6-25 閑話 男たちの悲哀 〜ああ、青春の淡き慕情よ〜 4
「もっ、申し訳、うぅっ」
謝罪もままならないほど、シグルは泣き続けている。
どうせこうなるだろうからあきらめるように今まで言ってきたのだが、効き目はなかったようだ。
「ハァ……気持ちはわかるが、泣くならヴォードフのように静かに泣け」
「えっ?」
ヴォードフは直立したまま、涙だけでなく鼻水まで滝のように垂らしている。
「だ、団長が泣いている……」
「ずっと……憧れ……」
「そうだったのですか!?」
「まともに話しかけられもせんくせにな。そのせいで所帯を持つのが遅くなったのだ」
結局ヴォードフは、私の妻の一人が無理やり引き合わせた相手とくっついたのだ。今は仲睦まじくやっているのでなによりだが。
「シグルもさっさと相手を見つけてこい。もうじき二十四にもなるだろう」
おおかたの平民ですら、もっと早く所帯を持っている。貴族であればなおさらだ。
「う…………その、まさかクリーグ殿もセレーラ殿を、などということはありませんよね」
露骨な話題そらしに、クリーグは乗ってやるようだ。輝く白い歯を見せる。
「なにを言っているんですか、シグル殿」
「そ、そうですよね。さすがにそんなことは……」
「あの孤児院の少年が辿る道はみんな同じですよ。姉さんに憧れ、振り向かせようと外に出て躍起になり、子供扱いを脱せない現実を知って涙するまでがお決まりです」
「…………クリーグ殿も?」
「当然じゃないですか」
結局クリーグも、私の妻のもう一人が以下略。
二人も同類だったことに唖然としているシグルは、もう涙することも忘れたようだ。
「そなたも自分でみつけてこないなら、妻にくっつけさせるぞ。そなたのせいでゼキルが困っているのだからな。相手はいるのに、兄より先に迎え入れるのも気が引けると」
「うぐ…………あの、そういえば『氷鬼』というのは、一体なんなのでしょうか。セレーラ殿の二つ名は『氷姫』では?」
まったく、こいつは自分が伯爵家の後継ぎだということがわかっているのか?
ハァ……まあよい。
「『氷鬼』こそ私が考えた本来の二つ名だ」
「なぜそのような禍々しいものに。理知的な彼女には不似合いと思うのですが」
理知的か……シグルはここでのセレーラしかほとんど知らぬからな。ゼキルや狂子はまた違う形容を持っているだろうが。
それに──
「──そなたは知らなかったか。こんな日だ、話してやってもよかろう。遠い昔の話だ」
だがあの日の出来事は、目を閉じれば今でも鮮明に浮かぶ。
それは私が王都の貴族学府を修了し、リースに戻ってしばらくのこと。
初めて自らの手で野盗の命を奪い、自分が戦士になったのだと勘違いしていたころの話だ。
私は当時、夕暮れ前に騎士たちに混じって汗を流すのを日課としていた。
その最中、冒険者が街中で派手に暴れているという報せが入った。
そのころのリースは好き勝手にする冒険者などのせいで、今とは比べ物にならないほど治安が悪かった。
父はなんとかしようとしていたが、冒険者の振る舞いはなかなか変わらずにいた。
その日の報せも、こともあろうに大通りで冒険者同士が戦闘をしているとのことだった。
冒険者嫌いだった私はうんざりしていたが、これも勉強だと当時の騎士団長に無理に連れていかれた。
その一団の中に、見習いである従騎士のヴォードフがいたというのは、後に知ったことだ。
そうして駆けつけた現場で私を出迎えたのは、夏場にも関わらず一面に漂う冷気。
まず目についた大通りの一角には、石畳から槍のように先の尖った氷が幾本も生えていた。そこには足を貫かれ、倒れている冒険者が一人。
その向こうに倒れている一人の周りには氷塊が散らばり、もう一人は肩に氷が刺さった状態で壁にもたれていた。
その三人には見覚えがあった。
素行が悪いことで有名な、A級ダイバーのパーティーだ。
仲たがいで二人抜け、その評判の悪さから補充人員も決まらず、なおさら荒れてよく問題を起こしている。
つい先日もよそのパーティーメンバーをリンチして、冒険者としては再起不能に追いやっていた。
それでも動かず、我らにも手出し無用と冒険者ギルドは言ってくるのだ。
やはり父のやろうとしていることは正しい。冒険者や冒険者ギルドに、これ以上大きい顔をさせておくべきではない。
そんなことを考えていると、路地から一人転がり出てきた。そしてそれを追ってもう一人。
先に転がり出てきたエルフの女を見て、今回の背景を悟った。
それは快進撃を続け、ウワサになり始めた孤児院出身のC級パーティー……つまり、このA級パーティーによって一人再起不能にされたパーティーの一員だったからだ。
