8-01 こんな先生がいたら不登校になどならなかった



 剣聖率いる聖国一行を撃退した翌日、臨時キャンプをたたんだ獣人とともに、俺たちは樹海を西へと向かった。


 獣人とは距離を空けて最後尾を進む道すがら、俺を抱っこするルチアがつぶやく。


「やはり帝国の動きはせないな」


 グレイグブルク帝国による大樹海への侵攻が始まったのは、四ヶ月ほど前。

 俺たちが今いる外樹海とはググルニ山脈によって隔てられている内樹海が、二千ほどの兵数で切り拓かれていった。

 突然のことでありその目的は不明。


 それに対し、一応獣人も傍観ぼうかんしていたわけではない。

 当初は帝国側の内樹海に暮らす獣人の種族が妨害していたが、彼らだけでは帝国の侵攻を止めることは適わず。仕方なく外樹海に住む種族からも援軍を派遣して、帝国を押し止めていた。


 状況が変わったのは、二ヶ月前の帝国軍の大増員。

 それにより帝国は破竹の勢いで進軍し、内樹海をほぼ突破してしまった。

 そのままググルニ山脈を越えて外樹海にまで攻めこんでくる姿勢の帝国に対抗するため、獣人は各種族に招集をかけた。


 ティルたちヒツジ系の種族などが暮らす集落にも招集がかかったが、もともと戦いが不得意な者たちの集まりだ。なけなしの戦力がそちらに行ってしまうと、集落の守りが手薄になってしまう。

 さらには一度撃退した剣聖が、再び襲撃してくることも予想されていた。


 そこでやむなく全住民で、招集場所である外樹海にある集会所に避難することを選択。

 しかしその途中で剣聖たちに追跡されていることを、後方に張っていた警戒の得意な獣人部隊が発見した。ミーアキャット獣人てなんなのよ。


 逃げ切ることは難しいと判断した美紗緒たちは先に住民を逃がし、剣聖を待ち受けることにした。

 だが住民の護衛に人員を割かれていたことと、予想していたより聖国兵が多かったことで美紗緒たちは追い詰められ……そんな場面で俺たちが現れた──ということだったらしい。


 そして現在は先に逃がした住民を追う形で、俺たちは集会所に向かっているのである。

 その発端となった帝国の侵攻について、ルチアは内情を知るからこそ腑に落ちていないようだ。


「今になって帝国が北進する理由が、まるで思い当たらない」

「帝国って領土拡大路線だろ? 普通に領土編入の線は?」

「そうだとすれば一番不可解だ。こう言ってしまってはなんだが、急ぎ平定するほどの価値が大樹海にあると思えない。数の少ない獣人を無理に従わせる益も薄い。今の段階で、わざわざ内憂となるであろうこの場所を抱えこむ意味がないのだ」


 出身国ゆえか、やるせなさそうにルチアは続けた。


「帝国は東西も南も、それどころか最近新たに拡げた領土内すらも安定しているとは言えない。むしろ北の大樹海が、一番警戒する必要がないほどだったはずなのだが……」


 たしかに獣人って、自分たちの縄張りの外の世界には興味を持っていない印象を受ける。自分たちから他の国へ攻め入るようなことをするようには思えない。

 帝国は多くの敵を抱えているし、普通に考えれば放っておくのがベストか。

 もとの仕事柄、事情に詳しいセラもルチアの意見におおむね賛成のようだ。


「獣人に対してなんの勧告もしていないようですし、全面的な制圧が目的とは思えませんわ」


 領土編入が目的なら、降伏勧告くらいするか。戦いを避けられれば消耗も抑えられるし。


「やはりなにかしら局所的な目的があると考えるのが自然ですわね。わざわざ森を切り拓いて道を作っていることを踏まえれば、それもおのずと絞られますわ」

「ええ。ミスリル鉱床か、生命の泉ということになるでしょう」


 ニケが出した結論にセラもルチアも異議なしとうなずいたが、俺はよくわかっていない。


「ミスリル鉱床はいいとして、生命の泉ってなんだ?」

「ふふっ、マスターの職であれば誰しもが訪れたがるでしょうが、マスターには無用の場所ですよ」

「それって……まんま生命水が湧く泉ってことか」


 ポーションの錬金などに使う生命水は、通常であれば回復魔術師が作るが、天然で湧き出す場所も稀に存在しているのだ。


「はい。その湧水量は世界でも最大級ですし、ミスリル鉱床のほうも埋蔵量はかなりのものだと言われています。大樹海で帝国が狙いをつけるようなものが、その二つ以外に思い浮かびません」

