6-15 閑話 不屈の剛拳と呼ばれた男は 2
「…………え?」
疑問の声を上げるオリアナ同様、儂にもそれがなんなのか理解できなかった。
静寂の時が流れたのち、今度は頭が理解することを拒んだ。
なにかの形をしていたモノを、溶かして雑に丸めたような柔らかな球体。
それだけではなく部分部分で透けていて、薄紅色の臓物や変形した骨が見て取れてしまう。
……煮こごり、といっただろうか。
昔海沿いの街で食べた料理を思い出して吐き気をもよおすが、ぐっとこらえた。
そんな儂らに構わずそれに近づいた狂子の小僧が、それから飛び出ていた細いヒモに触れた。
すると……中心部に、光が……。
「どうです? 水晶さんリスペクトバージョンなんですけど、いい具合にまわりを柔らかく照らしてくれますよ。お部屋に置いておきたくなりません?」
これが…………こんなものがトゥバイだというのか。
あまりにも奇怪すぎて、トゥバイとこれが結びつかぬ。
だがそれを証明するかのように、特徴的な群青の毛束が外に飛び出たり、内に透けて見えていた。
受け入れがたい現実を前に、呼吸すら忘れる儂やオリアナが見つめる中──突如としてそれが震えた。
「まさか、これは──」
──生きているのか。
問う前に答えが出た。
上部に位置していた、輪郭すら溶けかけた顔。そこについている目が開く。
そしてわずかに
「ぁ、あ…………イヤアアアアァァァァアァア!」
爪を立てるようにして頭を抱えたオリアナが、絶望に天を仰ぐ。
あまりの精神的負荷に耐えきれなかったのだろう。そのまま後ろに倒れたオリアナは、意識を飛ばしていた。
「ありゃ、白目剥いちゃってる。ちょっと見た目が変わっただけなのに、ヒドいお姉さんだなー。こういうのにかぎって、人は見た目じゃなくて中身が大事、とか言うんだぜ。肝臓以外はあんなに健康そうなのに」
「その中身ではないと思うぞ」
「ちょっと変わったどころではないですしね」
イカレている……小僧だけでなく、これを見ながら笑みを浮かべる女二人も十分に。
これにはトゥバイを憎く思っているはずのシグルも、極限まで顔をしかめていた。
「ここまでするとは……いったいなにをしたらこうなる。おい、女を連れて行け」
これ幸いと、吐かないように口を押さえていた騎士の二人はオリアナを抱え、そそくさと修練場に逃れていった。
「貴様ら、いくらなんでもこれは……自業自得と言うには、あまりにも無惨ではないか……」
……自分の抗議が口先だけなことに、我ながら驚く。
トゥバイの変わり果てた姿に、もちろん怒りは湧き上がっている。
しかし、それは制御できないほどの激情とはほど遠い。
半ばトゥバイのことはあきらめていたというのはあるが……心を折られたということを、改めて痛感する。
己の中にあったはずの牙はすっぽりと抜け落ち、影も形もない。
そんな自分に対する情けなさの方が、怒りよりも強く感じるほどだ。
「せっかく生きて返してあげたのに、なにが不満なんですかねえ。もっともそれはもう元には戻りませんし、飯も食えないので死ぬしかないですけど」
小僧の言うとおり、もう限界が近いのか再びトゥバイの目は閉じられる。
これ以上見世物にしてはならぬと思い、破れた袋でその体を隠した。
興味なさげにそれを見ていた小僧が顔を向けると、向けられたルクレツィアが小僧を抱え上げる。
「では僕たちはこれで帰りますが、こうなりたくなければ、くれぐれも大人しくしているよう皆さんにもお伝え下さい」
トゥバイをここまで破壊したのは、見せしめという面も強かったのだろう。
そんなことをせずとも、噛みつくような者はもういないというのに。
立ち去ろうとする小僧たちを憎く思うし、去ることに安堵もしている。
しかし一方で、どうしても引っかかっていることがあった。
「待て! ……待ってくれ。一つだけ教えてくれ」
こらえきれずに呼び止めてしまうと、きびすを返そうとしていた三人が立ち止まる。
儂が目を向けたのは、ルクレツィアの後ろに続こうとしたニケだ。
「お前は言っていたな。儂がエルグレコの言葉を勘違いしていると。それはいったいどういう意味だ」
聞くに値しない
だがこの女の底知れないたたずまいに、尋ねずにはいられなかった。なにかの答えが出るような気がしてしまうのだ。
トゥバイをこのようにした者たちと、口など聞きたくないはずなのに……すまぬ。
「そのことですか」
「ああ、そういえば言っていたな。私も気になっていたのだ」
そう言うルクレツィアに対し、小僧はまったく興味がなさそうにしている。
「えー……どうでもよくない?」
「まあそう言うな。ニケ殿、勘違いというのはなんのことなのだ?」
仕方ないと小僧が肩をすくめるのを見て、ニケが話し始めた。
「そうですね……あのときも言いましたが、たしかにエルグレコはあの者の言うとおり、『冒険者ギルドは冒険者のためにあれ』と
「誰のこと……なるほど、なんとなくわかった。セレーラ殿が
なぜセレーラが出てくるのかわからぬが、ルクレツィアは理解したようだ。ニケのかすかな笑みが、正解だと言っている。
「わからぬ、どういうことだ」
回りくどい言い方に苛立つ儂に、ニケが向き直った。
「でははっきり言ってあげましょう。今で言う冒険者は、当時は冒険者などとは呼ばれていなかったということです。昔は三部門に別れてなどいませんでしたし、彼らを指す言葉はありません。言うなれば冒険者ギルドのただの構成員でしかなかったのです」
冒険者が冒険者ではない……?
