7-19 順調に大人の男に成長しているはずだった



「ハーッ……別れちゃったんだ……お父さんとお母さん」


 ひととおり三人から話を聞き終えると、美紗緒は長いあいだ天井を見上げ、千々に乱れた心を鎮めていた。

 やはり一番ショックだったのは、両親の離婚だったようだ。


 俺たちの話自体を疑う気はないようで、比較的スムーズに進んだのは助かった。接点の薄い俺が、わざわざ美紗緒に会いにここまで来たことが裏づけになっているという面もあるだろう。


「ミサオ殿、つらいとは思うが、その別れがあったからこそハルヒコ殿とキョウコ殿が結ばれ、我々がこうして会いにくることになったのだ」

「そっか……おかげで助けてもらえたし、あっちのことを知れたんだよね」


 ルチアの励ましに、美紗緒は涙を拭って俺たちに向き直った。無理はしてるだろうが、この早さでポジティブに捉えようとできるところはたくましさを感じるな。

 しかしあっちのことを知れたどころか帰れるんだが、こいつもしかして……。


 内心で引っかかったが、そのことを尋ねる前に美紗緒が笑みを見せる。


「ふふ、橘くんと姉弟か……変な感じ」

「そりゃこっちのセリフだ。イビられてた女と兄妹になった俺の気持ちがわかるか?」

「それは……ごめんなさい」

「シンイチさん、許したのでしょう? そのことを言うのはもうおやめなさいな」

「はーい」


 セラに叱られていると、さっき気になっていたことをニケが尋ねた。


「ミサオ、貴女はあちらに帰るつもりはないのですか? そのために剣聖にその身を捧げまでしたのでしょう」


 やや間を置いたものの、美紗緒ははっきりとうなずいた。


「もちろんお父さんたちには会いたいけど……もうあっちで暮らすことはできない」


 四年近く行方不明だった高校中途者が突然帰還し、普通にあちらで暮らせるかというと……かなり難しいと言うほかない。

 しかも行方不明になっていた理由を、周囲に説明するわけにはいかないとなればさらに難しくなる。


 ただ美紗緒が帰らない理由は、そういった現実的な問題によるものではなさそうだ。なんだか照れくさそう頬をかいている。


「その……こっちに心に決めた人がいて」


 なにかと思えば男かい。

 そう驚いたのは俺だけだった。三人は勘づいていたようだ。


「先ほどいた獣人の方ですわね」


 ああ、あの尻もちついたヤツか。

 たしかに相手が獣人では、どうあがいても地球では暮らせないが……。


「あれが好きなのか? なんだか頼りなさそうだったけど。初めとかお前の後ろに隠れてたし」


 見たまんまを言っただけであり悪く言ったつもりはないのだが、美紗緒は少し頬を膨らませた。


「ティルは戦いは苦手だけど、いいところはいっぱいある。というか橘くんも人のこと言えないと思うんだけど」

「それは違うな。俺は合理的思考に基づいて後ろに控えているだけであり、怖がって隠れているわけではないのだよ」

「そうやって臆面もなく言い切れるところは見習いたいですわ」

「まあ実際マスターはたまに勇敢というか、向こう見ずになりますからね……」

「ああ、あれはあれでとても困るのだが。ちゃんと戦える相手なら補助しようとも思うのだが、明らかに危険な相手に無茶をするのはやめてほしいものだ」


 はて、なにかしただろうか?

 首をかしげる俺を見て、美紗緒が小さく笑っていた。


「橘くんってこんな感じの人なの……話してみたら印象が違う」

「ネコ被ってたからな」

「そうみたいね」


 美紗緒はまた笑ったが、唐突に神妙な顔つきになった。


「どうかされましたの?」

「あ、ううん……今日……さっき健吾くんが死んだばかりなのに、もう私は笑えるんだなって……」


 そして一息ついて、美紗緒は俺に顔を向けた。


「橘くん。橘くんは日本に帰って、家族に会って、心から笑えた?」


 初めは剣聖を殺した俺を責めたいのかと思ったが、そうではないようだ。質問の意図はわからないが、俺を見る美紗緒の目はそういったたぐいのものではない。


「笑えたけどそれが?」

「そう……なんていうかあの国って、平和じゃない? 人を直接傷つけたことのない、キレイな人ばかりで。でも私はこっちに来て人を傷つけたり……殺めたりもした。そんな私が、お父さんたちと一緒に笑えるのかなって、笑っていいのかなって思っちゃって。汚れてしまった私が」


