幕間1-4 真なる殺意に目覚めた
見なくてもわかってしまう。
どれだけ久し振りでも、聞き違えることはなかった。
抗うことのできなかった首が横に向けば、そこにいたのはやはり橘
お互いしばらく黙って見つめ合っていたが、ハッとして母さんが買い物袋を拾った。
「ご、ごめんなさい。その子があんまり私の息子に似ていたから……」
最後に「そんなはずないのに」と小さくつぶやき、歩き始めた。
そして会釈とともに、名残惜しそうに俺を見てから通り過ぎる。なぜか、もう住んでいないはずのマンションへと向かって。
「主殿……」
彼女が誰なのかわかったのだろう。ルチアが俺を揺する。
でも、俺は静かに母さんを見送り──
「待ってください!」
懸命な、悲痛にも聞こえる声に母さんが振り向く。
ニケ……。
「どうか、どうか少しだけ話を」
ルチアを抜かし、ニケが前に出ようとする。俺はその腕を掴んだ。
「マスター!」
その声と、止めるなと訴えかけてくる目を見てわかった。ニケはなにか俺のことで変な思いを抱え込んでしまっているようだ。
バカだな。お前が気にする必要など、どこにもないのに。
でも……うん、やっぱり違うか。
「ニケ、いい」
「ですがっ」
「そうじゃない。自分で言うから」
そうだ……この帰郷はニケと、今も俺を強く抱きしめているルチアが、命を懸けて俺にくれた贈り物だ。
ならば俺が目指すべきものは、無難な次善の策ではないのだ。最高の結末を目指さなければウソなのだ。
俺の決意が伝わり、ニケは後ろに下がった。
母さんは胸に手を当てて困惑している様子だが、その表情にはなにかしら期待のようなものも見える。俺の気のせいでないといいのだが。
さて、なんと言ったものかな。
「あー、んーと……あなたのかわいいかわいい息子さんについて話があります」
「真一、の? あの子についてなにか知っているのですか!?」
「はい。もし知りたければ、少し時間をいただけますかね」
丁寧語を使うべきか悩んだりしてたら、なんか誘拐犯みたいになってしまった。こらセラ、笑うんじゃありません。
そして母さんの返答には、それほど時間がかからなかった。
「……お願いします」
我ながら、どう考えても怪しすぎるとは思う。
だが子供のころのかわいい息子そのものである俺という物証がそんなことを言えば、聞かないわけにはいかないだろう。
一度マンションに振り向いた母さんが、また向き直る。
「どうしましょう、どこでお話をしますか? もし良ければ、家に上がってもらって話を聞かせてもらうということでいいかしら? 家族も今、家にいますし」
空港で知ったが、今日は土曜だ。そのおかげで千冬も家にいるようだ。
うなずいた俺たちは、母さんに続いてマンションに入った。
「まずは第一段階突破だな、主殿」
「ああ。ありがとな、ニケ」
「いえ。それよりも信じてもらうのは大変かもしれませんが……」
「ま、全身全霊誠心誠意説明するさ」
ナイショ話が終わると、ちょうどエレベーターが降りてきた。
震えるニケにしがみつかれながら到着したのは、五階だった。
そして母さんがノブをひねったのは『503』……どういうことだ?
「どうぞ入ってください。ただいまー」
俺たちを招き入れた母さんの声に、奥から返事がくる。
ああ、この声……。
「お帰りー。どなたか連れて来たの? ……うぇっ!?」
リビングから顔を覗かせ、俺を見て声の主は固まった。
……全体的に、俺の記憶より垢抜けた印象だ。
長かった髪はミディアムヘアになっていて、染めているのか髪色が少し明るくなっている。アゴのラインも、昔よりシュッとシャープになったか。
女らしくなったな、千冬。
ああ、やばい。
涙が────
「どうしたんだい、千冬ちゃん。どなたがいらっしゃったのかな?」
キレイになった最愛の妹に、親しげにかけられる声。
そして妹の横から顔を出した、いやらしそうなタレ目の男。
ほー……ほーほーほーほー。そうかそうか、ふーん、そうかそうか。
ならば俺の成すべきことは、ただ一つ。
ルチアの手を振りほどき、降り立った床をそのまま蹴った……もちろん拳を振りかぶりながら!
「きえぇぇえぇ! 死ねええぇぇえ!」
廊下を一飛びで抜けた俺の全身全霊を込めた拳が、まったく反応できていない間抜け面にめり込む────寸前。
「もうっ! 危ないですわねっ!」
セラに襟首を掴まれ、止められてしまった。ぐるじい。
「えっ……ひぇっ!」
届かなかったパンチの風で髪をなびかせた男が、遅れて驚く。ひっくり返って尻餅をついた。
男だけでなく、妹と母さんも驚きの声を上げている。
普通の人間には、俺たちが瞬間移動したくらいに見えたのかもしれない。そんなことはどうでもいいが!
「離せセラ! 離せぇ!」
「離したら殴りますわよね、思い切り。死にますわよ?」
「当たり前だ! そのために殴るんだ! 千冬にたかるハエは潰さなきゃ! 違う! それじゃあ千冬がまるでウンコみたいじゃないか! えっと……とにかく潰すんだ!」
「ハァ、だいぶ錯乱してますわね……なにが加減するですの。一応気をつけておいて正解でしたわ。ルクレツィアさん、しっかり捕まえていてくださいませ」
「す、すまない。気を抜いた」
玄関まで戻ってルチアに渡された俺は、ガッチリホールドされてしまった。
「よくやりました、セレーラ。私もつい気を抜いてしまいました」
「あなたたちが命を賭してここまで導いたんですもの。感動の場面になりそうでしたし、仕方ありませんわね……台無しになりましたけれど。でも、ケガの功名かしら」
セラが顔を向けたのは、並んで俺を見る千冬と母さんだ。
それにしても、うぎぎぎ……ルチアのホールドが外れないぃ。
「……ねえ、お母さん」
「……うん」
「あれって……お兄ちゃんだよね」
「そうかも……」
ようやく近くに帰ってきたお兄ちゃんを、なぜ二人してそんな遠い目で見ているのだ。
でもやっぱりそれよりも!
「とにかく離せルチア! これじゃあ殺せないのぉ! 離してよ! うわぁぁぁん!」
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