5-13 ホラーは和風に限ると思った



 灼熱の大地を抜け、ついに辿り着いた七十一階層。

 そこは闇に包まれていた。


 ランタン型魔導具の明かりを頼りに俺たちが歩むのは、切り立った崖に囲まれた谷底。わずかな切れ間から覗く空は、星も見えない曇天の闇夜だ。

 谷底には水こそ流れていないが、湿気は高く、不愉快な臭いが漂っている。


「ふう、気が滅入るな。ここに入ってどれほど経ったのか、どれほど進んだのか……」


 俺を抱えるルチアが、我慢できずに愚痴をこぼす。珍しいことだが気持ちはよくわかる。

 今までの階層でずっと昼間の明るさというのはあったが、ずっと暗いというのは負担の大きさが桁違いだ。


「まだ四、五時間だと思うんだが……ニケ、これずーっと夜なんだよな?」

「はい、少なくとも私が知っている七十三までは」


 前を行くニケは、岩壁の窪みに注意を払いつつ小声で返した。


 そのとき、奇怪な鳴き声が辺りに響く。


 発生源を見上げれば、谷間を舞う見たこともない鳥が、ランタンの明かりに照らし出されていた。


「ただの鳥のようですね」

「ったく、驚かせやがって」

「暗いせいで、どうしても視覚以外の感覚に敏感になって──むっ」


 ホッとしていると、突然ルチアが止めていた足を大きく踏み出す。跳ねるような一歩で、ニケの隣に並んだ。

 振り返れば、立っていた場所には地面から手が突き出ていた。続けてその周囲からも手が生えてくる。


「くっ、またか!」


 腹立たしげにルチアは盾を構えたが、ニケは前を向いたままだ。


「こちらからもです」


 前方にも手が生えてきたようで、ボコボコと地面から突き出る音がしている。

 それらの手が生えてきた場所の土が盛り上がり、本体が姿を現す。ゾンビとかスケルトンとかグールとかいった類の不死系の魔物だ。

 七十階層台は、闇にちなんだエリアなのである。


 それにしてもやっぱりこういうホラーって、驚かされるのが腹立つだけで、怖いというのとはちょっと違うなー。

 二人にも苛立ちは見えるが、怖れはしていない。

 元々そういうのが普通に存在している世界の人だし、当然かもしれないが。


「数が多いですね」

「いちいち相手してらんねーな」


 あまり構っていると、際限なく群がってきて疲弊してしまう。


「いっそのこと走るか?」


 ルチアの提案が採用となり、二人はゾンビたちを足場にぴょんぴょんと飛び越えた。

 あとはもうマラソン大会だ。


 これほど深い階層だけあって、いるのは上位の魔物ばかり。杖をついたおじいちゃんといい勝負するようなゾンビはいない。

 あまり飛ばさなかったこともあってどんどん参加者が増えていったが、問題なく俺たちで表彰台を独占できた。

 俺は抱っこされてただけだけど。




 その勢いのまま、七十ニ、三階層も走って抜けることができた。

 ニケすら未知の七十四には、不意を打たれれば怪我を負いそうな魔物も増えてきたので、注意しつつも可能な限り急いだ。


 それにしても七十階層台は、今までとはおもむきが違う。

 ここまでほとんど一本道で、谷間や洞窟を抜け、山に囲まれた荒野を抜けてきた。

 そして今いる七十五階層には街道が続いている。

 それらが全て繋がっているのだ。


 階層を区切る黒いモヤは存在しているが、そこに入ってもすぐ先から出るだけなのである。

 どこに導かれているのかわからないが……とにかく道なりに進むしかない。


 七十五階層の敵は数ではなく質で勝負のようで、散発的に手強いのが出てくる。

 今も闇の中から襲ってきた、巨大なトラ型の魔物との戦闘終盤だ。

 体の何割かは腐った肉が剥き出しで、骨すら見えている箇所もある。トラ版の人体模型みたい。


 頭を丸呑みにしようと飛びかかってきたトラを、ルチアが盾で弾く。流れるように放った前蹴りが腐肉を飛び散らせ、トラは横ざまに倒れた。

 その結果を知っていたかのように、すでにニケが飛び上がっている。


「ミーティアキック」


 俺が好きなのを知ってから、頻度増し増しのアーツである。

 うひぃ、闇に浮かぶ鎧の魔血留路の光もあって、めちゃくちゃカッコイイ。


 流れ落ちたニケのキックで頭部を四散させては、トラもこれ以上動くことはなかった。


「お疲れー。怪我はないか?」

「はい、大丈夫です。ルクレツィアも問題ないでしょう?」

「ああニケ殿、まだまだ余裕があるぞ。今七十五……七十八はすぐそこなのにな」


 信じられないように、ルチアは自分の拳を見ている。


 世界に五つある水晶ダンジョン。

 その水晶の塔上部には、これまでの攻略階層を示す炎が揺らめいている。


 七十七──長らく停滞しているその個数。

 七十八階層を攻略すれば、そこに新たな火が加わるのである。


「もしかして……俺たちって世界最強!?」


 いや、俺はそこまでじゃないんだけど。


「ははは、さすがにそこまでは…………ななななないよなニケ殿!?」


 ルチアは今までそんなの考えもしなかったようだ。

 パニクったルチアに詰め寄られたニケは、呆れたようにため息をついた。


「ハァ……そのような考えは捨ててください。世界にはいくらでも力を持つ者がいます」

「でもニケの主だった英雄でも、ステータス平均三千とかなんだろ? だったら……」

「以前聞かれたときにも言ったでしょう。私は戦闘能力が高いという理由で主を選んだことはありません。結果的に強くなり、大事だいじを成した者は多いですが、向かうところ敵なしだったというわけでもないのです」


 敗れたことも少なくないのだろう。

 少しだけ表情を曇らせたニケは、わずかに間をおいてから続けた。


「私の主や主に準じた力を持つ仲間たちと、たった一人で対峙したような者もいます。決して表舞台には出てこない、強い力を持つ集団も知っています。マスターと同じ勇者たちも脅威となりうるでしょう。うぬぼれていては簡単に足をすくわれますよ」

「はーい」


 俺は二人と比べればよわよわだから、うぬぼれられる気がしないけど。


「とはいえ……」

「うん?」

「いえ、なんでもありません」


 そう言ってニケが首を振るのとは反対に、ルチアは一人でウンウンうなずいていた。


「そっ、そうだな。うん、そうだ。ニケ殿ならまだしも、私のような若輩者がそこまでの強者だなど、思い上がりでしかないな」

「あ、ルチアがニケの年齢をイジってる」

「い、いやっ、そういうことを言いたいわけでは」


 どうだろう。たまにルチアは天然で毒を吐くからな。


「ルクレツィア」

「ちち違うのだニケ殿」

「そうではなく、そもそも私たちはそんなことに気を取られている場合ではないでしょう」

「……ああ、わかっている」


 なにごとかニケにささやかれたルチアは、あっさりパニック解消していた。


 ……結構前からだが、こういうことがちょこちょこある。アダマンキャスラー戦の前とかにもあったけど、なんか二人だけで通じ合っているというか。

 仲がいいのは悪いことではないが、俺も混ぜてちょうだい。


「ですが年齢のことについては、あとでしっかりと話し合いましょうか、ルクレツィア?」

「は、はい……」


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