5-10 盤面は俺の手の内だった
「そんな……こんなことって」
ダイバーズギルド三階にあるギルドマスターの部屋で、その主が絶望の沼に沈む。
沈めているのは誰あろう、この俺だ。
「残念ですが終わりです」
決着の時だ。
「ま、待って」
「『待った』は無しですよ」
縋りつくゼキルくんを突き放し、冷徹に止めの一手を繰り出す。
「はいこれで必至」
「うわあぁぁ……参りました……こんなのヒドイよ……」
パチリと駒を指すと、ゼキルくんは背もたれにもたれて天を仰いだ。
以前ここで将棋盤を作ったとき、実は初めに作ったのが気に入らなかったから二つ作ったのだ。
将棋盤はもともとここの机だったので、気に入らなかった一つ目は駒とセットにしてゼキルくんにあげた。
そしたら今日、用事でここに来たら勝負を挑まれた。どうやら密かに研鑽を積んでいたらしい。
お飾り暇ギルマスだしな。
爺ちゃんに鍛えられた俺には余裕……と思いきや、一局目戦法なしでやったら生意気にも手こずらされてしまった。
そこで二局目、棒銀戦法をお見舞いしてやった。
好き放題に食い荒らし、完膚なきまでに叩きのめしたのである。
「本当に大人げないですね」
「僕子供だもん」
「お前は都合のいいときばかり……気にするなゼキル殿。この短期間で随分な腕前になっていると思うぞ」
「そ、そうかな?」
「そうですね。まだこれではニケとルチアにも遠く及ばないですけど」
ルチアに褒められて輝いたゼキルくんの顔は、がくりと下を向く。
「コラ、余計なことを言うんじゃない」
「まあ侯爵様と対局でもして腕を磨いてください」
「そうだねえ、閣下も将棋は気に入ってたし」
侯爵のローテーブルも結局ヒビが入ってしまっていたので、仕方ないから将棋盤にしたのだ。そっちも二つ作って一つあげた。
「まったく、迷惑な話です。僕は将棋盤職人じゃないんですけど」
「……迷惑なのはテーブルを壊された閣下だと──」
そのとき、コンコンと扉がノックされた。
叩き方でわかるようだ。ゼキルくんは相手を確認もせず、どうぞと入室を許可した。
「失礼します。急ぎ署名していただきたいものが……」
俺たちを見て、入ってきた美人の口は引き結ばれ、ツカツカと進めた足もピタリと止まる。そのせいで金色の巻き髪が伸び縮みした。
「こんにちは、セレーラさんっ」
努めて明るく挨拶をすると、「……ええ」とだけ返ってきた。
それからセレーラさんはなにか言いたげに口をモニョモニョと動かしたが、結局ゼキルくんに向き直った。
「ゼキル様、こちらをお願いいたしますわ」
将棋盤の乗る真新しいローテーブルの上に、書類が強めに置かれる。
本当はバチーンと叩きつけたかったのかも知れないが、ちゃんとわきまえてるセレーラさんはさすがである。
「う、うん。少し待ってね」
縮こまりながらも、ゼキルくんは律儀に目を通していく。
俺はセレーラさんとお喋りでもしてよっと。
「セレーラさんは今日も忙しそうですね」
「……ええ」
……。
…………終了!
と思いきや、どうしても我慢できなかったのだろう。まだ駒の並ぶ将棋盤を見ていたセレーラさんが口を開いた。
「なぜか街に戻ってきたと思えば……国を救った皆さんが帰ってくる日に、あなたはここで遊んでいますのね」
実は今日、アダマンキャスラーのおとりになりにいったギルドの部隊が帰ってくるのだ。その報せは、昨日の内に早馬でもたらされた。
そして彼らが帰ってき次第、大々的な凱旋パレードが執り行われるのである。
俺たちはここからそれを見物するために来たのだ。
「はい、将棋でゼキル様をボコボコにしてみました」
「あ、いや、違うんだ。僕がタチャーナくんに対局をお願いしたんだ。その、はいこれ」
無言で書類を受け取ったセレーラさんが、ざっと目を通す。
「……たしかに。では失礼します」
ツカーンツカーンとセレーラさんは部屋を出ていく……その前に、
「ゼキル様も遊んでばかりいないで、少しはご自分で仕事を見つけてくださいませ」
「は、はい」
少し強めに扉が閉められ、泣きそうなゼキルくんが大きなため息をついた。
「ハァー…………ねえなんで!? なんで本当のこと伝えちゃダメなんだい!」
セレーラさんの態度でわかるように、侯爵のところで最後にした買収……お願いは守られているようだ。
俺たちがアダマンキャスラーを撃退したことを周りの人には、特にセレーラさんにはふせておいて欲しいというお願いは。
「だってセレーラさんと交わした契約は、『ギルドの撃退計画に協力する』でしたから。なにを成したところで、契約を破ってしまったことは事実。それをゼキル様や侯爵様にとりなしてもらうなど、僕の自尊心が耐えられません」
「えっと……」
ゼキルくんは俺の左右を目でうかがっている。
その左右は、見なくても空気の流れでわかるくらい思い切り首を振っている。
別にいいのだ。こんな建前が看破されようが。
大切なのは、今セレーラさんに真実を知られないこと。いずれセレーラさんも知るだろうが、時間を稼げればそれでいいのだ。
このあと俺たちがダンジョンに潜るまでの、少しの時間を。
──俺の攻め筋はこうだ。
俺たちが勝手に契約を破棄してアダマンキャスラーから逃げたと思っているセレーラさんは、俺たちに冷たく当たってきた。さっきみたいに。
というか、そうなるように俺は振る舞ってきた。
今ここ。
しかし近い将来、セレーラさんは真実を知る。
そうするとセレーラさんの感情は、一気にマイナスからプラスに転じることになる。
それは頑ななセレーラさんでも心を揺さぶられる、大きな衝撃。
さらにそこに冷たく当たってしまった罪悪感も加わる。
謝りたいセレーラさんだが、俺たちは水晶ダンジョンを攻略中。潜りっぱなしでなかなか戻ってこない。
そのあいだにセレーラさんのプラスの感情、そして罪悪感がふくらみ続ける。
頭から俺のことが離れない。
俺のことしか考えられない。
そこで満を持して俺帰還。
セレーラさん大爆発。
ごめんなさい、好き、抱きしめて、銀河のはちぇまれぇ! となる。キャラ的には、どう考えても妖精様の方だけど。
そして迎えるハッピーエンド。
──全てを読み切った、完璧な詰めだ。
そのために、帰ってきた当初はあそこまでトゲトゲしくなかったセレーラさんに能天気風に接し続けて、トゲを育ててきたのだ。
そうすることによって、真実を知ったときの罪悪感がよりいっそう強まるからな。ククク。
「卑劣なことを考えているのだろうな」
「惚れ惚れするほど悪い顔をしていますね」
卑劣なことなどなにもない。これは恋の駆け引きなのだ。そうなのだ。
もし……もし万が一ほんのちょっぴり卑劣だとしても仕方がないのである。
時間がないのだから。
たぶん俺たちがこの地を離れるのは、そう遠い未来ではない。
この神の一手で、セレーラさんに投了させてみせようではないか。
「余計な手など打たなくていいと思うのだが……」
「言っても無駄です。放っておきなさい」
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