幕間1-12 閑話 ドキッ!女だらけの潜水大会 2



「私も聖国でのことをあまり教えてもらっていないな……剣聖は主殿に、どの程度のことをしてくれていたのだ?」


 お兄ちゃんが召喚された国での生活を、ルクレツィアさんとセレーラさんもよく知らないようだ。

 二人とも険しくなった表情で、ニケさんに顔を向けた。


「そうですね……マスターからの了解を得ずにというのは気が咎めますが、私もキョウコには伝えなければならないと思っていました」


 もしかしたらニケさんも、お兄ちゃんがいると言えないような話をするために、一緒にお風呂にきたのかもしれない。


「とはいえマスターがあの国に来てからの最初期は知りませんし、そのあともさほど意識を割いていたわけではありません。それでも私の知る限りで端的に言ってしまえば──よくあの状況で生き延びることができたな、と」


 私もお母さんも、言葉を失う。

 淡々とした口調のニケさんが、ウソや誇張を言っているとは思えなかった。


「……それほど剣聖というのは、シンイチさんに酷いことをなさっていたの?」


 セレーラさんの目がすわっていて怖い。私も同じような目をしているのかもしれないけど。

 新しい姉になるかもしれない美紗緒さんのことも、受け入れられる気がしない。


 ……でも、今はなによりお母さんが怖すぎる。

 普段は柔和にゅうわなお母さんの、こんな般若みたいな顔見たことない。

 今までお母さんが笑顔で怒るのが逆に怖いと思ってたけど、本当に怒ってる顔は比べ物にならないほど怖かった。


 しかしニケさんは、怒りを露わにする私たちを見て首を振った。


「そうではないのです。剣聖自身が主導していた行為など、子供のイジメの延長線上にすぎませんでした。直接的な暴力も中にはありましたが、二、三度加減を違えてマスターの骨が折れたときは顔を青くしていました。所詮はその程度の、なんの覚悟も持たぬ者です」


 骨折も十分やりすぎだと思うけど……でもそいつは遊び半分だったのかな。

 その辺によくいる、自分がやっていることがどれほど相手を傷つけているかもわからないバカということだろう。


「問題は、そのような行いが周囲の者たちの姿勢を決定づけたことにあります。当初から剣聖は、特に武官側から多くの期待を寄せられていました。当然それらの者たちは剣聖に同調して、冷遇されていたマスターをさらに邪険に扱いました。それだけでも危うかったと思いますが……」

「そんな中で、主殿が頭角を現してくるわけか……良く思うはずがないな。しかも主殿の能力的に文官側なのは間違いないし、なおのことだろう」


 事務の人と現場の人がうまくいかないことが多いのは、異世界でも同じみたいだ。


「ええ。マスターを可愛がりだしたのも、文官の上位に位置する者だったと記憶しています。もちろん文官同士にも対立はありますし、マスターは派閥争いの渦中に巻き込まれていきました。その中心だったと言っても過言ではないかもしれません。ですから私は、いずれこの者は謀殺されるか、どこかの一派の暴走で殺されるだろう、そう思っていたのです」


 お兄ちゃんはどうやら、権謀術数のまっただ中にいたようだ……。

 腹黒のお兄ちゃんには案外似合っているのかもしれないけど、危ない立場だったのはたしかだろう。


「ですがマスターはしぶとく生き残りました。先ほどあの人は、あちこちに取り入るためいろいろしていたと冗談半分で言っていましたが、それは決して容易なことではなかったはずです。日々薄氷を踏むような思いで過ごしていたのかもしれません」

「そうだと思いますわ……けれどそれでいてのし上がって、この世界に帰るために調べ物をしていたのでしょう? しかも最後には手痛いしっぺ返しを食らわせて。純粋に驚異ですわね」

「あー……お兄ちゃん、なにかやり返したんですか?」

「そのようですわよ。あの国がこのところ焦りを見せているというのは聞いていましたけれど、その大きな原因をシンイチさんが生んだというのには驚きましたわ」


 そんなにやらかしたんだ……やられっぱなしで終わらないとか、お兄ちゃんらしいけど。

 あとで詳しく教えてもらおうと思っていると、ニケさんが表情を曇らせてうつむいている。心配してお母さんが声をかけた。


「ニケさん、どうかしたの?」

「……本当はわかっているのです。私にミサオを責める資格などないと。私は助けるどころか、マスターのことをずっとあざけっていたのですから。自分をこんな目に合わせている者たちにヘコヘコする、牙を持たぬ情けない者だと。実のところはまるで見当違いだったわけですが」


