7-05 汚れちまった悲しみだった



 どうやらビチスがくたばったのは、三ヶ月ほど前のことらしいが……。


「それは真の話ですか。我々をあざむくつもりなら……」

「じっ、事実だ! この国の者なら誰でも知っているようなことに嘘などついてどうする!」


 たしかにそうだろうな。ニケに剣を突きつけられるおっさんのリアクションを見るに、本当としか思えないし。

 初めに聞いたときも、むしろなぜ知らないのかと不思議がっている様子だった。


 聖国と王国は距離が離れているので、リースに情報が伝わるまでどんなに早くても一ヶ月はかかるだろう。

 そうすると伝わったのは二ヶ月前。ちょうど俺たちが水晶ダンジョンを完全攻略した前後か。

 そこからはいろいろあったからな……フェルティス侯爵あたりは知っていたのだろうけど。


 そもそもいくらビチスがトップに近い者とはいえ、しょせんは遠国の話。そうそう話題にもならない。


「死因は老衰か? さすがに首席枢機卿ともなれば、突発的な病気や怪我であればエリクシルを使うだろうしな」


 普通に考えればルチアの言うとおりなのだろうが、俺としては腑に落ちない感じだ。

 もちろんビチスは若くなかったし、贅沢三昧の不摂生で太ってもいた。死んでいてもおかしくはないのだが。


「俺の中ではもう十年二十年ピンピンしてそうな印象だったんだけどな。憎まれっ子世にはばかるというか」

「あなたも永遠に死にそうにありませんものね」


 セラがなにか言っているが、どうやら俺のイメージは間違っていなかったようだ。

 老衰ではないみたいで、死因についておっさんは口ごもっていた。


「そ、それは……わかった、言う! 言うから!」


 そしてニケに脅されたその口から出たのは、意外な理由だった。


「む、虫に殺されたのだ」

「虫? 蜂にでも刺されましたの?」

「違う……黒い、あの虫だ」

「要領を得ません。ハッキリ言いなさい」

「ご…………ゴキブリだ! あの方はゴキブリに殺されたんだ!」


 ……なにそれ? そんなことあるの?


「本当だ……脳をゴキブリに食い荒らされて……だからエリクシルを使ってもどうにもならなかったのだ!」


 あー、頭の中に入ってる状態で使ったのか。それじゃあどうにもならんわな。


「それにあの方だけではなく、他にも何人も奴らに……」


 新種の殺人ゴキブリとかか? こわっ! 笑えるけど!


「ぷっ、くくく、そりゃあさぞ苦しかっただろうな。これぞ因果応報、あいつにはお似合いの死に方だ。お手柄すぎだろ、そのゴキブリ。なあ、お前らもそう思う……どうした? 二人とも」


