6-05 あまり困らせられなかった



 侯爵邸での善行により上がった気分も、長くは続かなかった。

 それは帰り道のこと──


「──お前らのせいで商売上がったりだ! 結婚したばっかなのに……どうしてくれるんだよ!」

「知るか! 俺らのせいじゃねえって言ってんだろーが! まだ言いがかりつけてくんならミンチにすんぞ! ニケが!」

「しませんよ……ですがこれ以上しつこくするようであれば痛い目は見ますよ。もう去りなさい」


 ニケの眼光に気圧けおされた男は、「くそっ、狂子くるいごが」と悪態をついて立ち去った。


「ていうかほらぁ! 俺の二つ名、悪口になってんじゃん! 誰だよこんなのつけたの……それにしても今回のはしつこかったな。まったく、どいつもこいつも。誰かのせいにしたい気持ちはわかるが」


 このところの街の雰囲気はさすがによくない。俺たちへの風当たりも強い。

 俺たちを見て眉をひそめたり後ろ指を指したりする人も多いし、少数だが今みたいに直接文句を言ってくるヤツもいる。

 中には理解を示してくれたり、気にするなと声をかけてくれる人もいるのだが。


「気持ちがわかるのであれば売り言葉に買い言葉で返すのではなく、もう少し大人の対応をしたらどうですか」

「知らんもーん。僕子供だもーん」


 水晶ダンジョンが消えたタイミングを考えれば、たしかに俺たちの攻略はリリスが消すことを決断した契機にはなったのかもしれない。

 しかしそれを、俺たちのせいだと悪者のように言われても困る。


 そしてたとえ誰になにを言われようと、俺たちのせいだと認める気はない。

 俺だけは認めてはならない。


 水晶ダンジョンの攻略は、二人が俺のために成し遂げてくれたことなのだから。


 右後方を歩くニケは、呆れたように軽くため息をついた。

 ただ、それは俺だけに向けられたものではないようだ。


「もう……ルクレツィア、貴女もしゃきっとなさい。そんなことだからマスターがかたくなになっているのですよ」

「う、すまない。そこまで気にしているつもりはないのだが……」

「ルチアのせいじゃないから、謝んなくていいってば」


 コートの前を開けたルチアに抱っこされる俺の後頭部は、いつもより強めにムニムニに挟まれている。

 街の人々への負い目で、肩がすぼまっているのだろう。ルチアはマジメだしなあ。


 これはこれで幸せなのだが、ルチアの気持ちを思えばそうも言ってはいられない。

 励ましてやりたいが、なんと言ってやったらいいか……まずはちょっと聞いてみようか。


「でもルチア、もし水晶ダンジョンが消えることを最初から知ってたらどうしてた? 攻略するために進んだか?」

「っ……それは……」


 俺一人を取るのか、大勢の他人を取るのか。


 考えたことがなかったのか考えないようにしていたのか、ルチアは言葉を詰まらせて歩みも止めてしまった。


「なかなか酷なことを聞きますね。私は当然、迷わず進みましたが」


 ニケの真っ直ぐに慕ってくれる言葉は、いつでも俺を幸せにする。

 でも、


「酷? そうか?」


 俺は別に意地悪でルチアに聞いてるわけじゃない。

 俺のために進んだ、という答えが欲しくて聞いてるわけでもない。


 人と人の関わり合いにおいて、相手に大切に思われればこそ、こちらも大切に思うという面はあるだろう。でもそれが全てではない。


 俺が二人のことを好きなのは、二人の美点によるものだ。その上さらに、今まで関係を積み上げてきたのだ。

 ルチアの答えがどうであれ、俺のルチアへの想いも信頼も揺らぐことはない。


 俺は単に、ルチアが自分自身の正直な思いと向き合ってみたらどうかと考えただけだ。正直な思いを俺も知りたいと考えただけだ。


 ……本当はちょっと困らせたいなんて、これっぽっちも考えていないのだ。


 それをわかってくれたのか、ルチアの足はホテルに向けてまた動き出した。