「なるほどね。でも帝国なら回復魔術師は大勢いるだろうし、ミスリルだって採掘できる場所はあるだろ?」

「ああ、だからこそ今回の動きが理解できないのだ。もちろん生命の泉もミスリル鉱床も、手中に収めるに越したことはないのだが……」

「単純に本格的な戦争準備のためではありませんの? こちらに本腰を入れ始めたのは、二ヶ月前ということですし」


 セラが半目を俺たちに浴びせてくる。

 ……決して俺たちのせいではないが、二ヶ月前というと水晶ダンジョンが消えたころだもんな。失った水晶ダンジョンの利益を補填するために、他国への攻勢を強めるつもりなのだろうか。


「いずれにせよ獣人たちも大慌てでしょう。なにせ生命の泉は外樹海の西、ミスリル鉱床は東ですから」

「あー、そうなのか。そりゃ外樹海入りされる前に止めたいところだな」


 帝国に外樹海まで入られてしまうと、狙いがわからない以上どちらに進軍するかもわからないので、待ち受けることもできなくなる。いくら地の利があっても、後手に回ってしまう。

 帝国がなんの勧告も出していないのは、それを狙ってのものなのかもしれない。


「だからティル殿たちにまで緊急招集がかかったのだろうな」

「そういうことですわね」


 帝国軍は現在、俺たちが通った聖国側ではなく、帝国側にあるググルニ山脈越えルートを進んでいるようだ。

 獣人としては帝国がそこを抜けているあいだに急いで兵を集めきり、戦いに挑みたいのだろう。


 だいぶ事情が見えてきたが……位置関係とか多少ややこしいので一度整理したいところだ。

 しかしこっちの世界はちゃんとした地図とかないし、なかなか想像するのも難しいな。

 こういうときまずはなんでも知ってる存在を空想して、その存在にナビゲートしてもらえばいいかもしれない。

 ということで、助けて! 脳内のセレーラ先生!





 ──放課後、図書室で調べ物をしていた僕は、どうしてもわからないことがあって担任のセレーラ先生の姿を探していた。

 ようやく見つけた先生は、教室で夕日を眺めていて、部屋に入った僕に気づいて振り返った。


「あらシンイチくん、なんザマスですの」

「セレーラ先生、この一帯の位置関係を教えてもらいたいのですが、こんな感じでいいんでしょうか?」


 黒板に描いた地図を見て、セレーラ先生が笑みを見せる。


「そう、こんな時間まで熱心ザマスわね……もうみんな帰ったのに、フフフ」


 その笑みは……なんていうんだろう。たまにひっくり返っていて『イエス』ってなってる、寝室のマクラを見た父さんみたいだ。


 そんな表情を浮かべ、セレーラ先生が足を踏み出す。

 その手を、自分の襟もとに当てながら。


「……先生? なぜシャツのボタンを外すのですか? それも三つも外すなんて、そんなの校則違反じゃ……」

「もうお昼の授業は終わったのでいいザマスですわ。ここからは……夜の授業ザマスですの」


 夜の授業……?

 戸惑う僕のアゴを撫でつつ、セレーラ先生は僕とすれ違う。向かったのは教室の出入り口。

 カチャリ、そしてカチャリと二つある扉のカギをかけた。


「あ、あの、セレーラ先生、なぜカギを閉めるのでしょうか?」

「誰にも邪魔されず、あなたに教鞭を振るうためザマスですわ」


 そう言って、開いたシャツから大胆に覗く深い深い谷間をみせつけるようにした先生は、そこに自分の手を差しこむ。

 そして取り出したのは、乗馬のときに使うような短い鞭。


 その先は逆さのハート形をしていて、まるで悪魔のシッポみたいだ。

 そんなことを考えていた僕の前で、セレーラ先生がねっとりと鞭に舌を這わす。

 なぜかわからないけど、それを見た僕の背筋がぶるっと震えた。


「せっ、先生、それは教鞭ではなくて乗馬鞭や調教鞭と呼ばれるものだと思うのですが、なぜそんなものを?」

「ふふ、それはね……」


 気圧けおされ、後ずさりする僕に、セレーラ先生がゆっくりと歩み寄ってくる。


 ガツン──机につまずきよろめいた僕に、先生の手がヘビのように伸ばされる。

 引き倒され、四つん這いになった僕の上に……先生が腰を下ろす。


 背中に感じる重みと弾力。

 なんで!? 乗っかっているだけなのに、その感触に捕らえられた僕は身動きすることができないっ!


