7-01 工作のお時間だった



 暗い部屋の中に俺たちは立っていた。

 小さなランタンのような魔道具だけが、石造りの広い部屋を頼りなく照らしている。

 足の下には、石の床一面に刻まれた複雑な模様。


 しゃがみこんで模様に触れたセラが、小さく抑えた感嘆の声を漏らす。


「これが異世界召喚陣……さすがに大掛かりですわね」


 ここはリグリス聖国。

 その聖庁の敷地内にある、召喚の間である。

 乾いた血を思わせる赤黒い模様は、魔力が流れれば明るく輝く召喚陣なのだ。






 地球をあとにした俺たちは、まずはリースに戻った。侯爵に水田稲作のやり方をまとめた資料をくれてやるためにだ。

 リースを旅立ってからのあまりに早い帰還に侯爵はしらけていたが、渡した資料には喜んでいた。


 貸しということにはしておいたが、俺がいつかやるかもしれない稲作の実験台だし、不測の事態が起こって日本で米が買えなくなることも考えられる。

 こちらの米の流通量を増やしておくのは、俺たちにとっても悪いことではないだろう。


 それとどうしても水は大量に必要となるし、治水に関してもまとめてきたので教えてきた。

 完全に制御するのは難しいだろうが、こちらの世界のノウハウと合わせて、少しでも災害が起きないようにすべきだろう……水は怖いからな。


 まだ全てが始まったばかりだが事業への応募者はあとを絶たず、人手はだいぶ集まりそうだ。

 ダンドンや坊っちゃんたちは、意外に文句も言わず真面目に働いているらしい。

 ただ、弱い魔物を追い払ってばかりで腕がなまりそうだと、連絡係として侯爵のところに来たギネビアさんが言っていた。


 そこで頑張っているギネビアさんにご褒美として、膝に飛び乗って抱っこさせてあげた。

 最初はデリケートなショタボディに触れるのに緊張していたのか、ちょっと震えていた。でも最後にはすっかり慣れて喜んでいて、ニケが俺を無理矢理奪い取ることになった。


 そうしてリースでの仕事を終え、今度こそ旅立った先がここ、聖国である。


「こんな中枢にもひとっ飛びで来れるのだな……警備の者はたまったものではないな」


 自分が守る側だったことを想像して、ルチアは顔をしかめている。


「召喚されたときの光景は、目に焼きついていたからな」


 この場所は魔法などからの防護もされているのだが、俺の〈新世界への扉〉は異世界との行き来もできる優れ物である。なにも問題なく転移することができた。

 ラボの外では使えないことだけがつくづく残念である。ふっ、それは残像だ、みたいなのやってみたかった。


 ただ、それも悪いことばかりではない。

 本来転移系のスキルは、イメージよりは比較的追跡が簡単なのだ。

 しかし俺のラボは扉を消してしまうと、外界からは魔力もごくわずかしか見ることができない(セラに魔眼で見てもらった)ほど情報が遮断される。

 なのでおそらく、追跡は不可能ではないかと思われる。


「一体なにが目に焼きついていたのか知りませんが」


 俺を抱っこするニケは、呆れたように言っている。

 仕方なくない? 童貞少年が家族以外の女の裸を初めて、しかもあれだけの人数まとめて目にしてしまったのだから。


「でも大丈夫だ。三人の裸ほどは焼きついてないから」

「なにが大丈夫ですの。あなたもなにを喜んでいますの」


 しばらくニケは俺の頭頂部に、ほっぺをスリスリしていた。




 そして翌日。

 丸一日という〈新世界への扉〉のクールダウンも終わったところで行動開始である。

 俺たちはここに、物見遊山で来たわけではない。


「では、いきます」


 壁際に立つ俺たちを背に、ニケが一歩前に踏み出した。

 なにを始めるのかといえば、破壊である。

 ──召喚陣の。

 俺たちはそのためにここに来たのだ。


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