4-39 閑話 漢の花道 ──陰征く者の聖戦── 2



 帝国の大樹海への進軍など、予想だにしていなかったのだろう。

 不機嫌そうに半ば閉じられていたビチスの目は大きく見開かれ、指の動きも止まった。


「なに!? 軍だと……哨戒の兵などではなくか?」

「はい。その情報を得た征伐隊が、斥候を向かわせて確認いたしました。かなりの兵数で、木々を伐採しながら奥へと進軍していると」

「『国均し』への対処……ではないか」

「はい、アダマンキャスラーがググルニ山脈を超えられるとは思えません。あれが帝国に向かうことはないはずです」


 少し前に、聖国の北にアダマンキャスラーという巨大な魔物が現れ大きな話題となっていた。

 しかしそれは結局、大樹海の北側を回って西へと向かったのだ。


「どういうことだ……なぜ今になって帝国が北に手を伸ばす。しかも奥地へと」


 少しのあいだ黙ってビチスは考え込んでいたが、やがて頭を振った。


「読めぬ。ここにきて唐突に帝国が動く理由が見当たらぬ。だが伐採しているということは、獣どもと手を結ぼうというわけではないのだな?」

「おそらくは。獣どもは森を自分たちの物だと勘違いしていますから、帝国とは衝突していると考えられます」

「そうだな……ともかく、帝国軍の動きから目を離すでない。帝都の間者も増やして動きを探らせよ」

「はい、あっ、いえ、それは……」


 ゴルトゥスの煮え切らない返答に、ビチスがまた眉間にシワを寄せる。


「なんだ。申したいことがあるなら申せ」

「その……間者衆を仕切っているマルク枢機卿が、増員をお認めになるかどうか……」


 マルク枢機卿というのは、首席枢機卿であるビチスの政敵なのだろう。苦々しくビチスは口元を歪めた。


「帝国の動きは国防に関する重要案件だ。奴とてそれくらいはわかろう」


 深く息を吐き出したビチスの政治的状況はかんばしくないと思われる。

 拙者がここに潜り込んだことも、その理由に関わっている。


 ビチスが追い詰められている理由。それは──


「まったく……なにが勇者召喚で希少な魔石を多数無駄に失っただ。なにが勇者によってこの国は大打撃を受けただ。たしかに勇者召喚を主導したのは儂だ。だが、マルクとて諸手を挙げて賛同していたろうに。それを儂ばかりに責任をなすりつけおって」