 そう言ってうつむく美紗緒を見て俺は思った。

 もしかしてこいつ、ヤバいやつなのでは──と。


「美紗緒……お前今まで、罪のない人々をそんなに殺し回ってきたのか」

「なんでそうなったの!? そんなことするわけない」

「本当か? そんなとんでもないサイコパス女、絶対に母さんや千冬に会わせるわけにはいかないんだが」

「本当だし」

「だったら汚れたってどういう意味だ」

「話をまるで聞いてなかったのかな……」


 なんだかガックリしている美紗緒に、俺の左サイドが笑いかけた。


「ふふっ。ミサオ殿、『敵をほふることは汚れることじゃない』そうだぞ」


 なぜかルチアは俺に視線を寄越しながら、当たり前のことを言っている。


「あ、そういう…………そう、なのかな」


 まだなにか悩んでいる美紗緒にかけられるセラの声は、すごく優しい。


「間違ってはいないと思いますわよ。割り切るのは難しいかもしれませんけれど。それにしても、あなたは誰かと違って普通の感性を持っているようで安心しましたわ」

「セラ、よくわかんないけどあんまりニケとルチアの悪口を言うのはやめたほうがいいんじゃウググ」


 そして、かばってあげた俺をなぜか締めつけてきたニケも。


「たとえ汚れていたとして、それがなんだというのですか。それは貴女が己や誰かを、なにかを守った証でしょう。ならば誇ればいいのです、守ったことを。そして誰かに押しつけることなく、汚れる道を選べた自分自身を」


 つっけんどんな口調だが励ましているようだし、ニケも美紗緒をちゃんと認めているようだ。

 ニケに嫌われていたのは感じていたのだろう。美紗緒は少し意外そうに目を見開いていたが、ややあってその目を細めた。


「そっか……ありがとう。こういうの、みんなとはなかなか話しづらくて」


 なにを悩んでいるのかいまいち理解できないが、肩を並べて戦っている仲間に、戦いに対しての不安や迷いなどは打ち明けづらいかもしれないな。変に気を使われれば戦闘や関係性に支障が出るだろうし。


 しかしうちの子たちはしっかりしていてあまり聞いたことがないが……悩みなども当然あるよな。

 それらを飲み込ませずに打ち明けてもらうためには、彼女たちの悩みを受け止め共感することが肝要なのだろう。


 ひょっとしたら俺にはまだ少しばかり、ほんのちょびっとだけその力が足りていないのかもしれない。

 甘えさせることができる頼もしい家長になれるよう、これからも邁進せねばなるまい。


 そう考えていると、セラにテレパスされた。


「別にあなたに共感してもらおうだとか甘えさせてもらおうだとか、そんな期待はしていませんわよ。ねえ?」


 うぐぐ……俺がまだこんな小さな子供の体だから頼りづらいのだろう。そうに決まっている。

 くそう、セラは包まれたい派、つまり甘えたい派なのに。


 しかしセラが同意を求めたルチアとニケは、なぜか顔を見合わせて笑っていた。


「そういえばセレーラ殿はそういった男が好みだったか。しかし甘えられないかと言うと、そうでもないと思うのだが」

「ふふ、そうですね。もちろん共感という面ではまったくもってアレなのですが」


 意味深な態度を見せる二人を、セラが冷ややかな目で見ていた。っていうかアレってなんだ。


「そうでしたわね。あなたたちは服も下着も脱ぎ散らかして、洗濯かごに入れることもしませんものね。シンイチさんが片づけているのを見てビックリしましたわ。注意しても改めませんし、ずいぶん甘えていますわよね」

「い、いやっ、それはだな……白状するとたしかに初めは、家にいたころのクセが抜けなかったのだが……」

「マスターが喜んでいるので、あえて続けているのです」


 そりゃ喜ぶだろ。まだ暖かい下着とかを片すのって興奮するに決まってるじゃない。

 なのにセラも美紗緒も、変態惑星からきた宇宙人を見るような、まったくもって共感できないみたいな顔で俺を見るのやめてもらえません?


 本当はセラにも脱ぎ捨ててもらいたいのだが、このまま話を続けているとニケとルチアまで自分で片づけることになりそうな雰囲気なので、本題に戻ることにしよう。


「そ、それであっちで暮らさないのはわかったが、晴彦さんに顔見せに戻る気はあるんだな?」

「そんなに自由に行き来できるの?」

「ああ、必要なのはMPだけだ。クールタイムはアホなほど長いけどな」


 本来はそのMPが莫大な量必要なのだが、その問題もラボのおかげでなんとかなったしな。


「そう……すごいスキルだね。さっきも言ったけど、もちろんお父さんたちには会いたい」

「じゃあいつにする。今日行けるか?」


 はっきり言ってしまうと、俺は内心で小躍りしていた。


 俺は美紗緒を許したが、まだ信頼できる相手だとは思っていない。

 どうやらサイコパスではなさそうだし、母さんや千冬に直接危害を加えるとは思わない。しかし周囲への対応を間違えてしまうのではないかという不安がある。異世界のことを漏らしたりとか。

 そういう意味で日本で暮らさせるのは怖い。


 なので基本こちらで暮らしてもらって、たまに連れ帰って晴彦さんを喜ばせるというのが一番都合がいいのである。

 そんな万々歳の展開に喜んでいたのだが──


「ごめん。ありがたい話だけど、今はちょっと無理」


 ──表情を曇らせた美紗緒に水を差された。


「ああ、獣人たちと内樹海に帰るのか」

「そうじゃなくて、今は非常事態中なの。だから少なくともしばらくは無理」


 聖国一派を追い返して一件落着……というわけにはいかなかったようだ。


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