「それはね……こんな問題もわからない子にお仕置きをしてっ!」


 僕のお尻に向け、振り下ろされる鞭。

 誰もいない教室に響く、乾いた音。


「アヒイィン!」

「全てを教えこんでっ!」

「やっ、やめてへぇ!」

「私好みの生徒に染め上げるためザマスですわっ!」

「こんなのっ、僕の卵のようにキレイなお尻が真っ赤に腫れ上がっちゃうう!」


 体中を駆け巡る甘い痛みに、僕は──


「フフ……私の愛をお受け取りなさいザマスですわ」


 ──セレーラ先生に促されるまま、うなずくことしかできなかった。





「ああっ、でもダメですセレーラ先生! 痛いっ、痛いですっ、ホッペがちぎれちゃうぅっ!」


 ……あれ? ホッペ?


「あなたはさっきから、なにを一人芝居してますのっ!」


 横からヘビのように伸びた手が、ギリギリとホッペをつねりあげる。

 ふむ……どうやら妄想が全部口から出ていたようだ。


 くっ、不覚にもセレーラ先生という響きに引っ張られすぎたか。自他ともに認めるSな俺にこんな妄想をさせるなんて……セレーラ先生恐るべし。

 地図とか全く頭に入らなかったし。まあいいか。


 長いことほっぺを調教したセレーラ先生が、ようやく手を離した。


「それで、私たちはどう動きますの? 個人的にはあまり、帝国の好きにさせたくありませんけれど……」


 そう言って元王国民のセラが様子をうかがうように目を向けたのは、苦笑いしている元帝国民のルチアだ。


「私としては、できれば帝国と事を構えるのは避けたいところなのだが」


 最近気づいたが、ルチアは復讐のために帝国潰しまではやる気がないようなのだ。残念である。

 生まれ育った国であり、思い入れがあるのは仕方ないか。師匠のことなどを話すときは穏やかな顔してるし、数は少ないかもしれないが良い思い出もあるのだろう。


 とまあ敵対関係と言っていい王国と帝国の出身者を抱えており、なにかあったときバランスを取るのは大変だが、今回は悩むこともない。


「セラには悪いが、今回は傍観だな。俺たちがわざわざ首を突っこむべき戦いでもないし、美紗緒の周辺だけ生かしておければそれでいい」


 俺たちは強くなったが、無敵ではない。俺たちにとって意義の薄い戦いに三人を放りこみたくなどない。

 いずれかの形で決着がつき、美紗緒が日本に帰れるようになるまでは帯同しているつもりだけど。せっかくここまで来たし、大樹海の観光でもしてよっかな。


 俺の言葉に、ニケもヒュンヒュンと鞭を振って肯定を示した。


「それが賢明ザマス。セレーラも是が非でも妨害したいというわけではないザマス?」

「その喋り方は流すとして、もちろんですわ。この帝国の動きで王国にどれほどの影響があるかも定かではありませんし、異存ありませんわ」

「そっか、ならいいんだけど」


 王国に攻めこむ準備中というのであれば話は違っただろうが、まだなにもわかっていないしな。


「そういえばルチア、お前のかたきの元同僚とかが来てたりすることはないのか?」


 可能性がなくはないのではないかと思って聞いてみたが、ルチアはすぐさま首を振った。


「それはまずないな。私が所属していた騎士団は、基本的に国を離れて遠方まで打って出るようなことはないんだ」

「……あなた、もしかして黒鉄くろがねでしたの?」

「そのとおりだ」


 なんということもなく返事したルチアに、セラが呆れたように大きく息をはいている。

 黒鉄ってなんじゃろ?






──────────────


真一くんの妄想地図?を、近況ノートにのせておきます。

位置関係が掴めなければ見てみてもいいかもしれません。


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