7-17 強要罪は懲役三年以下の刑罰だった



 ──日本に帰りたかった。

 そう話した美紗緒だけでなく、他の地球人も交えて軽く話を聞いてみたところ、どうやら美紗緒は聖国で日本に帰るための方法を探していたようだ。


 しかし俺もそうだったが、召喚当初は機密に関わる書庫などの場所には、足を踏み入れることすら許されなかった。

 そこでとても悩んだが仕方なく、言い寄られていた剣聖のパーティーに加入したそうだ。聖国の中枢に入りこむために。


 そして同じく帰還を目指していたカヨたちと協力して情報を集めた。

 美紗緒は主に聖庁舎で、カヨたちは外で。


 だが結局帰還の方法が見つかることはなく、あきらめた美紗緒たちは聖国を出て、獣人を助けることにした。

 彼らを苦しめてきた聖国に従っていた、罪滅ぼしとして。


「わかってあげて、橘くん。美紗緒は健吾くんに逆らうわけにはいかなかったの。橘くんに危害を加えたのは、美紗緒の本意じゃなかったんだよ」

「カヨちゃん。こっちの事情なんて、やられた橘くんからすれば関係のないことだよ」


 話の途中でもカヨたちは一生懸命かばっていたが、美紗緒からは言い訳をする意志は見受けられなかった。


「それと橘くん……あまり聞きたくはないかもしれないけど、一応教えておく。聖国にごく一部の人しか入れない禁書庫というのがあったのは知ってる? 監視つきだったけど、私はそこでも少し調べることができた。でも日本に帰る方法は……」


 俺が残念がるのを見たくないとばかりに美紗緒が目を伏せる。

 ただあいにくだが、そんなのとうの昔に知っている。


「あそこには召喚された勇者の記録も、大したものなかったですもんね。召喚陣で逆に人を送る実験した資料とかも全然でしたし」

「……なにその実験、知らない」

「そうなんですか。手応えなさすぎて、すぐ打ち切られたみたいです」


 そういった資料も見つけられなかったようで、美紗緒は目を丸くしている。それらはわずかしかなかったので仕方ないが。


「ちょっ、橘はなんでそんなの知ってんだ!?」

「そりゃあ帰るために調べたからに決まってるじゃないですか」

「どうやって……私は三年以上かかったのに」

「金の力です。ダテにあなたたちに守銭奴と呼ばれていたわけではないんですよ」


 美紗緒は正面からいったようだが、俺は買収という裏道を通ったからな。

 みんな唖然としていたが、しばらくしてカヨが口を開いた。


「橘くんって、聖国の言いなりで良しとしてる人なんだとずっと思ってたんだけど……もしかして違ったの!?」

「違います。だから逃げたんじゃないですか」

「それって神剣に目がくらんだからじゃないの?」

「そんなもののためにリスク背負うわけないじゃないですか。神剣になんかこれっぽっちも興味……なかったのは過去の話であって、今は目に入れても痛くないっていうか、どこに何度入れても飽き足りないっていうか」


 セーフセーフっ! フォローが間に合いビリビリは免れた。というかうれしそうにニケはクネクネしている。


「何度入れても飽き足りない……? なんなのそれ」


 首をかしげるカヨを放置していると、美紗緒が力なく笑った。


「そう、だったんだ……なにしてたんだろ、私。早く勇気を出してさえいれば、きっと、もっと……」


 心の内では、初めから俺の処遇などについて思うことがあったのかもな。

 そしてもし早くから協力できていれば……とでも思っているのかもしれないが、俺は美紗緒に首を振った。


「そんな仮定に意味はありませんよ」

「……そうだね。いまさらどれだけ後悔しても、私がやったことはなにも変わらない」


 俺の目を見てうなずき、また美紗緒は頭を下げた。


「私はどうなってもいい。だけど、どうかお願いします。みんなには手を出さないでください」


 いったいどう思われているのか知らないが、どういう結論になろうが無関係なやつらまで巻きこむ気などない。邪魔さえしなければ。


 それにしても、どうしよっかな。

 美紗緒は今のところ、家族として迎え入れる審査としては非の打ち所がない対応を見せてしまっている。

 ろくでもない女だったら、話は早かったのだが。


 悩む俺の横から、一歩前に進み出る者がいた。美紗緒反対派のニケだ。

 そしてその言葉が、周囲を凍りつかせた。


「まだ真剣味を感じませんね。たしか貴女の生まれ故郷には、もっと謝罪に適した姿勢があったのではありませんか?」


 謝罪に適した姿勢……そんなものはあれしかない。

 土下座しろと。そういうことだ。


 ニケもなかなか酷なことを言う。土下座というのは、口で言うほど簡単なことではない。

 プライドを投げうって手足を地につけて汚し、無防備に頭を垂れて視界を地面で埋め尽くし、相手に全てを委ねる……その情けなさ、屈辱感たるや。

 やったことがない者には、己の非を体全体で表現するあのみじめさはわからないだろう。


 日本人でも謝罪のために土下座するなど、死ぬまで一度もやらない人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。俺だって月に一度くらいしかしていない。


「そっ、そんなのっ! 一番悪いのは健吾くんでっ」


 カヨが非難の声を上げようとするのも無理はない。日本では土下座の強要で罪になったりもするし、それほど重たい行為なのだ。


 しかし、美紗緒の動きはそれよりも早かった。

 躊躇ちゅうちょすることなく湿った地面に膝をつき、手をつく。

 ニケの求めに応じたのだ。


「本当にすみませんでした」


 果断して頭を下げる美紗緒に誰もが驚かされる中、ニケだけはいまだ厳しい目を向けている。

 だが……その目を見て理解した。ニケは意地悪でやっているわけではない。

 美紗緒を試しているのだ。美紗緒が心から謝っているのかを。


 そうか、ニケ……お前は許そうと、受け入れようとしているんだな……母さんと千冬のため、ひいては俺のために。

 だったら、俺もお前に続かなきゃウソってもんだよな。


「美紗緒さん」


 ルチアから降りた俺は優しく美紗緒の名を呼び、土下座するその後頭部に優しく乗せた──右足を。


「なんですかそれ? そんなヌルい土下座で許してもらえると思ってるんですか? 土下座っていったらこうですよ、こう!」


 優しく丁寧にグリグリと踏みにじり、額を地面に擦りつけさせる。ニケが剣聖にやったように痛みや苦しみを与えるのではなく、怒りと屈辱を覚えさせるように。


 美紗緒、こらえてみせろ。これはお前を許すためなのだ。

 あと、やられたぶんのウサを晴らすためなのだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい、本当に」


 これ以上ないほどの屈辱の極み──しかし、美紗緒はなされるがままにして謝罪の言葉を重ねている。

 こいつ、なかなか……いや、まだだ。こんなんじゃまだ許しを与えるには早すぎる。そうだよねニケちゃん。よし、だったらこれならどうだ!


 それから細かく何度も頭をバウンドさせてみたり、わざと靴を泥で汚して踏んでみたり、すぐそばにツバを何度も吐きかけたり。

 それでも、美紗緒が抵抗することはなかった。

 おかげで遺体の周りに警察が引く線みたいに、土下座する美紗緒の型取りがツバでできたよ。


 やるじゃないか……お前の心意気、たしかに見届けた。

 どうだろう、ニケちゃん。お前の意志を汲んでやってみたが、これなら許してもいいかな?


 そう思ってニケに目を向けると、


「マスター……なにもそこまでやらなくても」


 普通に引いてた。

 なんという裏切り。


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