2-16 閑話 女子会




「話しすぎました。とにもかくにも、私が嫉妬してしまうほどマスターに求められている貴女だからこそ、やはりこのまま去らせるわけにはいきません」


 磨き上げられた剣身が、月明かりに儚く光る。


「終わりにします。そしてこれを、貴女への仕置きとしましょう──」


 ──夢幻ゆめまぼろし


 そこに残ったのは、闇に溶けて消えた呟きだけ。


 微動だにすることもできないまま、私の獣の左腕が地に落ちた──私の体から離れて。


「ああぁぁぁあぁ!」


 いつかも味わった痛みと、途方もない喪失感。

 叫びを抑えることができない私に、後ろから液体がかけられた。それがポーションだと気づいたのは、斬られた傷の大部分が塞がってからだ。

 そのときには、転がっていた私の腕は消え失せていた。


「マスターが起きても、落ち着くまではくれぐれも心労をかけないようになさい。そして落ち着いたら全て話しなさい。なにもかも。それまでは、貴女がマスターに治してもらった腕は没収します」


 名称だけはかろうじて聞いたことのある剣術の最高位アーツ、夢幻。

 果たしてどういうものだったのか……なぜか後ろにいるニケ殿の宣告に、私は膝をついた。


「……私の胸の内など話して、軽蔑されないだろうか。私は──」


 あれこれ理屈をこね回したところで、結局は一言で言ってしまえばこれだけなのだろう。


 ──シンイチに嫌われたくない。


 自然とこぼれ出た本音に、やれやれと呆れた雰囲気の言葉が背後から返ってくる。


「貴女も存外面倒な人ですね……安心なさい。貴女はマスターを美化して見ているようですが、あの人は思っているほど、純朴でもなんでもありませんよ」


 そして、ふとなにかに気づいたようでフフッと笑った。


「ああ、でもそう見てしまうものなのかもしれませんね。良かったではありませんか、貴女にもわかったようで」


 その真意は掴めなかったが……こうして、私は見事に連れ戻されることとなった。








「──ということだ」


 シンイチの顔を見ることもできないままに話を終えた私は、深々と頭を下げた。


「勝手に去ろうとしたことを許してくれとは言わない……違うな。どうかこのとおりだ、許してほしい。そしてできれば、復讐心を捨てられない私を軽蔑しないでほしい」


 私にはシンイチたちとの繋がり以外、他になにもない。

 復讐をあきらめることはできそうになく、かといってそんな醜い私を嫌われてしまえば、復讐を果たしたところで未来が思い浮かばない。


 私は……その恐怖から逃げようとしたのだ。


 だからシンイチに黙って行こうとした。

 そうすれば、少なくとも復讐を終えて戻ってくるまでは絶望しなくてもすむ。


 今までついぞ大切な者の存在を得なかった私は知らなかった──自分がこれほど弱い人間だったなんて。いや、もう人間ではなかったか。


 けれど、ニケ殿に負けて吹っ切れた。

 残された道は、こんな私をシンイチに認めてもらうしかないのだから。

 そのためであれば石にでもかじりつくし、泥水でもすする。何度でも。


 シンイチの声はかからない。

 当然だろう。彼に買われ、彼に救われた私が独断で離脱しようとしていたのだから。こんなことを騎士であったころにしていたら、打ち首は免れない。

 それでも、私には頭を下げ続けるしかできない。


「ルクレツィア、顔を上げなさい」


 戦々恐々としている私に、シンイチと並んで座るニケ殿から声がかかった。


「いや、主殿が許してくれるまで私は──」

「マスターは寝ています」

「ひどいっ!」


 ガバッと頭を上げると、シンイチは目をつむり腕組みをして船を漕いでいた。


「この体ですからね。先ほどまで散々騒いでいましたし」

「私の覚悟は……」

「いちおう途中まで頑張っていたのですよ? 自分の腕をつねったり、紅茶を鼻から飲んだり。貴女のことを心配していたのは間違いありません」

「それはわかっているさ」


 あれほど何度も何度も腕について問われたのだから。だからこそ寝たのが衝撃的なのだが。


「私はてっきり、貴女のさらなる獣化を知って『一粒で三度美味しかったのか』などと言って、話の途中で貴女に襲いかかると思っていましたが」