 そうか……情報は得ていたが、やはりそうなのだな。


 貴様か。

 貴様があの方をこの地へ喚んだ首謀者か。貴様だけは断じて許さぬ。


 全ての元凶であるこの男に天誅を下す。

 それこそが、拙者の成すべきことだ。

 それがあの御方に報いることであるはずなのだから。




 しばらく話を続けたのち、ゴルトゥスは退出した。

 それから夜まで、ビチスは部屋を出ることなく書類仕事をこなした。


 そして夜も更けて、持ってこさせた湯で体を清めたビチスは併設されている部屋に向かった。

 ビチスに気づかれぬよう、拙者もあとに続く。


 どうやらその部屋は寝所となっているようだ。天蓋つきの寝台に重い体を投げ出すと、ビチスはすぐに耳障りなイビキをかき始めた。

 枕元に忍び寄っても、よく眠っているビチスは目を覚まさない。


 よし、では開始するとしよう。

 とはいえ拙者がやることなど極わずか。

 柔らかな枕に半分埋もれているビチスの耳。その耳の中に、背負ってきたモノを放り込む。

 それだけだ。


 ここに来る前に一族の者から受け取ったモノは、上手いこと耳の奥へと入った。

 ビチスは一度うなって耳をほじったが、すぐにまたイビキをかく。


 さあビチスよ。

 あの御方を苦しませた大罪人よ。

 貴様らの言う神の加護とやらが貴様にあるのかどうか、とくと見せてもらうぞ。






 翌朝──鳥のさえずりをかき消し、窓のガラスを震わすほどの悲鳴が響く。


 異変に気づき駆けつけた騎士が見たのは、寝台から転げ落ち、のたうち回るビチスの姿。

 拙者は天井に張りついてその様子を眺めている。


 すぐに騎士の一人が回復魔術師を二人連れてくる。

 その頃にはビチスは意味のない言葉を発し、統制を失った体を奇妙にくねらせていた。


 その奇怪な動きに面食らいながらも、魔術師たちが回復魔術を施す。

 しかしそれは一つ手前の、のたうち回る状況に戻るだけだった。しばらくすればまた奇怪な声と動きが始まる。


 それを何度か繰り返している間に、高僧と思われる者が部屋に入ってきた。

 高僧はしばらくビチスの様子を見ていたが、急ぎ退出する。

 そして戻ってきたその手には、金色に輝く液体の入った美しいガラス瓶が握られていた。


「やむを得ません。エリクシルを使います」


 エリクシル──あらゆる病も傷もたちどころに治すという霊薬だったか。

 いかに大国であるリグリス聖国とはいえ、数少ない貴重な品であるのは疑いようがない。


 それをここで使うか……。

 落胆? とんでもない。願ってもないことだ。


 最早呼吸もままならなく、痙攣けいれんするだけとなっているビチスの口にエリクシルが注がれる。

 その効果はてきめんだった。瞬く間に、表情と呼吸が落ち着く。

 部屋にいる拙者以外の全員が胸を撫で下ろした──次の瞬間のことだ。


 ビチスの顔が、苦悶に染まったのは。


 またしても悶え苦しみ始めたのを見て、高僧が開いた口を戦慄わななかせる。


「馬鹿な……なぜだ!? エリクシルはたしかに効いたはずだ!」


 くくく……やはりこうなったか。貴重なエリクシルを無駄にしたものだ。

 さすがに治らない理由がわからないまま、二本目のエリクシルを使いはしないようだ。「なぜだ」「どうにかしろ」と高僧は魔術師にわめき散らすのみである。


 そして回復魔術で散々苦しみを長引かされたのち──諸悪の根源たる男は、永遠の眠りについた。







 三日後、ビチスの告別式が盛大に執り行われた。

 その場において、なぜビチスが死んだのか人間たちは知ることになる。


 それは大勢の信徒が見守る中で起こった。


 皆に見えるように傾けられたビチスの棺。

 高僧の一人がその中に花を捧げようとしたとき、異変に気づき叫んだ。


「う、動いている……まぶたが動いている!」


 たしかに閉じられたそのまぶたは、まるで懸命に開こうとするかのように震えていた。

 数名が駆け寄って、その様子を確認している。

 その者たちの驚きの声が伝播し、信徒は聖者の復活という奇跡を口にし始める。

 誰しもが固唾を飲んで見守る中、その時が訪れる。


 まぶたが内側から食い破られ、黒い物体──卵から孵ったが這い出てくるというその時が。


 希望は絶望へ。

 歓喜の声は悲鳴へ。


 だがまだ足りぬ。

 貴様らを恐怖の沼へと沈めてみせよう。

 拙者の戦はここから始まるのだ!















 紅い。

 紅い。

 全てが紅く染まる。

 視界を埋め尽くすは、踊り狂う真紅の炎。




 開戦当初、拙者らは優勢であった。

 ビチスと同じやり方で、立て続けに名のある僧三名に天誅を下した。

 政庁舎は拙者らの手に落ちた……かに思えた。

 だが、拙者らはことを急ぎすぎたのだろう。


 四人目を誅殺したところで、聖国の反撃にあってしまう。政庁舎に配備される兵が大増員されたのだ。

 正面から戦えば、拙者らに勝ち目などない。それでも隙を突いて一人を誅殺したが……それが限界だった。


 騎士と魔術師さえも投入されたことにより、政庁舎からの撤退を余儀なくされた。

 そうして逃げ戻ったねぐらに、あろうことか聖国は火を放ったのだ。まさか建物ごと拙者らを葬ろうとするとは……。


 ひたすらに紅く。

 あの御方との思い出が詰まった部屋が、炎に埋め尽くされていく。


 火に炙られながらそれを眺める拙者の周りには、一族の者たちが集まっている。

 拙者が戦に巻き込まねば、皆には生き延びる道もあっただろうが……。


 そう思い見渡すが──そうか、悔いはないか。

 代を重ねるごとにあの御方から授かった知性は薄れていったが、皆の目からは明瞭な意志が伝わってきた。

 ならば拙者も思い残すことはない。


 壁が崩れ、柱が倒れる中、脳裏に浮かぶのはこの部屋で共に過ごしたあの御方の姿。

 いつの日か知ることがあれば、拙者の働きを喜んで頂けると良いのだが。


 笑みをたたえたあの御方の顔を幻視したが、降り落ちる天井にかき消された。

 この建物が完全に崩れるのも時間の問題だろう。


 く生きた。

 愉しかった。

 どうか、どうか貴方様も愉しまれますよう。

 拙者は最早これまで。


 いざさらば!

 この醜く愉快な現し世よ!


 我が名はブラック三郎丸!

 橘真一、第一の家臣なり!


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