6-11 ワンワンがキャウンってなった



「きっきさ、キサマぁ……!」


 バキンと、頭頂部まで赤黒く染まったダンドンの歯がかける音が響く。

 さっきはなんとでも言えって言ってたのにね。


「オヤジ、いいだろもう!」


 敬愛する相手をけなされたことで、忠犬トゥバイも怒り狂っている。

 だがダンドンは怒りに震えながらも、ゴーサインを出さない。


 これまでずっと渋い顔をしていたように、ダンドンにとっても集団リンチは望ましいものではないのだろうけど……ここまで耐えていることに驚いていると、ニケが教えてくれた。


「うっすらとは感じているのでしょう。戦えばどうなるのか」


 なるほど、軽くビビりも入ってるのね。


「それで、気がすみましたかマスター。もういいですね」


 俺を地面に降ろし、ニケもトゥバイと似たようなこと言ってきた。

 俺はゴーサインを出すけど。


「うん、残念だが懸命の説得にも応じてくれないようだから」

「あれが説得? 世界から口ゲンカという概念がなくなりそうだな。さて、では私は」


 そう言うなり振り向いたルチアは、トンと跳ねた。

 あまりに軽やかな跳躍に虚を突かれたのだろう。後方の冒険者たちは、自分の頭を越えていくルチアを口を開けて見送った。


「おっ、おい! 逃がすな!」


 誰かの声にハッとなり慌てて動くが、ルチアは扉の前で立ち止まっている。

 そして上半身を捻り、顔だけを冒険者たちに向けた。


「勘違いするな」


 腰に手を回し、マジックバッグに触れたルチアが取り出したのは──漆黒の盾。


「まさかそれは……」

「ああ、アダマントの盾だ。総アダマントのな。お前たちが欲しいのはこれだろう?」


 見せびらかすように軽く掲げられた盾に、冒険者たちがツバを飲み込む。


「そっ、総アダマント……そんなの見たことないわ」

「へへへ、そうだ、それをよこしな。変な動きして焦らせやがって。逃げるのかと──」


 渡してもらえるとでも思ったのか、一人の冒険者が一歩踏み出して手を出す。

 しかし、ルチアは無視して完全に背を向けた。


「だがお前たちはわかっていない。我々がどんな覚悟をもってこれを手に入れたか」


 そう言って、掲げていた盾を振り下ろす。

 先の尖った中型盾は、強く固められた土に半ば以上埋まった。


 修練場の中からでは手前に引いて開けるしかない、たった一つの扉──その真ん前に。


「私が逃げる? 勘違いするな。私がお前たちを逃がさないのだ」

「なっ……」


 絶句する冒険者たちに振り返ったルチアの口元には、笑みが浮かんでいる。

 自信に裏打ちされた、覇気に満ちた笑みだ。


「小娘が……粋がってんじゃないよ!」


 対照的に女冒険者が歯をむき出しているのは、圧倒されているからか。

 そんなものルチアが意に介するはずもなく。


「たしかに私はニケ殿と違って若輩の身ではあるが、あえて言わせてもらおう。簡単に逃げられると思うなよ。覚悟無き刃で貫けるほど、私は脆くない」


 きゃあ格好いい! 惚れ直しちゃう!

 きっと冒険者の中にも惚れてしまったヤツがいるだろう。

 でも残念。


「そのとおり! ナニでとは言わないが、ルチアを貫けるのは俺だけだ!」

「台無しだ主殿……」


 ガックリしているルチアを見て、ニケがいきどおっている。どうも年齢イジりのことだけではないようだ。


「わざわざ私を引き合いに出したことはあとで話し合うとして、やはりルクレツィアは卑怯ですね。この者たち相手に盾など不要というのはわかりますが、わざわざそれで扉をふさがなくてもいいはずですが。盾で釣って自分に集めようとしているのでしょう」

「その発想ができるニケもアレだが、さすがにルチアもそこまで戦闘狂じゃ……ルチア?」


 冒険者たちの隙間から見えるルチアは、そっぽを向いている。

 さらにあちこちに視線を巡らせているが、その視線は決して俺とは交わらない。マジかお前。


 今宵の虎徹なみに血に飢えた二人に恐怖していると、トゥバイも片眉だけを上げた困惑の表情をしていた。

 わかるよその気持ち。我が婚約者ながら、この二人はちょっと頭がおかしいからね。


「こいつらなに言ってんだ……この人数の高ランク相手に勝てるとでも思ってんのか。頭イカれて──っ!?」


 突然ビクンと震え、トゥバイが言葉を途切れさせた。

 なにごとかと思っていると、響くのはニケのなんということもない涼し気な声。


「〈隠密〉に〈追跡〉ですか。たしかに優秀ですね。狩猟者と呼ばれるだけのことはあります」


 ああ、鑑定したのか。

 〈隠密〉と〈追跡〉というのはスキルだ。

 たしか〈隠密〉は気配が薄くなり、感知系のスキルに引っかかりにくくなったりする。

 〈追跡〉は痕跡などから認識できたターゲットが、どこにいるのかわかるようになるものだったと思う。


 そういえばアダマンキャスラーのときギルドは偵察とか出していなかったようだけど、こいつがいたからなのかな。

 どちらも希少なスキルであり、王国を代表する有名なSランクであるのもうなずける。


 うなずけるが──


「てめえ! 鑑定しやがったな!」

「なに!? まっ待て!」


 もはやダンドンの制止も届かない。

 ブチギレたトゥバイが飛び出した。

 無許可に魔眼をかけるなど、ケンカ売るどころじゃない完全な敵対行為。

 それを考えれば仕方ないけど……バカなヤツ。


 地面を一蹴りして飛び出し、そして二蹴り目。

 俺とダンドンのちょうど真ん中辺り。地面にトゥバイの足がついた瞬間、音が響く。


 パチュンと、水風船が割れたような軽い音が。


「…………あ?」


 トゥバイが間の抜けた声を漏らして立ち止まる。

 いや、止まらされた。


 そして間の抜けた顔で、自分のニケを見て……そこからゆっくりと視線を下ろした。


 ニケの動きにまるで反応できていなかったが、これで理解できただろう。


 艶めかしいニケの白磁の脚。

 それがスカートから飛び出て、自分に向けて伸ばされているのを見て。

 ブーツに包まれた足先が、左から横っ腹を押し潰し、ヘソがあった位置にまで到達していることを感じて。


 はいおしまい、ということを理解しただろう。


 すぐにニケは足を抜いて後ろに飛び、俺の横に戻った。

 それを待っていたかのように、トゥバイはブハリと大量の血を吐き出す。糸が切れたようにクニャリと潰れ、赤く染まる地に顔から伏した。


「うへー、吹き飛びもしないのな。こわっ」

「あれは完全に攻撃寄りのステータスをしていましたからね」


 豆腐を細い棒で叩いても飛んでかない。そういうことなのだろう。


 スキル構成的にも、トゥバイは無警戒の相手への急襲こそが持ち味と思われる。

 いくら挑発されたからといって正面から突っ込むなど、よほど俺たちを舐めていたというか、頭が単細胞と言うか。人相手だと簡単に熱くなるとか、ダンドンも言ってたっけな。


 そもそも本来鑑定眼なんて、そう簡単に通るものではないのに。

 気を抜いていたというのもあるかもしれないが、それでも一発で通されてしまったというのがなにを意味するのか。

 押しも押されもせぬS級としてトップにいたトゥバイは、すっかり忘れてしまっていたようだ。


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