幕間1-13 閑話 ドキッ!女だらけの潜水大会 3



「あの子は幸せね、こんな素敵な人たちに出会えて。私もとてもうれしいわ」

「ですが……」


 なにか言おうとしたニケさんに、お母さんは首を振った。


「本当よ? もちろんあの子がこの世界では生きづらくなってしまったのは寂しいことだけど、あの子がそんな選択をすることができたというのがうれしいの。それほどまでに大切な人に出会えたんだもの」


 たしかにお兄ちゃんの性格とかを考えれば、驚くべき進歩なのだろう。

 私はお母さんみたいに素直に喜ぶ気にはなれないけど……やっと帰ってきたお兄ちゃんが、こっちで暮らせないなんて。


陽介ようすけさん……この子たちの父親のことは聞いているかしら」

「なにかの事故で亡くなったということだけは」


 一番つき合いの長いニケさんにも、それだけしか言っていないようだ。

 事故、かぁ……。


「そう……陽介さんはね、水害で亡くなったの。それもただ水害に巻きこまれたというわけではなくて、巻きこまれていた子供を助けてね」


 それは私が中学二年のときの七月六日……七夕の前日のことだった。

 三日続いた大雨のせいで増水した川が、堤防を崩してしまった。そして川の様子を見に来てしまっていた子供が、濁流に飲まれ流されかけた。


 市の職員を勤めていたお父さんが、見回り中にそれを発見。

 子供を救うことはできたが、お父さんは流されて帰ってくることはなかった。


 どこにでもあるような子供の過ち。

 それを命がけで救った、どこにでもあるような美談。


「立派な方だったのだな……」

「そうね。正義感が強くて、良い人だったわ。でも──」


 みんながお父さんのことをたたえてくれた。

 だけど、残された私たちの気持ちはどこにも行けなくて。


「──悪い人でもいいから、生きていて欲しかったと思ったわ。特に当時はね」


 正直に言ってしまえば、見ず知らずの子供なんか見捨ててしまえばよかったのにと、あのころはずっと思っていた。

 だけど今は、最期までお父さんらしく生きたんだなって思う。


 もし私が同じ状況でも、きっとお父さんと同じことをしてしまう気がする。

 私にその勇気があれば。


「私はダメな母親だったの。陽介さんが逝ってしまってから、ずっと泣いてばかりで」


 お母さんが弱々しい笑みを浮かべる。それは後悔に彩られていて、見るのがつらい。


「そんなの私も同じだよ。でもお兄ちゃんだけはそうじゃなくって、すぐに立ち直って笑ってて……私たちを笑わせようとしてて。平気なはずなんてなかったのに」

「そうね……あの子に励まされてなんとか立ち直ったころには、あの子はもう疲れてしまっていて……私はそんなことにも気づけなかった」


 なんで笑えるのって、お兄ちゃんに当たってしまったこともあった。

 それでもお兄ちゃんは笑顔を崩さなかった。苦しい思いを全部押し殺して。

 いっつもそう。肝心なところは隠して、ウソついて……バカお兄。


「きっとわからなくなってしまってもいたと思うわ。父親が他人を助けて、私たちを泣かせていることをどう思えばいいのか。あの子は、私たち家族みんなが大好きだったから……」


 お兄ちゃんは、ただ事故だとニケさんたちに伝えていた。

 まだお兄ちゃんは、お父さんの最期の行いを認めることができていないのだろうか。


「……ほんと、うざいくらい好きだったもんね。それでそのあとお兄ちゃんは学校も休みがちになって、家に閉じこもるようになっちゃったんです」


 中学は休みが多くても卒業できたし、なんか腹立つけどお兄ちゃんは勉強もできたから高校にも入れた。


 だけど高校が始まってからも、しばらくは全然行かなかった。

 そのせいで、なんとか通うようになってからもクラスに馴染めなかったのだ……性格のせいもあるけど。


 そして結局、看護師をしているお母さんの仕事の都合で引っ越すことになったのを機に転校した。

 というかお兄ちゃんを含め、みんなの気持ちを切り替えるために、お母さんは以前から誘われていた知り合いの個人病院に勤めることにしたのだ。


「なるほど……主殿の排他的な気性は、その出来事で形成されたのか」


 昔の話を聞いて、ルクレツィアさんが染み染みとうなずいている……けど。


「えっと…………多少は?」

「……多少なのか」


 お兄ちゃん自身、お父さんのこととか引きこもりで排他的になったと思い込んでるかもしれない。

 けど性格は昔から、確実に排他的だった。


「ま、まあ昔から我が道を行く子だったけれど、でも陽介さんのことがあの子に影を落としていたのは間違いなかったと思うわ。だから私は心配していたの。あの子が私たち家族以外に、心許せる人を見つけることができるのかって」


 そう言って、お母さんが三人を見渡してほほ笑む。


「でも今、皆さんがいる。そのことを本当にうれしく思うの。それにね、皆さんも親になればわかるわ。我が子が生きていてくれる。それだけで、親としてどれだけ幸せなことか」

「そういうものですか……」

「そういうものよ。それが当たり前になってしまうと忘れてしまって、もっともっとって望んでしまうけど、ね。だからニケさんもルクレツィアさんも、自分を責めないでいいの」

「そうそう。お兄ちゃんだって、後悔なんてしてるわけないんだから」


 一緒に暮らせないかもしれないことに複雑な思いはある。

 だけどそれは、二人を責めるようなことじゃない。


 私たちの言葉で、背負っていた重荷を下ろしたように、ニケさんとルクレツィアさんの体から強張りが抜けた気がする。


「……寛大な心に感謝します。二人とも」

「主殿に尽くすことで、必ず報いてみせます」

「そんなに堅苦しく考えなくてもいいけど、これからもあの子のことを支えてあげてね」


 しっかりうなずいた二人を見て満足そうに笑ったお母さんは、今度はセレーラさんに顔を向けた。


「セレーラさん、あの子にはあなたのような人が必要だと思うの。あの子が道を間違えそうなときは、どうか正してあげてください。もし間違えてしまったときは、目一杯叱ってあげてください」


 厳しそうなセレーラさんが必要というのは、なんとなくわかる気がする。お兄ちゃんにはブレーキがないから。

 ニケさんとルクレツィアさんはお兄ちゃんが調子に乗りすぎても、なんだかんだで許しそうだし。


「心得ましたわ。お任せ下さいませ」


 そして姿勢を正したお母さんは、湯船の底に手をついた。

 …………待って。

 三人も呼応して姿勢を正さないで。


「ニケさん、ルクレツィアさん、セレーラさん。真一とまた会わせてくれて、本当にありがとうございました。これからも息子のことを、どうかボボビブボベバビビバブ」

「こちらこそボボビブボベバビビバブ」


 …………そして私だけが残った。

 これみんな本気なの? さすがにふざけちゃってるとしか思えないんだけど?


 ハア……もういいや。私も潜ろ。

 どれもこれも、全部お兄ちゃんが悪いのだ。

 だから異世界でもなんでも、またどこにでも行っちゃえばいいんだ。


ボビビバンボババーお兄ちゃんのバカー!」


 …………グスン。


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