 なぜかニケとルチアは、これ以上ないほど深刻な表情をしていた。


「マスターはたしか……」

「あの虫をここで飼っていたとか……」

「本当ですの!?」


 ギョッとしたセラに締め上げられたので、教えてあげることにした。


「うん、試しにやった錬金に生き残ったのが一匹いてな」

「錬金までしていたのか!?」

「人懐っこいやつだったが、今はどうしてるのか……とっくに寿命で死んでるかな?」


 どうしたことか、しばらく三人は押し黙っていた。

 しかしタイミングを合わせたかのように、突如としておっさんに詰め寄った。


「それで! どうなりましたの最終的に!」

「ちゃんと根絶ねだやしにしたのだろうな!」


 その剣幕にビビりながらも、おっさんがうなずく。


「もももちろんだ」

「間違いありませんね? それが誤りであれば、切り刻んで魔物の餌にしますよ」

「そっ、そのために魔術師部隊まで投入して、最後には離れの建物ごと燃やしたのだ! 間違いない!」


 三人は安心したかのように、大きく息を吐いた。そうしてからルチアが俺に向き直る。


「主殿、念のためラボからあの虫を〈排除〉してくれ」

「ラボにゴキはいないと思うんだけど」

「いいからやるんだ…………生き残っていて、ついてこられたりしたら困るのだ」


 最後になにかつぶやいたルチアに珍しく命令されてしまったので、仕方なくやっておく。

 衛生面には気を使っているし、ゴキブリが発生するような台所の使い方はしてないのに。プンプン。




 少しして、リビングのソファーでくつろぐルチアの膝の上で緑茶を飲んでくつろいでいると、セラが切り出してきた。


「それで、これからどうしますの?」


 セラが聞いているのは、聖庁舎で今からどうするかのことではない。ここでの活動は終了し、撤収すると決まったから。

 なんでかわからないが、三人が外に出ることを断固として拒否するのだ。もう装備まで脱いじゃってる。


 実際ビチスは死んでるし、その最期に笑わせてもらったので、俺としてもここで一段落ということでいいかなと思う。


「これからって……予定どおり帝国行くけど?」

「もう……そうだと思いましたわ。あなたやっぱりミサオさんのことはさほど気にしてませんのね。でも私は大森林に向かうべきだと思いますわよ。剣聖も行っているようですし」


 助けるべき、そういうことか。

 ただそれにニケは反対のようで、わずかに口をへの字にしている。どう考えてもニケは美紗緒を好きじゃないしな。


「ミサオなど放っておいてもいいではありませんか。連れ帰ったミサオがキョウコやチフユと良い関係を築ければいいですが、そうなるとも限らないわけですし」

「それを見極めるためにも、一度ミサオさんと会うべきだと言っていますの」


 セラの言っていることが正論だとは思う。

 美紗緒を確保して晴彦さんが喜べば、結果として母さんや千冬も喜ぶことにもなる。それが一番良いことだろう。


 でも俺としては、延び延びになってしまっているルチアの復讐を優先させてあげたい。

 今でもまれに暗い目をしているルチアを、夜に優しく慰めることがあるのだ。


 しかし当のルチアは、セラに賛成だった。


「私も大森林に向かうべきだと思う。私の仇は逃げはしないが、ミサオのほうは急がねば手遅れになりかねない」


 まだ恨みパワーを煮込もうというのか……なんという貪欲さだ。

 煮込めば煮込むほど恨みを晴らしたときの快感は増すだろうからな。その取り組みには感服するばかりだ。

 ニケも感服していたのかルチアに対してなにか言いたげにしていたものの、結局なにも言わなかった。


 ともあれ復讐の当事者であるルチアがそれでいいと言うなら、大森林に行くべきなのだろう。


「うーん、じゃあ美紗緒を取っ捕まえに行くかー。それでいいか、ニケ」

「どうぞお好きに」

「まあ美紗緒がいらなかったときは、ニケに頼むわ」


 もともとそこまで大森林行きがイヤだったわけではないだろう。

 でも一応ご機嫌取りをしたらほほ笑んでうなずいてくれたので、一安心である。


「どんなご機嫌取りですの」

「ははっ。それで主殿、大森林の近くには飛べるのか?」

「んー、昔行ったダンジョンの近くには飛べるかもしれないが、そんなに近くはないな」

「でっ、ではそこからは」

「新ダグバはまだ未完成だ」


 めちゃくちゃガッカリしてた。

 ……新ダグバ運転したかったから大森林に行こうって言ったわけじゃないよね?


「さて、転移を試してみるか……あ、忘れるとこだった」


 ルチアから降り、玄関に向かう。 

 そこには用済みになったおっさんが寝ている。物言わぬ骸となって。


 もちろん恨みもあるにはあった。

 こいつはビチスに近かったし、おそらくこいつが俺の冷遇措置とか決めたのだと思うし。

 でもどちらかといえば、わざわざ生かして俺たちのことを聖国に教える必要はないだろうという判断のほうが強い。俺も丸くなったもんだぜ。


 転移したら捨てようと思いつつ、その顔を覗きこむ。

 キレイな顔してるだろ。死んでるんだぜ、これで。ちょっと首は変なほうに曲がってるけど。

 その顔を掴んで、んっと……よし、取れた。


 作業を終え、リビングに戻ってニケの前に立って手を出した。


「ニケ、これー」

「なんですか? ──ヒッ」


 受け取ろうと出されたニケの手に乗ったのは──まばゆく輝く八つの金色。

 この金歯は晴彦さんに売ってきてもらうのに、ちょうどいいサイズだと思ったのだ。それをニケが男に触れる訓練も兼ねて手渡してみた。


 …………のだけど、もしかしたらほんの少しだけやりすぎたのかもしれない。

 それからずっとうつろな目で手を洗い続けているニケに、二人も同情していた。


「どう考えてもやりすぎだろう……」

「あんなの私も触りたくありませんわ……」


 ごめんね、ニケちゃん。


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