 当時はニケさんはまだ剣だったはずだし、仕方ないと思うけど……。

 それでもやろうと思えば、なにかできたりしたのだろうか。


「でも最後はニケさんが助けてくれたんですよね? 逃げ出すときに助けてもらえなければやばかったって、さっきお兄ちゃんが」

「それはそうですが……いえ、私の罪はそれだけではないのです」


 伏せていた目を私に、そしてお母さんに向けた。


「私は貴女方に詫びなければなりません。マスターが人間をやめ、あのような姿になったのは、私のせいなのです」





 話を聞いたところ、お兄ちゃんは寿命の長いニケさんたちを残して死なないために、人間をやめたんじゃないかということだ。

 自分がそうさせてしまったのだと、ニケさんは悔やんでいた。


 お風呂に入る前にお兄ちゃんは、人間をやめて強くなって寿命も延びたってあっけらかんと言っていた。

 いろいろ聞いて興奮していた私は深く考えずに、ちょっとうらやましいと思ってしまった。

 でもそれは、そんなに単純な話ではないよね……。


「この世界に来て、私たちの世界とはなにもかもが違うと思い知りました。あちらでのマスターの苦労がしのばれるとともに、痛感しました。この世界には、本当に人の種族は人間しかいないのだと。私たち、そして……マスターは、この世界では生きられないのだと」


 そんな……そんなのって……。

 せっかく帰ってきたのに…………。

 お兄ちゃんもそう思ってるのかな……だから重婚の話をしたとき、あんなサバサバしてたのかな……。


「私は貴女方から、息子を、兄を奪ってしまいました。恨まれても当然です」


 姿勢を正したニケさんは、正座をして湯船の底に手をついた。


「ですがどうか……どうかこれからも、私があの人のそばにいることを許ビベビババベバビベボブバ」


 …………ここで土下座したら、そりゃ沈むよね!? 肝心なところが聞き取れないよ!

 パッと見クール系にしか見えないけど、この人やっぱり変だよ!


「ニケ殿……」


 良かった、ルクレツィアさんがニケさんを止めてくれるようだ。

 しっかりしていてマジメそうだし、頼りになるウン勘違いだった。


 ルクレツィアさんまで、私たちを向いて姿勢を正したのだ。


「私もニケ殿と同罪です……いや、私のほうが罪が重い。ニケ殿は人間をやめようとする主殿を止めようとしたのに、そのことを軽く考えていた私は賛同してしまったのですから。お二人にはどう償えばいいかもわかりません。本当に、ボブビバべバビバベンベビバ」


 ……もしかして二人してフザケてるのかなと一瞬思ったけど、そうじゃないんだろう。

 二人とも必死なんだ。

 自分が周りからどう見えるかなんて忘れちゃうくらい、本気でお兄ちゃんが好きなんだ。

 この人たちをまだ疑ってた私が、なんだかバカみたいだ。


「あの、いいからとにかく顔を上げてちょうだい、ね?」

「溺れちゃいますよ!?」


 潜り続ける二人に困ったお母さんと私が訴えても、全然浮上する気配がない。肺活量すごくない!?


「まったく……しょうのない人たちですわね」


 良かった、セレーラさんが二人を止めてくれるようだ。

 大人だし、落ち着いていて頼りになるイヤやり方!


 真ん中にいるセレーラさんは、水中の二人の頭に手を置いたと思いきや、こともあろうかワシッと髪の毛を掴んで引っ張り上げたのだ! 荒すぎるよ! この人絶対、本性は落ち着いた大人の女の人なんかじゃないよ!


「ぶふぁっ、いたたた、いたいたいっ」

「……なにをするのですか、セレーラ」

「なにをするじゃありませんわ。見なさい、お二人を困らせて……どころか、むしろ怯えさせてしまっていますわ」


 それはアナタにです。冒険者のギルドの副マスターはダテじゃなかった。


 そうだよね……お兄ちゃんを好きになるんだもんね。まともな人たちじゃないに決まってるよね。


「む、そうか。しかしだからといって、髪を掴まなくてもいいではないか」

「どうせあなたたちは、これくらいしないと動きませんもの」

「私の体は髪一本にいたるまで、全てマスターのためにあるのですが。抜けてしまったらどうするつもりですか」

「髪の十本百本、どうということはありませんわ」


 一番髪の毛とか気を使ってそうなのに、言うことが男前すぎる……。


「セレーラ殿、髪は女の命と言うだろう。女を捨てるにはまだ早い……か?」

「言い切りなさい!? あなたシンイチさんに毒されすぎじゃありません!」


 言い合っている三人を見て、お母さんがこらえきれずに吹き出した。

 こんなに楽しそうに笑うお母さんを見るのは、もしかしたらお父さんが死んでしまう前以来かもしれない。


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