待て……それが事実であれば、話が全て違ってしまう。
「そして構成員の実態はといえば、力はありながらも軍などの規律に馴染めないような、力を持て余していた者たち……言ってしまえば『ならず者』ですね。エルグレコはそのような者たちを集めたのです」
「己の腕一本で生きてるようなやつらのことだな!」
小僧がこちらを見てニヤニヤしている。なんと嫌味ったらしい。
「ふふっ、そうですね。理由としては、そのような者たちが少しでも真っ当に生きられるようにということもありましたが、それ以上に安く使えたからです。そしてなんのためにそのような者たちを集めたかといえば──」
ここまでくれば、儂にもわかる。
今の冒険者が冒険者ではないというなら、他にいるのだということが。
「本当の冒険者のために……か」
ニケがゆっくりとうなずいた。
「危険を冒してでも信じた道を征く者──冒険者とは、本来そういった者を指す言葉でしょう? その言葉どおりの冒険者に助力するため、エルグレコは冒険者ギルドを立ち上げたのです」
つまりエルグレコが言っていた冒険者というのは、ギルド内部の者ではなかったということか。
志を持った依頼者側を指していたと……。
「わかりましたか、貴方の大きな勘違いが。貴方の目指したものが無価値とは言いませんが、それはエルグレコの目指したものとはまるで違うのです」
なぜ儂も知らぬようなことをこの女が知っているのか、そしてそれが真実なのか儂にはわからん。
しかし気負いのない、さも当然のように言う態度を見れば、少なくともこちらをだます気などないのはわかる。
それに過去の文献の中で今一つ理解できなかった記述があったが、これを当てはめれば理解できてしまう。
ニケの話がおおすじ正しいとしか思えなかった。
「そうか……」
目の覚めるような思いに、それ以上言葉をつむげなかった。
同時に、儂がなにを間違えていたのかを理解した。
儂は冒険者という言葉だけしか、表層だけしか見ていなかった。
本質を見失っていたのだ……それはきっと冒険者のことだけでなく、多くのものごとを、ずっと。
……今思えば儂は誤って理解したエルグレコの言葉に従うだけで、冒険者や冒険者ギルドの目指すべき姿など、己自身で考えたこともなかったかもしれない。
なんと薄っぺらい……エルグレコの遺志を継ぐなどと、よくも言ったものだ。
これでは己に酔っていると言われてしかるべしだろう。
儂ほどではないものの、シグルや職員など聞いていた者たちも皆、冒険者ギルド発祥当時の話に驚きをあらわにしている。
だが……そんな中、小僧ただ一人がつまらなそうに鼻をほじっていた。
「うーん、やっぱりどうでもいい話だったな。さっさと帰ろうぜ」
……人の心を持たぬ小僧を抱え、ルクレツィアがあきれたように笑う。
「まったく、またお前は……私は偉人の生き方や考えから学べることは多いと思うぞ」
「いや、だってエルグレコがやったのってあれだよね。単に大バカ者がやろうとすることを、バカ者たちに手伝わさせたってことだろ。そのシステムを形にした行動力はすごいと思うが」
「大バカって……そんな乱暴な」
「ふふ、ですがあながち間違ってはいないかもしれません」
「だろ? ほら、どうでもいい話じゃん。エルグレコみたいのにも大バカにもバカにもなりたくないし。めんどうな道も危険な道もさけて、賢く平穏無事に面白おかしく好きに生きてくのが一番だ」
……真顔で言っていることに、驚きを通り越して恐怖を感じる。この小僧には自らの行いがどのように見えているのだ。
だいたい平穏無事と面白おかしく好きにというのが相容れるはずがないではないか。すでに賢くない。
「なあニケ殿、大バカ者を超えるバカは果たして何者になるのだろうな」
「さあ……楽しみですね」
そう言って笑いあった二人と、理解できずに首をかしげている小僧は、今度こそギルドを出ていった。
それを見届けたシグルが大きく息をはき、誰に言うでもなく独りごちた。
「フゥ……本当に嵐のような者たちだな」
嵐か……負けるわけだ。
薄っぺらな儂など、
もはや役職に固執する意味も気力も消え失せた。
それでも……最後の務めは果たさねばな。
「シグルよ、街の外に出たい。つき合ってくれぬか」
顔をしかめたのは理由が掴めなかったからではなく、トゥバイに対し思うことがあるからだろう。
それでもシグルは応えた。
「……剣も貸そう」
「助かる……いや、やはりいらん」
せめて幾度か食らわせたことのある、儂の拳骨で送ろう。
そう思いトゥバイを抱え上げる。
その体は、見た目よりも遥かに重く感じた。
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