7-20 年上としてはほんのちょっとだけ貫禄とかが足りていなかったのかもしれなかった



 深刻そうな美紗緒の表情は、聖国どころではない大ごとが起こっていることを物語っている。

 正直あまり聞きたくなかったが、ルチアが尋ねてしまった。


「なにがあったのだ?」

「実は今……樹海に帝国が攻めてきているの」

「帝国が!?」


 俺にはあまりよくわからないのだが、想像の埒外らちがいだったようでルチアはかなり驚いている。


「なぜだ……なぜ今、帝国が」

「気になりますわね……でも詳しい話はあとにしませんかしら。まずはミサオさんを戻したほうがいいと思いますわ」


 セラも驚いているが、それよりも今は気になるものがあるようだ。

 その視線を追って、俺たちも玄関ドアに目を向けると──


「……泣いていますね」


 ニケの言うとおり、玄関ドアの前で獣人の男が膝をついて泣いていた。美紗緒のお相手だろう。

 声こそ聞こえないが、天を仰いでギャン泣きする姿は、まるで迷子の子供だ。


「ティル……」

「本当にあれでいいのですか? 貴女と年も近いように見えますが、それがあれは」

「……いいの」


 美紗緒はどこか気まずそうにしているが、あいつの気持ちもわかる。


「お前たちが殺されたら、俺もあんなんになると思うぞ」

「……ルクレツィアがアダマンキャスラーにやられたときの貴方の顔を思い出すと、いまだにゾッとするのですが。もっともああなったところでマスターはいいのです。子供ですし可愛いですし」

「それはズルい」


 ニケにジト目を向けていた美紗緒だったが、しばらくして俺に向き直った。急いで恋人の獣人のところに行くのかと思ったが……。


「なんだ? 今はとりあえず戻ってもいいぞ」

「まだ大切なことを聞いてないから。橘くんは……みんなを日本に帰してあげる気がないの?」

「そのことか。ああ、これっぽっちもない」


 美紗緒は眉をしかめたが、俺がそう答える予測はできていたようだ。


「やっぱり私だけに話したのはそういうこと……なぜ?」

「あいつら帰して、周囲に異世界行ったこと言いふらされたり問題起こされたりしてみろ。母さんや千冬、晴彦さんだってあっちで暮らしていけなくなるぞ」


 決して大げさだとは思わない。

 俺たち勇者の持つ力や異世界の素材を知られてしまえば、普通の生活など影も形もなくなるだろう。


「それはそうかもしれないけど……みんなそんなことしない」

「信用できないな」

「だったらみんなのことをもっと知って欲しい。それで信用できたら、せめて一度だけでも」


 仲間のために美紗緒は食い下がってくるが、期待を持たせてもいいことはない。ここはきっぱりと拒絶する。


「それでも無理だな。たとえあいつらのことを信用できたとしても、その家族とかまで信用するのは不可能だ。あいつら本人だけじゃなくて、関係者の中の一人にでも騒がれて周りに信じられたらアウトなんだぞ」


 近くで見張れる美紗緒一人帰すのも怖いのだ。他の勇者を気の毒と思わないわけではないが、母さんや千冬の安全とは比ぶべくもない。

 仲のいい友人でもないし、そこまでのリスクを背負う関係性ではない。


 美紗緒は助けを求めるように見回すものの、三人とも揃って首を振る。

 それでもまだ美紗緒は訴えようとしていたが、その前にセラが口を開いた。


「ミサオさん、これはこちらの世界を守るためでもあると思っていただきたいですわ」

「……どういうこと」

「あちらに連れていっていただいて、私はとても素晴らしい世界だと思いましたわ。魔法でもできないようなことを知恵と技術で実現し、豊かな暮らしを勝ち得ていることに感服しましたの。そして……同時に恐ろしくも感じましたわ。もしあちらの世界の人々がこちらの世界のことを知り、こちらの世界に渡る術を生み出してしまったらどうなるのかと想像して」