敵討ち──そういうことだろう。
それにしても戦闘の跡から考えても、どうやら彼女一人で仕掛けたようだが……とても信じられなかった。
不意をついたのかもしれないが、A級四人にC級一人で挑むなどどうかしている。いくらエルフとはいえ、レベル差による力の違いは大きいはずだ。
間違いなく並の神経ではない。
しかし、それも限界のように見えた。
肩で息をして立ち上がるその体には、幾つもの傷を負っている。
もうMPもないのだろう。腰を落として杖を引いて構えている。
対するA級冒険者はほとんど無傷だ。
いたぶろうというつもりか、
ただ手にした剣をプラプラとさせている。
止めるべきだと足を踏み出した私の肩を、騎士団長が掴んだ。
見ていろ、と。そう言うのだ。
私が反論する前に、状況が動く。
女の方から突っ込んでいったのである。
待ち受けていたのは、明々白々な結果。
横薙ぎに振った杖は、男の剣で叩き切られた。
万事休す──そう思った。
だが女にとってそれは織り込み済みの、ただの予定にしかすぎなかった。
体の勢いを止めず、剣を振り抜いた男に体ごとぶち当たる。そのヒザを、男の股間にめり込ませて。
悶絶する間も与えず、そのまま男に組みついて押し倒す。
二人が重なりあって転がり──鮮血が石畳を汚す。
悲鳴を上げたのは男。
ふらつきながらも立ち上がった女は、首もとから血を吹き出してのたうち回る男を見下ろした。
──噛み千切った皮を吐き捨て、赤く染まるその顔に凄絶な笑みをたたえて。
後にも先にも、あれほど何者かを畏怖したことはない。
そして同時に私は、冒険者というものを
愚かで愛すべき、本物の冒険者を。
その後、A級パーティーの者たちは街を出た。
皆命は拾ったが、傷が深いこともあった。だがそれ以上に、C級一人にやられた笑い者となりながらもなお冒険者を続けることなどできなかったのだろう。
そしてこの一件でさらに名を上げた女──セレーラとそのパーティーだったが、残念なことにB級で壊滅してしまった。
「──私に言わせれば、あれはパーティーリーダーが悪いがな。メンバーが五人になり、しかもセレーラが種族的にレベルの停滞期に入りかけていたのに、周囲の期待に流されて先に進んでいってしまった。決して口にはしないが、セレーラも本当はわかっているだろう」
はっきり言ってしまえば、あのリーダーはムダに周りに気を使いすぎる八方美人な男だった。
その点周囲のことなど気にも留めぬ狂子であれば、安心できる部分もある。それ以上に不安は大きいが。
「そんなことがあったのですか……それで『氷鬼』と」
話を聞き終えたシグルの言葉の響きは、感嘆とも諦観とも取れた。
「わかっただろう。そもそもお前に
それは誰に向けた言葉だったのか。
ともかく再び泣き出したシグルを、ヴォードフとクリーグが連れて退出していった。涙を汗に変えるのだと言って。
間違いなく臭くなるので、今日はもう全員部屋に来るなと言っておいた。
部屋に私とサバスティアーノだけになり、気が抜けて長い長いため息が漏れた。
……私も今日は酒でも飲みながら軽く腹を満たして、さっさと寝てしまおう。
「かくて高嶺の青き花は、余人に摘まれり……と」
後にも先にも、あれほど何者かを畏怖したことはない。
そして……あれほど何者かを美しく思ったことも。
誰よりも泣きたいのはこの私だ。
……妻たちには決して言えぬが。
しかし狂子が選ばれるのも、自明の理ではあった。
ギルド職員となり、父のため、私のため、街のために己を押さえつけていたセレーラの鎖は、狂子と出会ってからまたたく間に腐食していったからな。あいつに感情むき出しで怒っていたというのは、そういうことなのだ。
ああ……まったくもって恨めしく、妬ましい。
椅子にもたれて天井を見上げる私の前に、サバスティアーノがゴトリとなにかを置いた。酒瓶とグラスだろう。
「さすが、気が利くな……ん? そなたも飲むのか?」
見ればローテーブルの向かいに、もう一つグラスが置かれていた。
「ご相伴にあずかってもよろしいですかな」
「もちろん構わんが、珍しいな」
普段私が誘っても、めったにつき合わぬのに。
……いや、まさか。
「セレーラ様と初めてお会いしたのは、一人目の妻に先立たれてしばらく経ったころにございましたので」
「んな…………そなたもか!? まったく気づかなかったぞ」
底知れぬジジイはホホホと笑いながら、ソファーに座って酒を注いだ。
そして持ち上げたグラスに、私も続いた。
「では、青春の終わりに」
「罪作りな女の門出に」
────乾杯。
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