「……まさかそれを防ぐために落ち着かせたのか」

「ええ。この体に成り立てであまり激しく動かれるのは心配ですから」

「いや、さすがにそれは……」


 ……ないと言い切ってはいけないような気がしてきた。獣人時のシンイチの反応を思い返すと。


「……可愛らしい寝顔だな。まさか子供になってしまうなんて」


 こんな小さなシンイチを見ていると、余計に罪悪感が湧く。

 だがそんなものは踏み潰し、ただただ邁進まいしんするしかない。


 そう決意を新たにしていると、ニケ殿が笑みを見せた。


「らしい顔になりましたね。やはり転んでも立ち上がることができるというのは貴女の美点ですね」


 褒められているようだが……私はただ開き直っているだけだし、どうせなら転ばない方がいい。

 私の顔をまじまじと見ていたニケ殿が、ひとつ頷く。


「そうですね……ルクレツィア、貴女に伝えなければならないことがあります」

「なんだろうか」

「マスターが錬成人になった本当の理由です」


 私に向けて改まり、姿勢を正したニケ殿は、悲痛な面持ちで目を伏せた。


「マスターが子供となって確信しました。それは私たちのためです。いえ、自惚うぬぼれて言ってしまえば……私のせいなのです」

「どういうことだ?」

「錬成人について教えたときに言いましたが、錬成人はまず間違いなく長命種です」

「言っていたな」


 錬成人になれると聞いたとき、復讐するための力の渇望と、シンイチの役に立ちたい思いの狭間で揺れはした。

 しかし、いずれにせよ力を求めていた私はあのような体だったこともあり、寿命など問題視することなく錬成人になることを望んだのだ。


 一度ためらいを見せたのち、ニケ殿が口を開く。


 ──それは、深い後悔に彩られていた。


「私は人と成ったあと、マスターに言ってしまったことがあります……『大切な者に残されるのはつらいことだ』、と」


 嗚呼ああ…………そうだったのか。


「道理で……こんな姿になったのに、さほどショックを受けていなかったのはそういうことか。この姿は、ある意味主殿の願いが叶った結果か」


 ニケ殿を残して逝かないように──シンイチはきっとそう願ったのだ。


「マスターは異世界から来た人です。あちらには亜人も獣人も魔族もおらず、人間しかいないそうです。長命種などいるはずもありません。そんな人に私は、人間であることをやめさせてしまいました。それは一体どれほどの覚悟だったかと思うと……」


 まぶたを閉じてしまえば、どうにか耐えていたその瞳が一線を越える。


 シンイチが錬成人になることにあれほど反対していたのは、それが理由だったのか。


「うらやましいな……」


 強く思い合う二人の姿に、素直な感想が漏れた。


「そうでしょうね。貴女はマスターを裏切ってしまうような人ですから」


 すでに涙も拭ってけろりとしているニケ殿から、冷ややかな視線を浴びた。


「うっ。こっ、これからだ。これからの私を見ていてほしい」

「冗談です。貴女があやまとうとした理由はわかりましたから。己を醜いと思ってしまう気持ちもよくわかります」


 ニケ殿の冗談はわかりづらい……真顔だから。

 だが私が思いつめないように茶化してくれる気持ちは、ありがたく思う。


 今回私が愚かだったせいでニケ殿とぶつかり合ってしまったが……彼女とは少し打ち解けられた気がしている。


「もちろんマスターは、貴女のことも考えていますよ」


 愛おしそうにシンイチの頬を撫で、ニケ殿が立ち上がる。


「さて、ぐっすり眠っていますし、寝台にマスターを運んでしまいましょう……少しくらい悪戯いたずらしても起きそうにないほどぐっすりだと思いませんか」

「まさかまたする気なのか!?」


 ニケ殿は私を面倒などと言ったが、シンイチを抱えて鼻息を荒くしている彼女も、だいぶ難儀な人だと思う。


 ああ、なるほど──


「なにを自分は興味ないかのように。最初も貴女は乗り気だったではないですか」

「そそそんなことは。私はそれどころではなかったしそれはその」


 ──恋する乙女というのはこういうものか。



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