 セラのその思いは初めて聞いたが、なるほど……ただでさえ科学技術は進んでいて、しかもこっちにくると現地人より強くなれる可能性が高い。

 そんな連中が大挙して押し寄せてきたら、この世界はメチャクチャになりそうだ。


 もちろん簡単に世界の壁は越えられないとは思うが、あちらからこちらにくるのは逆と比較すれば容易なようだし、本気で研究されたら越えてしまうかもしれない。


「そうなったときに良い面もあるとは思いますけれど、やはりそれ以上に恐ろしいですわ。すでにどなたかのせいで、この世界に大きな影響が出てしまっているくらいですもの」

「うんうん、剣聖とか迷惑なヤツだったもんな」


 なぜセラはジト目?

 なぜルチアは苦笑い?


「……とにかくそのような事態を避けるためにも、無責任にこちらのことをあちらに広めるべきではありませんわ」


 美紗緒はついにうなだれ、大きなため息をついた。


「ハァー……みんなにここでなにを話したって言えばいいの」

「知らん。話したままを伝えたって別にいいんだけどな。それであいつらが自分たちを帰せとか無理に要求してくるなら、こっちは抗うだけだ」

「始めに言ってた誰かが死ぬかもって、そういうこと……」


 そして美紗緒は切なげに、力なくほほ笑んだ。


「本当に初めから手を取り合えていたら……そうすればみんなのことを帰すのにも、前向きになってもらえたのかな」

「無意味な仮定だな」

「そうだったね、ごめん。いまさら後悔しても意味がない。遅すぎるね」


 そう言って美紗緒は頭を下げるが、俺は当時のことを責めたくて言っているわけではない。


「さっきも勘違いしてたが、そういうことじゃないぞ」

「え?」

「俺だってあのころはいっぱいいっぱいだったからな。協力なんて持ちかけられても間違いなく蹴ってた。当時お前が俺に対してどう動いてようが、大まかな今日までの流れはたぶん変わってない」


 他人に構ってる余裕なんてなかったし、たとえ手を差し伸べられていても信用しなかっただろう。


「だからそんな仮定には意味がないし、俺に働きかけなかったことをお前が後悔する意味もない」


 俺をイジメたことは大いに後悔すべきだがな!

 キョトンとして目をしばたたかせていた美紗緒だったが、なぜかうれしそうに笑った。


「なんだか……よくわからなくなってきた」

「なにがだ?」


 尋ねると美紗緒はなにかためらっていたが、やがて口を開いた。


「健吾くんは……」

「あん?」

「健吾くんは、イジメても橘くんがヘラヘラしているのに怒ったり気持ち悪がったりしてさらにエスカレートしてた部分もあった。でもたぶん本当は……あなたのことが怖かったんだと思う。イジメるのをやめようとしていたこともあったし。私もちょっと怖く思ってたけど、よくわからなくなってきた」


 なんだそりゃ? もう名前忘れかかっていたが、健吾って剣聖のことだよな……怖かったのはぶっちぎりで俺のほうだったはずだが。

 首をかしげていると、後ろのニケが笑った。


「私たちにもまだ、どういう人かわかりませんからね」

「ふふ、そっか。でも気をつけたほうがいい。この人の強さは敵を作る」

「そのための我々だ」

「ならいい」


 こんな愛らしいショタボーイを捕まえて怖いだの敵を作るだの好き放題言って、美紗緒が立ち上がる。


「先に戻る。ここまで来てくれたこととか、いろいろありがとう」

「途中で何度か来るのあきらめようかと思ったけど……ま、いちおうお前も妹だしな」

「……姉でしょ?」

「俺八月生まれ」


 晴彦さんから、美紗緒は十月生まれだと聞いている。

 っていうか美紗緒が、驚愕を顔全体で表してるんだけど。お前そんな表情もできるんか。


「……今日イチでショックかも」

「大げさなヤツだな。ま、見た目がこんなだから気持ちはわかるけどな。でも中身は俺のほうが兄にふさわしいだろ。な、みんな?」


 …………なんでだろう。

 なんで返ってきたのが、レコードプレーヤーからの優雅なメロディーだけなんだろう。


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