 そして少し進んだところで、意外とあっさり答えを出してしまった。


「進んだ……だろうな。ニケ殿ほど言い切れはしないが」

「ほんとか? 俺のことは気にしなくていいんだぞ」

「いや、本当にそう思うのだ」


 そこでふふっと軽く笑った息が、俺の頭頂部に吹きかけられた。


「昔の私が聞いても信じないだろうな。できれば、いつでも多数の幸福のために行動したいものだと考えていたからな。もちろん軍の一員だったし、そうとばかりも言ってはいられなかったが」


 帝国は覇道路線だし、意に沿わない命令を受けたこともあっただろう。きっとそれらを忠誠心で飲み込んできたのだ。


「その考えが間違っていたとは思わない。だが、なににも執着することができず、頭の中だけで考えた正しさしか知らなかった私はきっと……どこか空虚だったのだろうな」


 帝国でのルチアを取り巻く環境は複雑で難しいものだったから、それも仕方のないことだと思う。

 それでも自分を律することができていたというのがすごいのだ。


 当時を思い返しているのか、少し間が空いた。

 そして、ふと気づいたように呟いた。


「そうか、あの人ももしかしたら……」

「どうした?」

「ああいや、知り合いになぜか少し共感を抱く人がいてな、その人もそうだったのだろうかと思っただけだ。それはともかく、今はなによりあなたのために行動したいと思える自分を誇りに……というのは少し違うか。そうだな……そんな自分が昔より好きになった、といった感じか」


 俺からは見えないが、ルチアのはにかんだ笑顔が容易に想像できる。


 そのルチアにかけられるニケの声も、さっきより優しい。


「ならば胸を張ってもいいのではありませんか。望んでこのようなことになったわけではないのですし」

「そうそう。二人が攻略してくれたおかげで、俺は曇り一つないほどハッピーだしな」

「お前は少しは気にしろ、ふふっ」

「えー。まあ……気にはしないが、ちょっとくらい侯爵に協力する気はあるさ」


 別に俺は、敵でもない無関係な人が困るのを眺めて楽しむような趣味は持ってない。

 好きな相手の困る顔は、たまに見たくなるけど。

 それにリースには顔なじみになった商店の人たちもいるし、できればその人たちに困ってほしくはない。食料品関係の店ばかりだが。


 なによりここは、セレーラさんのホームタウンなのだ。

 他の国とかはどうでもいいが、この街には少しくらいなにかしてやりたいと思ってはいるのだ。


「そうか、ならば私も胸を張って進まなければな」


 吹っ切れたようで、俺の後頭部の挟み込みが弱まってしまう。

 残念だが一度気持ちが切り替われば、ルチアはもう大丈夫だ。


 しかし、それは名残惜しむ間もなく起こった。

 プチン──後頭部の後ろから、かすかな音が。

 そしてさっきまでよりも強く挟み込まれた。


「……飛んだ?」

「うん……」


 恥ずかしそうに返事をしたルチアは成長中なのである。

 反抗期のワガママおっぱいは、シャツのボタン程度の拘束などものともしないのだ。


 そのルチアにかけられるニケの声は、今日一番で厳しい。


「くっ、またそんな卑怯なやり方でマスターの気を引いて」

「ニケ殿が胸を張れと……」

「いいでしょう、見てくださいマスター。私でもその程度のことは……帰ってからにしましょう」


 人前で胸をさらけ出すほど分別がないわけじゃなくてよかったです。

 結局ルチアは俺を強く抱きしめ、そそくさと早歩きでホテルに帰った。


 早めではあるが、今日はもう夕飯を食べてしまおう。

 そして昨日と比べてどれくらい二人が成長したか調べるために、じっくり身体測定をしよう。


 そう決めてラボに入ると──


「おかえり」


 ──ショートヘアの銀髪美人が、リビングでくつろいでいた。


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