、それをリング型に変えた。

 なにをするのかと思っていたら、それに短い紐をつけて後頭部のほうを回して繋げたのだ。そうすることによって、髪の中に隠れて耳が見えなくなっている。


 エルフは長寿で若い外見の期間が長いので、変な輩に狙われることも多い。

 そのため多くのエルフは自分の生活圏から出るときには、そうやってエルフであることを隠すそうだ。


 何日もぶっ続けでその状態にしておくようなことでもなければ、痛くなったりはしないらしい。

 エルフの男女ともに長髪が多いのは、隠しやすいようにするためだということを教えてもらった。


「そうですね……本当にあちらの世界とは違いますね」


 そしてニケなのだが、かなり表情が硬く、さらにマンションが近づくにつれ張りつめていっている。

 俺の家族との面通という緊張があるのかもしれないが、それだけではないように思う。


 昨日から感じてはいたけど、この世界のことを知るにつけ気分が沈んでいっているように見える。

 この世界との相性の問題、というだけなんだろうか……どこか不安そうに、右手で左手の指に光るものをもてあそんでいる。


 それは婚約指輪……とかではなく、懐かしの通訳いらず魔道具『言語理解の指輪』である。

 昔、剣聖パーティーから身ぐるみはいだときにいくつも手に入れていたので、みんなに渡したのだ。あいつらはみんな、向こうの言葉を勉強してなかったからな。


 っと、今はヤツラのことなんか思い出してる場合じゃない。


「そこだルチア。たしかそこを曲がって……うん、そうだそうだ」


 抱っこ係のルチアに指示して通りを曲がる。

 かなり危うかったが、なんとか道を記憶から絞り出すことができた。


「もう少しで着きますのね。それでご家族はお父様はお亡くなりになっていて、お母様と妹さんがいらっしゃるのでしたわね?」

「うん。だけど妹の千冬ちふゆはただの妹などではないぞ。言うなれば妹の中の妹、妹のかがみであり極みである妹神だ」

「……目が本気すぎて怖いですわ」


 本気とか冗談とかそういう話ではなく、ただの事実にすぎないのだよ。

 この世界に神がいるかどうかなど知ったことではないが、我が家の妹は神であり、神は妹なのだ。


「溺愛しているのはよくわかった。しかし妹君は主殿と一つだけしか違わないのだろう? ならば私とほとんど変わらないが……もう良い年頃なのだし、よそに嫁いでいるのではないか? 行き遅れだった私などが言えたことではないのだが」


 自分を行き遅れと言うルチアを、遥かに年上のお姉様方がギロリとにらんでいる。でもでもルチアは婚期の早い貴族だったので仕方ないと思うよ?


「ルチア、向こうとは違うんだよ。こっちはたしか、平均結婚年齢が三十近かったと思うぞ」

「そうなのか……だが、まったくありえないことではないのでは?」


 俺の中で妹はまだ子供のままで想像しづらいが、実際はあと半年もすれば二十歳になる。そう考えればありえなくはないか……。


「……もしそんなことになってたら、親父の代わりに俺が相手をぶん殴らないとな」

「このステータスで殴ったら死にますわよ?」

「ちゃんと加減するってば」

「だったらいい……のかしら?」

「あ、そこ左。ほんとに家もうすぐだぞ」


 そう伝えると、セラが大きく息を吐いた。


「なんだか少し緊張してきましたわ」

「私もだ。失礼のないようにしたいのだが、礼儀作法などはそれほど変わらないのだろうか?」

「一番礼儀正しい挨拶はどのようなものかしら? 教えてもらいたいですわ」


 あまり口を開かないニケだけでなく、セラとルチアも緊張しているようだ。

 母さんも妹も基本的にはおおらかだし、そんなにかしこまる必要はないんだけど。


「うーん、礼儀正しい挨拶といえば、やっぱあれかな。ルチア、ちょっと向きを」


 クルッと回して高い高いをしてもらった。


「まずはこうホッペを両手で挟む……んで、このまま大きな声で、アッチョンブリケ!」


 本家の愛くるしさには到底及ばないが、思い切り押し潰したホッペの効果でセラとルチアから笑みがこぼれる。

 少しは緊張がほぐれてくれたかな?


「ほら、みんなもやってみ」

「ふふ、誰がやるか。またそうやってふざけて。不思議と魅力的な響きだが」

「もうっ、そんなのにはだまされませんわよ。ねえニケ……さん…………」


 しかし、セラが顔を向けたニケはというと──


「アッチョンブリケ……アッチョンブリケ……」


 ──ホッペを両手で押し潰し、繰り返しつぶやいて練習していた。

 形の良い唇が突き出されて閉じたり開いたりしてるのが、カワハギみたいでカワイイ。


「に、ニケ殿……」


 少し間を置いて、俺たちに注目されていることにニケがやっと気づいた。ホッペを挟んでいた手を下ろす。


「……なんでしょうか」

「ニケ殿、大丈夫か?」

「なんのことですか」

「なんのことって……思い切りシンイチさんに乗せられてましたけれど」

「乗せられて? ……あっ」 


 俺にだまされたことに気づいたニケは、咳払いを一つついた。いまさら取り繕っても遅すぎますよ?


「大丈夫です、なにも問題ありません。私はいつもどおりなのよさ」


 目が泳ぎまくってるし、いつもどおりじゃなさすぎるが、何度聞いても大丈夫の一点張りだった。

 ニケがここまでのことになるなんて、どうしてしまったのか……心配である。

 

 それから少し礼儀作法について話をしていると、すぐにマンションまで辿り着いてしまった。

 まだ思い出もなにもないが、間違いなくここだ。部屋番号も覚えている。


 マンションの敷地に入ると、なにがなんだかわかっていない三人があれこれ聞いてくるが……本当は俺もそこまで余裕がない。生返事しかできなかった。


 そしてエントランス前のインターフォンまできた俺は、少し震える指で『302』と押した。






 しばらくして、俺たちはマンションの前で立ち尽くしていた。


「まさか引っ越してるとはなあ」


 302にいたのは、今年越してきたばかりの家族だった。一応聞いてみたが、彼らの前に住んでいた人のことは知らないそうだ。


 そしてこのマンションにたちばなという名字の人は住んでいないとのことなので、部屋間違いというわけでもない。


「どのように探すのだ?」


 励ますように、ルチアが俺を抱え直して後頭部を強めに挟んでくるが……うん。


「これで、良かったかもな」

「どういう意味ですの?」

「探さないって意味だ」


 帰れることになってから、実はずっと悩んでいた。

 元の家族のところには、顔を出さない方がいいのかもしれないと。


 もう死んだと思っているだろう俺が現れたら驚くだろうし、俺の今の姿や種族のことはどう説明したものかとは思う。ただ、そこは大した問題ではない。

 それよりは今後もあちらで行動することについて、心配をかけたくないという思いのほうが強い。


 そしてなによりも、この世界の人々の目に俺たちという存在はどう映るのか、ということだ。

 もし俺たちの存在を世界が知ってしまえば、間違いなく母さんや妹を危険に晒すことになってしまうだろう。


 そういったことを考えれば、母さんたちとは会わないほうがいいのではないかとも考えていたのだ。俺は死んだものとして、今はもう穏やかに暮らしているだろうし。

 まあ結局は会いたい気持ちに押し切られ、ここまで来てしまったが……。


「マスター!? なにを言って──」


 ニケが反論しようとしたそのときだった。


 ドサリと、物を取り落とす音。

 それに続いて聞こえたのは──


「しん、いち……?」


 ──俺の名を呼ぶ、懐かしい声。


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